あの想いが還る場所
(1)
「中島君、私にこの『字』とは名ばかりの記号の羅列を、これから先、何十枚も読めと言うのかね?」
岩倉教授は受け取った来年度卒論のプレ・レポートを手に、渋い表情で俺を見た。一瞬、何を言われたのか意味がわからなかったので、「はあ」と、とりあえず返してみる。
「せっかく良い論文を提出しても、この字では読む気力が萎えるとは思わないか?」
教授は机上にそれを置いて、ため息をついた。ここでやっと、さっきの質問の意味がわかった俺は、同じように息を吐く。
岩倉ゼミはワープロ打ちの卒論が主流になりつつある時代に、あえて手書きで提出させるレトロなゼミだ。
そして俺・中島教之は、自他共に認める無類の悪筆なのである。
大学三回生にもなって、よもや書道教室に通うことになるとは。
何で今の時代に手書きなんだ…と思わないでもなかったが、これから一年以上かけて書く論文が等閑に読まれるのには、そしてそれを半ば予告されたのには、辛いものがある。かと言って、他のゼミに移る気はサラサラなかった。岩倉教授は日本古代史において第一人者で、著名人だ。彼のゼミに在籍していると言うだけで箔がつく気がするし、就職の際、所によっては有利に働くかも知れない。俺のように安易な考えの学生は少なくないらしく、毎年、岩倉ゼミは大人気だった。
で、書道教室。ペン習字の通信教育を考えないでもなかったが、これは母親に、
「あんたみたいな三日坊主に、ただ送られてくるだけの通信教育なんて、続かないに決まっているじゃないの」
と一笑に伏され断念した。さすがに我が子のことはよくご存知でらっしゃる。それで隣町の書道教室に通うことにしたのだ。家の近所にもあることはあるが、さすがにこの年で書道教室に通う姿を見られるのは恥ずかしかった。
岡本書道教室は古い住宅地に在った。土蔵を教室として改築したため、天井が高く、窓は蔵特有の小さなものが一つあるだけだ。木の文机に座布団、墨の匂いが満ちて、時代劇で見る寺子屋がイメージ出来た。趣はある。でも一緒に肩を並べて手習いする、自分の年齢の半分くらいしかないガキ共には辟易した。
「うわ、大人のくせに下っ手くそぉ」
子供は残酷で容赦が無い。週に一度、火曜以外の都合の良い夕方からの時間に来ればいいことになっていたが、どの曜日に来ても子供達の人数はさほど変わらず、俺は良い遊び相手にされた。どうやら彼らの親達は、学童保育所の変わりにここへ通わせているらしい。俺は保父さん的存在になりそうだった。子供は嫌いじゃないし、宿題を見てやるくらい苦にならないが、本来の目的のペン習字は、上達の兆しが見えなかった。
「申し訳ないわね。それじゃ、火曜日に来られる?」
おっとりした比沙子先生がさすがに気の毒がって、そう申し出てくれた。
「はい。でも火曜日はお休みじゃないんですか?」
「別のお教室のお仕事が入っているので、私はお休みにしているけれど、息子に見させますよ。一応、師範のお免状は持っているし、時々、手伝ってもらっているの」
「そんな特別に時間を割いてもらって、悪くないですか?」
「いいんですよ。どうせ一日、家にいるんだから。少しは同年代の方とお話する機会を持った方がいいの。あら、あなたより十は年上だから、同年代は失礼かしらね」
先生の厚意を受けて、翌週から火曜日に通うこととなり、俺は保父さん業から解放された。