小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

被虐的サディスティック

INDEX|17ページ/34ページ|

次のページ前のページ
 


 3

「ずいぶんと熱い討論をしてたみたいじゃない」
 私が鍵を返しに職員室に入ると、千住先生が寄ってきてそう言った。
「先生……聞かれてたんですか?」
「全部じゃないけどね。上手くいってるかなぁ? と思って扉越しにちょっと立ち聞きしてみたの。そしたら乃木坂さんがこっちに近付いてきたから、ばれないように通り過ぎちゃったけど」
 ということは、私の怒鳴るような声も先生に聞こえてしまっていたのだろうか。
「まぁ、正直予想通りだったわ。……河井さんには事前に言ってなくて嫌な思いさせてしまったかもしれないけれど、乃木坂さんは、元からああいう子なの」
「他の生徒にも、ってことですか?」
 私の質問に先生は答えず、場所を変えましょう、と言って、先生はさっさと職員室を出て行ってしまった。私は慌てて後について行った。
 千住先生は支度を済ませて外に出て、駐車場の自分の車の前に来ると、
「乗って。案内したいところがあるの」
 そういって私を車へ案内した。私は言うとおりに助手席のドアを開けて席に座った。キツい香水の臭いとガソリンの臭いが混ざり合って、少し吐き気がこみ上げてきた。
 先生はエンジンを掛けるとすぐに発車し、バス停に向かう生徒達を追い抜いて駅とは逆方向へと向かった。
「……乃木坂さんはね、教師が嫌いなのよ」
 先生がハンドルを握りながら答えた。私が横を向くと、先生の眼鏡がサングラスに変わっていて、夕日がレンズに映り混んでいた。しっかりとしたスーツ姿の先生にはぴったりなくらい似合っていた。
「何か過去に問題があったりしたのですか?」
「多分小学校か中学校の頃に、厳しい先生が担任になったことがあったんでしょう。あの感じだと。その厳しい先生にプライドを傷つけられるようなことを言われたのかもね」
「だからって、教師全員を嫌わなくても……」
「トラウマ――とまではいかないと思うんだけどね。そういう信頼って、一度失ったらなかなか取り戻せないものなのよ。元々の信頼が強ければ強かったほど、落差はひどいだろうし」
 そういうものなのだろうか。仮に小学生の時に嫌な先生が担任になったとして、それを高校生になる何年間もの間に忘れることは出来ないのだろうか。それに、その間に良い先生にもかならず巡り会えるはずだ。
「教師だけの話ならまだあそこまでひねくれなかったと思うんだけどね。同じぐらいのタイミングに、家族の間でも問題があったみたいなのよ」
 信号が赤に変わり、先生はブレーキを踏んで車を止めた。
「タバコ、大丈夫かしら?」
「あ、はい。私は吸いませんけど」
 ありがと、と言って先生はセブンスターのライトを口に銜え、高そうな装飾の掘ってあるジッポで火を付けた。
「あの子の母親はね、今で言うと虐待に近いぐらいスパルタな教育をしていたらしいの」
「虐待って……」
「暴力とかは振るってなかったみたいだけど。習い事をいくつも掛け持ちさせて、それでヘトヘトになって帰ってきても家庭教師に勉強を教わり、学校の宿題があれば終わるまでは寝させない。それでも朝は明け方に起きて、ジョギングと授業の予習をさせられる。まぁ、いき過ぎた教育ママってとこかしらね」
「それは今でも続いているのですか?」
「さすがに続いてないわ。そもそも、母親がもういないもの」
 それを聞いて私は言葉を失うと、信号が青になって車が前に進んだ。タバコの煙が、開けた窓から線を引くように後ろへ流れていく。
「厳しいお母さんから逃れる彼女の唯一の癒しが、学校の先生だったみたい。当時の先生は優しい先生で、それこそ授業の時間以外はその先生の傍から離れなかったそうよ」
 今の佳織ちゃんの姿からは信じられない話である。
「ただね、彼女自身は母の事を恨んだりはしてなかったみたい」
「本当ですか?」
「多分だけどね。間接的に聞いただけだから。むしろ彼女はそんな厳しい母親を尊敬していたみたいなのよ。自分のために厳しくしてくれる、自分の成長のために早朝や深夜にも付き合ってくれている、そう感じたのね。だから学校の教師が癒しだったのは、母が嫌だからというよりは、休憩時間のようなものだったんじゃないかしら。当時の彼女にとっては、学校の授業は遊びみたいなものだったんでしょうし」
 現に彼女は今も頭が良いわけだしね、と言って先生はタバコを灰皿に捨てた。
「では、父親が暴力的な虐待をしていたのですか?」
「父はおとなしい人だったらしいわ。妻に尻に敷かれてたって言うのかしら? 前期の面談で会ったときも、パっとしないと言うか、良く言えば優しそうな人なんだけど、悪く言えば簡単に利用されそうなタイプ、って言うのかしら」
 先生もなかなか他人のことをズバズバ言う人である。だから学校で話すのを控えたのだろうか。
「では、問題は……?」
「問題は――やっぱり母親ね」
 車は橋を渡り、ドンドンと駅から離れていく。進んでいく道路の脇には、小さなラーメン屋やレンタカーショップが何件も並んでいる。
「尊敬もしていた厳しい母は、ある日、浮気現場を娘に見られてしまったの」
「娘って、まさか……」
「そうよ。佳織さんのこと」
 私の頭の中で、歯車がカチリと噛み合った音がした。
「浮気現場も、夫以外の男性と手を繋いでいた、とかそういう生やさしいレベルじゃないわ。それこそ、布団の上で重なり合っている姿を見てしまったのよ。小学生の佳織さんは」
 小学生の時に――。
 尊敬していた母が、夫とは別な男性と肌を合わせ。
 厳しかった母が、普段からは想像もつかない淫靡な声を上げ。
 信じていた母が、淫らな行いをしていたなんて――。
 きっとその光景を目にした佳織ちゃんには、当時はどういうことだかはっきりとは分からなかっただろう。だけど、最低でも、母が浮気をしていたこと、厳しい母という威厳が崩壊したこと、そして、大人の男女の関係については分かったはずだ。
「まぁ、尊敬していてもしていなくても、小学生、しかも恐らく低学年の頃にそんな光景を見てしまったら、信じられなくなるのも当たり前かもしれないわね。私が同じだったらきっと家を出て行くわ」
 私は――想像がつかなかった。
 だけどもし母ではなく、年上の姉がそのような行為をしている現場を、幼い頃の私が見てしまったらと思うと、ひどい絶望と裏切られた気分になるだろう。
「それだけでも彼女のトラウマは十分形成されてしまったんだけどね、さらには翌年ぐらいの教師が、さっき言った厳しい先生に当たってしまったみたい。そういう面から彼女の中では、厳しい人イコール不潔、信じられないイコール大人の立場を利用する教師、という定義が産まれてしまったようね」
「それで佳織ちゃんの母は、その……」
「自殺したらしいわ。高校に入る前に」
 先生はさらりと言った。
「原因は、重なる浮気とホスト通いのし過ぎで借金まみれになったから、自分の保険金でなんとかチャラにしようとしたらしいわ。それでも足りなかったらしいけど」
「そんな……」
 私は思わず言葉を失ってしまった。
「旦那は健在らしいわ。しかも新しい妻を見つけようともせず、そんな悪女みたいだった妻を未だに慕ってるみたい。優し〜い人だから」
作品名:被虐的サディスティック 作家名:みこと