被虐的サディスティック
先生はわざとらしいアクセントを付けて、イヤミったらしく言った。
「佳織ちゃん自身は、どう思われたんでしょうか?」
さぁ、分からないわ、と先生は答えて車を何処かの有料駐車場に止めた。
「ショックを受けたからあんな性格になってしまったのかもしれないし、尊敬していた母がそんな死に方をしたから、変にプライドが高くなってしまったのかもね。私は母親みたいになりたくない! って」
先生はシートベルトを外し、降りるわよ、と言ってドアの鍵を開けた。
外は薄暗くなってきていて、駐車場の電光掲示板のオレンジの文字がはっきり見えた。周りに雑居ビルが多く、ビルとビルの間から覗く道路には人通りの多さが伺えるため、どこかの駅前であるらしかった。
「先生、あの、ここは……?」
「時間ある? ないなら駅に行っちゃっていいけど。大丈夫なら、ご飯奢るわ」
「時間はあります。でも、ここが何処かだけは……」
「あぁ、あれよ。高校の最寄り駅の隣。だから帰りは心配ないわ」
先生は早足で雑居ビルの一つに入った。私はおとなしくついていった。
エレベーターに乗って最上階に行くと、降りた階には頑丈な鉄の扉があった。店の看板も何もなく、脇に傘立てと鉢植えがあるだけだ。何の変哲もない雑居ビルに、その扉はとってつけられたような違和感があった。
先生は、何の躊躇もなく扉に鍵を通してドアノブを捻った。開けられた先には、ブラックライトのような青白い光に照らされた店の看板があった。筆記体で書かれた店名は、英語ではなくフランス語か何かのため、私は読むことが出来なかった。
落ち着かない私に目もくれず、先生は店の中へと入っていった。私も慌てて後をついていった。
扉を抜けた先にはまた扉があった。今度は曇りガラスがはめられた扉で、中の白熱灯が僅かに漏れて幻想的に扉を彩っていた。脇に最近のマンションのセキュリティにありそうな、数字を入力するボタンと、カードリーダーが取り付けられたインターフォンのようなものがあった。
「ここはね、会員制のお店なの。まぁ、私と一緒に入れば、紹介ってことで問題ないわ」
先生はそう言いながらパスワードを入力し、お店のカードを通してロックを解除した。
扉を開けると、彫りの深い白人のウエイトレスが待っていて、テーブルへと丁寧に案内した。オペラや劇の衣装のような、見るからに高価な服を着ている。
店内はろうそくのような形をしたランプで照らされ、その明るすぎない空間がおしゃれな雰囲気を醸し出していた。テーブルクロスには、細かい刺繍が施されており、そこで既に食事をしている人たちも大手企業の社長のような、上品で裕福そうな紳士淑女ばかりだ。私は自分の見窄らしい姿に赤面してきょろきょろするのを辞めた。
「好きなもの頼んで良いわ。ワインも飲んでもいいし」
先生に渡されたメニューを開くと、ファミレスのように大きな写真やカロリー、値段等細かい事が一切書かれていなく、料理名だけが並んでいた。私はその名前だけを見るだけではどんな料理なのかさっぱり分からなかった。
「佳織ちゃんと話してくれたお礼と、彼女の性格を事前に話さずに面接をさせてしまった謝罪の意味で」
そんなことを言われても、どれを食べればいいのか分からないし、正直格好的に周りから貧乏人と思われているんじゃないかと不安になって、ひどく落ち着かなかった。
結局、私は先生が頼む料理と同じものを注文してもらった。先生は慣れたようにウエイトレスに頼むと、ニコニコしながら私の顔を覗いた。
「先生は所謂、その、お金持ち、なんですか……?」
「私がというよりは、祖父の遺産がね。そもそも私は公務員だし」
どうりで――、と思いながら、私は手元に置かれたタオルで手を拭いた。緊張で手汗が止まらなかった。
「でもね、私は裕福なことを、決して幸福だとは思わないわ」
「どうしてですか……?」
「結局、宝くじや埋蔵金を掘り出したりしない限りは、お金は空からも降ってこないし、自然に増えるものではないじゃない? 要は自分自身、もしくは自分の家族か配偶者の努力によって与えられるものでしょ?」
そうですね、と私は頷いた。
「私達家族が所有している祖父の遺産も、祖父の努力の固まりなの。祖父は大学教授だったんだけど、そこまで歳もいってなかったのに、過労で倒れてそのまま亡くなってしまったの」
大学の講義で、自分の教科書を生徒に買わせて適当に授業を行って単位を与える教授もいるが、そんな過労になるぐらい熱心な教授もいるのか。
「祖父は自分の稼いだ資金で、大きな研究をしたいと思って必死に稼いでいたみたい。でも結局、その研究が成せる額に達する前に、この世を去ってしまった。それを見て、私はお金が怖くなったのよ」
「お金が……怖くなる?」
「そう。よく『お金はあって困らない』とか『お金のありがたみを〜』みたいに言うけれど、本来お金ってものは、ナイフや核兵器よりも危険で怖い物だと思うの」
ずいぶんと大げさな話だ。ウエイトレスがナイフとフォークを持ってきて、テーブルにまっすぐに並べた。
「お金があることによって、貧富の差が生まれる。お金に左右されることによって、人の心の中に闇が産まれる。だからと言って、お金のない世界で暮らすのはあまりにも困難。だったら、どうすれば良いと思う?」
「共産主義の国で生活する、とかですか?」
「平等だけを望むのならそれもアリね。でも、それじゃあ自由がなくなるわ。私はね、そんなことよりも、自分の周りにあるお金をどうするか、ということを考えるわ」
先生が言い終えると同時に、料理が置かれた。高級なステーキみたいなもののようだ。
私はナイフで肉を切りながら、先生の話の続きに耳を傾けた。
「貧乏だったら、最低限満足いく生活が出来るようにする。でも逆に、もしお金持ちだったら――? 私がちゃんとした職についてないのなら最低限の生活費を残して、後は全部使い切るわ。でも現実の私は公務員だから、私の分の祖父の財産は、私の私利私欲に全て使い切るの。それが一番かしこい使い方だと思ってるわ」
「家とか、車を買ったりですか?」
「まぁ、そうね。それでも余ったら、こうしてあなたを食事に誘ったり、海外旅行に行ったりとかかしら。ともかく、祖父の財産を一円たりとも残しておきたくないの」
そこまで言うことから、先生にとって祖父の死はよほどショックだったのだろう。
「お金は人を殺す――。私はそう思っている。祖父は自分のやりたい研究と言う名の、莫大な金額の圧力に自分の命を奪われてしまった。これって、状況は大きく違うけど、借金に追われて結果首を吊ってしまうのと同じじゃない?」
私は味のよく分からないお肉を必死に噛みながら考えた。
確かに千住先生の祖父にやりたい研究がなければ、自分の身を削ってまで資金を稼ぐ必要もなかったし、別なことにお金を回せたかもしれない。だけどその研究が祖父のかなえたい夢、目標のようなものだとしたら、それはどうだろうか? 夢なら誰だって、叶えたいはずだ。例え身を削る必要があっても。
「それが既にお金の呪いに掛かっているのよ」
先生はそう言い切って、口を拭いた。
作品名:被虐的サディスティック 作家名:みこと