遼州戦記 保安隊日乗 6
そんな少年の言葉に水島は端末を手にして操作してみた。
「アメリカ陸軍東都情報管理局第三分室……住所はアメリカ大使館?」
足が震えた。自分の行動や心理をすべて見通していた事実を見れば少年の能力は明らかに自分よりも優れているのは明らかだった。そしてそんな彼の連絡先は軍の関係の施設だと言う。しかも所在地はアメリカ大使館の敷地の中である。
「別に気にしなくていいよ。ただの見たまんまの子供だから。住所が大使館なだけであって……」
まるで当然の事実のようにしゃべる少年。その態度にさらに水島の鼓動が加速していく。
「それでも十分すごいことなんだけどね」
「そう?そうでもないと思うけど」
少年が怪しげに笑う。
「じゃあ気が向いたら連絡くれるとうれしいな」
少年はそう言うとそのまま手を振って立ち去ろうとする。
「なんなんだ君は!俺を……」
水島の搾り出した言葉に気がついたように振り替える少年に驚きの表情が浮かんでいる。
「十分法術を使えるようになったらお話聞かせてもらうよ。それまで練習していてね」
満足げに微笑む少年。水島の手はついに参考書を地面に取り落としていた。その音に気がついたように少年が再び振り返る
「ああ、あくまでも軽い練習くらいにしてくれないと困るよ。警察なんかの世話にならない程度にね」
にんまりと笑う少年の顔。その妖しげな姿に水島は飲まれていた。そして自分の言いたいことはすべて言ったと言う表情で少年は人ごみの中に消えていった。
たぶん周りの通行人は二人が何を話していたのかなどは気がつきもしないだろう。そして自分の力も去っていく少年以外には関心のほかの出来事だった。
「練習か……」
なぜか気が付けば水島は自分の右手を見つめていた。そして思い出して落ちた参考書を拾い上げた。
そして再び自分の手を見つめる。その手は今もこうして変わらずに水島の目の前にあった。
端末を叩くのと本のページをめくること以外得意なことは何もない手。
『突然の出来事か……必然の出会いか……』
今は豊川市のアパートでこうしてその『練習』を終えた満足感で満たされた状態で一人部屋で横になっている。
『まあ練習は続けるさ。こんなに面白いんだから。それに俺を誰も止められないんだから』
そう思うと水島の顔に笑みが自然と浮かんでくるようになっていた。それを感じると水島はあれから自分が笑うことが多くなっている事実に気づいて少しばかりあの名乗らなかった少年に感謝の言葉を送りたくなっていた。
低殺傷火器(ローリーサルウェポン)18
「令状がなきゃアタシ等は動けねえのはおんなじなんだな……でもなあ、捜査会議にも出れないってのはどういうことなんだ?犯人逮捕する気あるのか?あの連中は!」
部隊の溜まり場、あまさき屋。店に来て三十分も経たずにすでに要は二本のラムの瓶を空けていた。誰もそれを止めない。カウラは黙って烏龍茶を啜る。
要の怒りももっともだった。署に帰った誠達を待っていた杉田。彼はぼそぼそとつぶやくように愚痴り始めた。現場を見た後に勝手に行動を開始するな。そんな連中には捜査会議に出る資格は無い。会議の結果どおり後で動いてくれ。要がそれを聞いて暴れださなかったのが今考えても不思議なくらいだった。
「まあ東都警察は当てにならないことは分かったものね……完全に私達には情報は流さないつもりよ」
「意地でも自分の手柄にしたいんだろうな」
アイシャもカウラも黙ってはいるがそのはらわたは煮えくり返っているのが痙攣しているこめかみや口元を見れば誠にも分かった。誠も確かにほとんど監禁状態でトイレに行くのにも係員がついてくる豊川署のやり方には腹に据えかねるものがあった。
「私も言われたから一応吉田さんにも頼んでみたけど……法的にはネットの情報は改竄がいくらでもできるから証拠としては弱いんですって。それに住民登録関係のセキュリティーは吉田さんでも足がつくのを覚悟しないと個人名の特定まではできないって言われたわよ。東都警察ばかりか東都都庁まで敵に回すのはごめんだから証拠探しには足を使えって」
呼び出されたアイシャと同じ人造人間で保安隊運行部員のサラ・グリファンとパーラ・ラビロフは暗い表情でたこ焼きを突付いていた。
「二人にも迷惑かけたわね……特にパーラ」
「何よ。迷惑かけたのが分かってるならこれからも付き合わせなさいよ」
パーラはピンクの長い髪をなびかせながらたこ焼きを口に頬張る。店に着くなりアイシャのマシンガントークの洗礼を受けた上にこれまでの東都警察との確執を知る二人は完全に捜査に参加する気でいた。そのあまりにもやる気が前面に出た姿に誠も少しばかり困ったように店の奥で心配そうにこちらを眺めている女将の家村春子に目をやった。
要が三本目のラムに手を伸ばした。
「西園寺さん。飲みすぎですよ」
つい口を出していた誠。目の前のグラスばかり見つめていた要の鉛色のタレ目が誠に向かってくる。肝臓のプラントの機能を落としてわざと泥酔している要のにごった瞳。そこには自分の失敗を悔いる色が嫌と言うほど見て取れた。
「いいアイディアだと思ったんだけどなあ……不動産屋の線から犯人へ直行。今頃は警察の連中も人海戦術で同じこと始めてるだろうし……そうなったら察しのいい犯人なら対応策を練られるぞ。それでパーだ」
そう言っただけですぐに要は目の前の空のグラスに酒を注ぐ。
「金の無駄になるぞ」
「いいんだよ、たまには。こう言うときは思いっきり飲ませろよ」
カウラの言葉に顔も上げずに要は酒を飲み続ける。
「まるで通夜よね……私も正直騒ぐ気にはなれないわ」
そんなアイシャの言葉に誠もただ乾いた笑みを浮かべるだけだった。手がかりは見つけては消え、ただ時間だけが過ぎる。同盟司法局の捜査責任者である茜のコネで手に入れた東都警察の警察官の捜査権限。しかし出が保安隊と言うことで警戒する東都警察からつまはじきにされて定時に仕事を終えたらこうして酒を飲むより他にすることが無い。また何か動いて豊川署の捜査官と衝突すれば今度は東都警察上層部の介入も容易に想像できた。
「焦ってきますね」
誠のその言葉に全員が大きくため息をついた。
「たのもー!」
突然の突拍子もない叫び声に店の客達は入り口に目を向けた。
そこには黒く巨大な影と、少しだけ入り口を開けたところに立っている少女が見て取れた。
「シャム……」
要が呆れたようにつぶやく。赤いパーカーを着た少女、ナンバルゲニア・シャムラード中尉の能天気な笑顔にそれまでの自分が浮かべていた仏頂面を思い出して一同に自然と笑顔が浮かんだ。
「師匠!お散歩ですか?」
店の奥から飛び出してきたのはエプロン姿の家村小夏。女将の春子の一人娘でシャムを師と仰ぐ女子中学生だった。
「おう!お散歩だよ!そしていつもの!」
シャムの言葉に小夏はそのまま厨房に消えていく。
「しかし良いのか?グレゴリウス13世は……一応猛獣だろ?」
入り口をふさぐ巨大な影。それがコンロンオオヒグマの子供のグレゴリウス13世であることは全員が分かっていた。
作品名:遼州戦記 保安隊日乗 6 作家名:橋本 直