遼州戦記 保安隊日乗 6
ようやく言葉を搾り出した水島を断罪するようにキャシーが頷く。だが水島は彼女が明らかに不自然な存在だと言うことに気づいていた。それは隣でガムを噛むクリタ少年にも言えた。
『実験動物にされる……ごめんだよそんなのは』
『何度も言っているではないですか。あなたには選択の余地は無い……まあ考える時間は必要かもしれませんが』
それだけ脳に直接語りかけたキャシーは足早に図書館の外へと続く廊下を歩いていく。そのぶっきらぼうな態度に辟易したような表情を浮かべた後、クリタ少年はにんまりと笑ってそのまま少女の後に続いた。
気を締めていなければそのまましゃがみ込んでしまうところだった。水島は気を取り直して落ちたバッグにキャシーから渡されたノートなどを入れて一息ついた。誰も水島が恐怖に震えるような脅迫を受けていたことなど想像もできないと言う表情で人々は通り過ぎていく。
『米軍でモルモットになるか……遼州で犯罪者になるか……』
自分が後戻りできないところに来ていることにようやく水島は気づいていた。そしてアメリカ軍以外にも自分の存在が知られているのかもしれないと想像した。
『米軍が監視してくれているなら安心だな。とりあえず考える時間はくれたわけだ。その間にどう言う要求をしてくるのか確認するのも悪くない』
そう思いなおして水島はそのまま荷物が手に図書館の自習室に向けて歩き始めた。
低殺傷火器(ローリーサルウェポン)36
待つ。これが苦手な人が多い。
誠は目の前の頭を掻き毟って暴れだしそうな女性を見ながらその事実を再確認していた。
「なんだよ」
「なんでもないですよ」
「その面がなんでもない面か?」
「止めなさいよ!要ちゃん!」
アイシャの声に立ち上がりかけた要が息を整えるように深呼吸をして誠の目の前の席に腰を下ろす。誠はそれを見てようやく安心して目の前の端末に記されているアストラルゲージのグラフに目を向けた。
「西園寺。気持ちはわかる」
「わかって貰いたかねえよ!」
気を使ったカウラの言葉にも不機嫌に対応する要。誠も思わず苦笑いを浮かべるがすぐに察してにらみつけてくる要の視線を避けるように身を伏せる。
すでに警邏隊の巡回が始まって二日。いや、まだ二日と言うべきだと誠は思っていた。直接の接触を避けながらのパトロールでのアストラルゲージチェック。そう簡単に犯人への道が開けるとは誠も思っていなかった。苛立ちの絶頂の中にいる要も理性ではそのことは分かっているだろう。しかし彼女の『待つ』と言う言葉に耐える限界はすぐそこまで来ているのは間違いなかった。
原因は昨日からこの捜査方法を提案したラーナが東都の同盟司法局に呼び出されていることだとは誠にも分かっていた。本来は彼女は同盟司法局法術犯罪特捜本部の捜査官であり、その部長嵯峨茜警視正の補佐が任務のはずであり、茜が追っている連続斬殺犯に関する情報があればいつでもそちらに出張することが誠達の豊川署への出向の条件でもあった。連続斬殺犯などという派手で腕っ節が強そうな相手を聞いて黙っている要ではない。こちらの容疑者の十五人。男性9人、女性6人の構成だがどれもひ弱そうな面構え。法術が無ければ要に取ってはどれも相手に不足がある存在なのだろう。
要が急に伸びをした。重量のある軍用義体に耐えかねて椅子が悲痛なきしみ声を上げる。
「うわー疲れるな!」
「何もしていない人は黙っていてよ!」
「なんだ?アイシャ。アタシとやろうってのか?」
「ホントに要ちゃんは脳筋ね……付き合ってらんないわ」
「なんだと!」
今度はアイシャに喧嘩を売る。さすがにモノクロの画面でグラフの針の動きばかりを追っていて疲れたのは要ばかりではなかった。アイシャもいつもなら聞き流す要の啖呵につい乗ってしまった自分を恥じるように静かに席に着いた。ラーナのような捜査の専門家がここにいれば説得力のある説教で二人を何とかなだめることはできるのかもしれない。
困ったような顔でカウラが誠を見つめる。彼女も軍用に作られた人造人間である。軍務については培養液から出るまでに多くの知識を刷り込まれていたが、その中には警察の捜査活動はあるはずもなかった。たとえあったとしても今の二人には机上の空論と笑われるだけだ。カウラはただ黙っていらだつ二人が暴走しないかどうか監視するほかに手はなかった。
「でも、なんだか引っかかるんだよな……」
相変わらず要は冴えない表情で画面を見つめていた。豊川市の主要道路を走る警邏隊のパトカーの位置が彼女の画面の正面で展開している。何度とない要のため息に誠もカウラもうんざりしたような表情を浮かべていた。
「引っかかるも何も……これ以外に方法があるなら教えてくれ」
さすがに頭にきたカウラは手を後ろに纏めたエメラルドグリーンの髪に持っていくとそうつぶやいた。呆然と顔を上げる要。その目にはこういう時らしく生気が無かった。
「アタシ等の使っている計器。当然小売はしてないよな」
「私に聞いてるの?」
アイシャが驚いたように目を見開く。そしてしばらく考えた後ようやく口を開いた。
「当たり前じゃないの。東和きっての財閥の切り札よ。そう簡単に売れる代物じゃないわよ」
アイシャの回答に画面から目を離さずに満足げに要は頷く。そしてそのまま誠の顔を一瞥すると再び画面をモニターに向けた。
「法術関連の学会とかでは話題になっているのかな、このアストラルゲージとかは」
「それは当然じゃないの……!」
要の質問に気づいたことがあるというようにアイシャが顔を上げる。その様子でカウラは大きく頷いて要を見つめた。
「法術関係の研究をしている国の機関ならどこでも同程度の製品は作れる。そして事件を取り上げた新聞に目を通す程度の余裕のある東都の大使館の武官を抱えている国なら……」
「私達より先にターゲットにたどり着いてもおかしくないな」
要とカウラ。二人の言葉に誠はようやく結論を知ることになった。
「それじゃあ……急がないと」
誠が立ち上がりかけたところでアイシャがそれを制した。
「だからこれが一番早い方法なの!焦っても仕方ないわよ」
「クラウゼ少佐……」
泣き顔で誠はアイシャに目をやるがアイシャはかまうつもりは無いというようにそのまま画面に目をやっていた。
「後は天運だけだ」
カウラもまた誠をフォローするつもりは無いと言うように画面を眺めながら冷えたコーヒーを啜っていた。
「いっそのことその人斬りとやらがこの犯人を見つけ出してぶった斬ってくれれば話が早ええのにな」
「不謹慎なことを言うわね、要ちゃんは」
アイシャが要の暴言にぽつりとつぶやく。しかし誰も本気で反論する気はない。
すでに二日目で誠達は警察官僚の忍耐強さに感服させられていた。
低殺傷火器(ローリーサルウェポン)37
一人。黒いトレンチコートを着た男がベンチに腰掛けていた。
作品名:遼州戦記 保安隊日乗 6 作家名:橋本 直



