被虐的サディスティック
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「――ごめんなさいね。急に、しかも教育実習生である私なんかが呼び出したりして」
私は佳織ちゃんを、実習初日の放課後に千住先生と話した面談室の中へ案内した。事前に千住先生に面談をしたいと申し出ていたため、鍵は開けられていた。
左右の壁は、天井まで届く本棚でほとんど隠れていて、その本棚にも赤本や進学のための本、その他専門書や古い教科書で埋まっている。
カビと古書の独特の臭いを少しでも逃がすため、私は奥にある窓を開けた。運動部の生徒が少し日の照りが弱くなったグランドで、集まって準備運動をしている光景が目に入った。
「どうぞ、好きな席におかけになって」
どうすればいいか分からないと言っているかのように、扉を背にして立ったままの佳織ちゃんを、窓際のソファへと案内した。やっと行動に出られた佳織ちゃんはささっと移動して席に着いた。私も彼女の向かいに腰を下ろした。
私は話し掛ける前に、彼女の様子をうかがった。表情は見ただけでは判断出来ないが、明るくないのは確かだ。顔が俯いていて、視線は床に向けられている。長いカールの髪が窓から射す光によってクリーム色に染まる。膝の上に両手を重ねて置いているが、どこか落ち着かないような、そわそわとした動作をしている。視線を鞄にもちらちらと向けていることから、きっとケータイが気になるのだろう。
佳織ちゃんは顔をあげ、不思議そうに首を傾げた。そろそろ話をはじめなくては。
「コホン。ごめんなさい。呼び寄せておいて何もしゃべらなくて。……えっとね、だいたい面談をお願いしたことは、乃木坂さんも想像がついていると思うんだけど――」
「要は、私がハブられてる、仲間はずれにされている理由を聞きたいってことですよね?」
私が言い終える前に、はっきりとした声で聞き返してきた。佳織ちゃんは想像していた以上に強気な性格のようだ。顔を上げ、むっとした表情で私のことを軽く睨みつけた。
「ええ。遠回しに言うのもイヤミったらしいものね。――その通りよ。私はそのことについてあなた自身の心境や、思い当たる原因が何かあったら聞かせて欲しいの」
「他の生徒にはこのこと、聞いたんですか?」
「いいえ、何も聞いてないわ。もちろん何度も聞こうとしたのだけれど、出来れば都合の良い誤魔化しがない真実を聞きたいから、まず被害者であるあなたから最初に聞くことにしたの」
「真実、ね――」
口には出さずに、なるほどと言うように彼女は背もたれに寄りかかった。
「……あのね、河井先生。正直、私はどうしてこんな状況になったのか分からない。分かってたらすぐに行動に移す。だから真実を教えてと言われても、何も答えられないの」
河井先生と呼ばれたことは嬉しかったが、一応年上でもあるのに敬語を使ってもらえないのは、なんとも腑に落ちない。
「ええ。分かってるわ。だからだいたいでもなんとなくでも良いの。思い当たる節や、原因、生徒の名前でも良いから教えて欲しいの。実習生の私が信頼出来ないのなら、千住先生を呼んできてもいいから」
「あの人を呼ぶなら、まだあなたの方が信頼出来るわ」
佳織ちゃんの言い方からすると、千住先生は頼りない存在なのだろうか。もしくは口が軽いのか。どちらにせよ、あまり印象は良くないらしい。
「私は他の生徒には言わないって約束する。確かに他の生徒とも仲良くなったけれど、私はあなたを放っておけないの。せめて実習が終わる前に、あなたが教室で他の女の子と一緒になって、笑顔でおしゃべりしている姿を見てからお別れをしたいの」
「ずいぶんと勝手な話ね。それに、まるでもうウチのクラスの女子の一人になったみたいな言い方。どうせそんなこと言ってても、実習が終わったらすぐに忘れちゃうわよ。大人って、そういう生き物だもん」
私は――もう大人なのだろうか。
少なくとも目の前で自分の毛先を弄っている彼女――佳織ちゃんよりは年上であり、大人のはずだ。だけど世間から見て考えると、私はもう大人として一つのカテゴリに含まれるのだろうか? 学生でいる内はまだ、子供のままではないのだろうか?
大人になりたくない、単なる言い訳かもしれないが。
それはそれとして、彼女の言い分は確かにその通りだった。今現在は実習中だから、クラス内の問題に考えを集中することが出来る。だから今もこうして彼女と面談を行っているのだ。
だけど、実習が終わってしまったらそうはいかない。大学での授業はもちろん、卒業論文も控えているのだ。教師にならない限り、もうこの高校に訪れることはなくなってしまうし、このクラスは来年にはもう別なクラスへと変わってしまうのだ。
――結局、大きなお世話ってことなのか。
「言い返さないってことは、図星なのね。がっかりだわ。少しは期待してたのに」
「期待……?」
「そうよ。打開策でもあるのかと思って、面倒だけど一応ついてきたのに。……先生、彼氏いないでしょ? もしくは出来てもすぐフラれる。違う?」
「ち、違うわ!」
私は思わず興奮して席を立ち上がってしまった。
「どうしてそれと私の恋愛が関係あるって言うのよ。いるわよ、彼氏ぐらい! 何年も前からずっと付き合っている彼氏が!」
腹を立てて声を荒げて言い終えた後に、やっぱりまだまだ未熟な子供だな、と冷静な自分が心の中で呟いた。
「それ……本当に彼氏?」
私はすぐに「そうよ」と、言い返そうとしたが、思わず声が喉に詰まった。
彼は――。
私にとって、どんな存在なのだろうか。
彼は今、私のことを想ってくれているのだろうか。
「その人さ、単にあなたが勘違いしているだけで、本当はあなたなんて遊び相手でしかないんじゃない? もしくは、タダのセフレ、とかね」
私は怒鳴って否定したい気持ちをぐっと堪え、大きく深呼吸をして座り直してから、ゆっくり答えた。
「……そういう佳織ちゃんこそ、そんなことが分かるって事は、どうやら男に騙された経験があるように――」
「ありません。勝手に人のことを売春少女呼ばわりするなら、あなたの大学に問い合わせて、さっさとココから追い出しますよ?」
私は左手を背中の後ろに当て、彼女に見えない位置で思い切り拳を握った。
――私が何を思って、佳織ちゃんをこうして面談室に案内したと思っているんだ。
なんとなくだが、彼女がクラスのみんなから仲間はずれにされた理由が分かった気がした。
「いい? あなたは所詮実習生なの。私のプライバシーはもちろん、クラスの内情を探って真実を確かめるなんて、探偵めいたことしないでくれない? 迷惑どころか、ウザい。迷惑。調子に乗りすぎなのよ」
「分かった、分かったから。……もう帰っていいわ」
「言われなくても帰るわよ。いちいち上から目線で言わないでちょうだい。教師ごっこ、楽しんでね」
鞄を肩に掛け、ソファから立ち上がって早足で部屋を出て行こうとする彼女に、私は尋ねた。
「そんなあなたに、今の状況を打開出来るの?」
「……何が言いたいのよ」
作品名:被虐的サディスティック 作家名:みこと