桜ト智香物語
「わるいわるい…少し遅れた。途中でタクシー事故っちゃってさ…。」
変すぎるくらいニタニタとにやけてしまう表情をちょっと抑えながら、顔の前で手を合わせ少しばかりの日陰に体を埋める桜に近づいていく。
近づくにつれて日陰から身を乗り出して、ぷんすか的な擬音が似合いそうな瞳を向ける桜。あぁ、可愛い。
「少しじゃないよぉ!!もう約束の時間から1時間以上経ってるんだよ!!」
「1時間半です…ごみんなさい。」
「それに、携帯に電話しても全く出てくれないしっ!!」
「それは…携帯忘れちゃ………。」
「それにそれにっ!!今電車から降りて来るの見てたんだからぁ!!タクシー使ってないじゃんっ!!もう…。」
それを聞いて暢気になるほど…と口をあける。電車の中で一生懸命考えた言い訳なのに、首を回して後ろを見れば、確かにここから駅のホームが丸見えだ。ホームから見れば人や柱や死角などでほんの一部しか垣間見ることが出来ないのに、ここから眺めれば、まるでRPGの背景みたいに角度をちょっと変えただけで全体を把握できてしまう。あそこで女子高生を玩味している薄ぼけたサラリーマンの表情まで分かってしまうのだから、怖い。
まったく要らん造りをしてくれる。
てか、もしかして、桜を見つけたあたしがアホみたいな面して人ごみを掻き進んでいく様をこいつは観ていたのか…。
「…………ん…ぃしたんだからぁ…。」
「んっ…!?」
ふいに、桜の小さな唇から洩れた言葉が聞き取れず、こいつさっきのあたしを見て馬鹿にして笑ってるな、と思い。
頭をちょっと叩いてやるか…と、微かに震えている塞ぎ込んだその頭に、力を込めた腕を伸ばすが…次の瞬間。
「心配、…したんだからぁ…。」
手がとまった。
顔を上げた桜は、出来る限り目尻を尖らせているが、その瞳は潤み、まるで強がっている子どものような…心配するがゆえに子どもをしかる母親のような…そんな曖昧な表情を浮かべていた。
まあ、ようするに…今にも泣きそうだったのだ。
そんな桜に、ふふっと微笑んでみせて、
「なーんだ、一生懸命電車ん中で考えたイイワケなのに…ばれちったか。」
伸ばした手をそのまま優しく桜の頭の上に、ぽん…っとおいた。
よしよしなんていいながら、頭を撫でてやると、複雑そうな顔をして擽ったそうに笑う桜。
「なに…それ…?」
「んー桜に怒られると思ってさ、考えたんだけどダメだったみたい。」
「嘘ついたら怒るよ。」
キリッと腕越しに睨みを効かす桜に、うっ…と視線を逸らしながら、
「ごめんなさい…寝坊いたしました。」
白状すると、ふふ…という息が零れたのが分かった。
「…素直でよろしい。」
その瞬間、胸に込み上げてきた熱いなにかがあたしを沸き立たせ、頭にのせていた手をそのまま首筋にまわすと、桜を抱きしめていた。
「…っ…ちかちゃん!?」
驚いた桜の匂いを噛みしめながら、くすすっと笑ってみせる。
「桜が可愛いから、飛ばしてきたあたしへのごほーび!!」
なにそれ、と周りを気にしながらわなわな慌てる桜は、暫くあたしの腕の中で蠢いていたが、観念したのか顔をあたしの胸元に埋めると、呆れたように溜め息を吐いて、
「もう…ちかちゃんは本当に時間にルーズなんだから…。」
そう言って、ぎゅっと服を握りかえしてきた。
さて、なにか埋め合わせをしたいと思うのだが、今はこの余韻に浸ってても神様も文句を言うまい。
桜のいた時計台のつくる日陰は割と涼しくて、あの太陽野郎から桜の綺麗な肌を守ってくれていたこの時計台に、ちゃっかり感謝してみる…。