遼州戦記 保安隊日乗 6
子供だと言うのに地球の最大級の熊と同じくらいの大きさの巨体。一応繁華街であるあまさき屋の前にやってくるのは不自然を通り越して異常だった。
「知らないの?要ちゃん。このまえ豊川FMで紹介されてたわよ。街の人気者だって」
アイシャの言葉に要の顔がゆがむ。
「マジ?いいの?ロープも鎖も無えんだぞ?」
そこまで言ったところでシャムの頭の上にグレゴリウスの顔が飛び出してきた。
「なんだよ……やる気か?」
「西園寺。熊と同レベルでの喧嘩はやめてくれ」
諦めたようにカウラがつぶやく。そして厨房からは大きな鉢を持った小夏が現れた。
「はい!グリンのおやつですよ!」
そう言うと小夏は入り口になにやら赤いものが入った鉢を置く。誠は以前、小夏からこの店にはシャムの下宿している魚屋で出た魚のあらをグレゴリウスの餌として蓄えていると言う話を聞いたのを思い出した。すぐに顔だけ出していたグレゴリウスはそのままシャムの足元に顔を持ってきて鉢の中に頭を突っ込んだ。
「やっぱり動物がご飯を食べるのは和むわねえ」
「和んでる場合かよ」
アイシャの言葉に思わず要は突っ込みを入れていた。だがシャムとグレゴリウスの闖入でそれまでの重い空気が吹き飛んだのは事実だった。
「そう言えば、中尉。基地からここまで歩いたんですか?」
「アホか……そうか!吉田はどこだ!」
要が立ち上がるとパーラとサラも立ち上がった。そしてそのまま三人は二階の座敷に駆け上がっていく。そんな三人を確認すると静かにシャムの背後から吉田が現れた。
「あいつ等馬鹿じゃねえの?いつも俺が二階に現れるとは限らないんだよ」
「吉田少佐……日ごろの行いじゃないんですか?」
カウラに言われて頭を掻きながら吉田はどっかりと椅子に腰掛けた。
「どうだい、捜査の方は」
突然吉田から聞かれてため息をつくアイシャ達。
「まあ慣れない捜査活動だ。成果が出る方がどうかしてる……って言うけど茜のお嬢さんも前回の厚生局の件で味をしめたからなあ……そうそういつもいい結果が出るわけじゃないのに」
そう言うと吉田はアイシャの頼んでいた新しい烏龍茶を手にして飲み始めた。
「分かっているなら教えてあげたらどうなんですか?私達は捜査のプロでは無いんです」
「まあ言うなって人っていうやつは失敗をして学んでいくもんだよ。あの人も多少は痛い目に会わないとね。それにお前等も多少はこう言う頭を使う仕事をした方が後々伸びるよ」
カウラに聞かれて答える吉田の顔は少しばかり悪戯をした子供のような雰囲気があった。
「そんな悠長なことを言っている段階ですか?こうしている間にもあの違法法術発動事件の犯人は……」
「はいはいはい!ちょっと待てよ。落ち着けよ。俺達も腹が減ってるんだ」
そう言うと吉田は店内に入ってきてパーラとサラの座っていた席の向かいの席に腰掛けた。
「とりあえず烏龍茶と生中」
「吉田さんは烏龍茶ね」
吉田の注文を受けた春子が厨房に消える。入り口ではシャムと小夏が楽しそうにグレゴリウスの食事を眺めていた。
「おい!吉田!」
二階から降りてきた要達を満面の笑みで吉田は迎えた。
「すまないな。たまにはまともに入りたくなるんだ」
「ったくよう」
愚痴りながら要は席に戻る。付いてきたパーラとサラも仕方がないというように席に戻った。
「お待たせしたわね。シャムちゃんのビールはどこに置くの?」
「俊平の隣でいいよ」
春子が生ビールを置くとシャムはうれしそうに席に戻った。
「俊平、何食べるの?」
「そりゃあ俺はイか玉だな。お前は豚玉三倍量か?」
「うん!」
闖入者のおかげで誠達は完全にペースを乱されていた。何を話すべきだったか忘れてしまったかのように渋々烏龍茶を啜るカウラ。アイシャは自分の紺色の長い髪の枝毛を探している。
「何か作戦会議でもしてたんだろ?続けろよ。なんなら意見してやってもいいぜ」
吉田は自分が原因だと分かっているくせにニヤニヤ笑いながら誠達を面白そうに眺めていた。
「続けろったって……よう」
要はそう言うと再び酒の入ったグラスに手を伸ばす。吉田はそれを奪い取った。むっとした表情の要だが、すぐに彼女はいつもどおりつまらなそうに視線をそらすとそのまま立ち上がろうとする。
「酒に逃げるんじゃないって話だ。限界なんだろ?通常の捜査なら……」
「令状無しじゃ何にもできねえんだよ!犯人は確実に東都都心からこっちに移って来た!しかもこの一月の間でだ!そこまでわかっていながら……」
そこまで言うと悔しそうにどっかりと腰を下ろす要。同じようにカウラとパーラが頷きながら唇を噛み締めていた。
「まあな。起訴してからの裁判のことを考えなければ転居関係の情報を違法に閲覧してついでに住民票を本人に成りすまして確認、そして特定した容疑者に何かしら脅しをかけて聴取をたのんで……と言うのが俺のやり方だが……どれも今は無理だな」
あっさりと言う吉田。誰もがハッキングのプロで彼なら警察上層部に知られずに楽に不動産取引のネットワークに侵入して情報を得ることができることは知っていた。だが犯人を闇に葬ることが目的の非正規作戦任務ならともかく警察官の身分の誠達にはどれも無理な話だった。
「それに今回はたまには足を使うことも必要だって嵯峨のオヤジに言われてね。できるだけヒントを与えるだけにしろって」
「叔父貴が?アイツはサドだな」
要の言葉にサラとシャムが目を合わせて噴出す。要がにらみつけるが迫力不足のようで二人は相変わらず笑い続けていた。
「大変みたいね……私のおごり」
厨房から出ていた春子が刺身の盛り合わせを持って現れた。
「いいんですか?」
誠の言葉に笑みを浮かべて春子が頷く。母親の甘さに鉢の中を嘗め回すグレゴリウスを眺めていた小夏がいつものように要をにらんだ。
「ええ、色々大変なんでしょ?でもいつでも吉田さんや嵯峨さんの力を借りてばかりじゃ駄目でしょうしね」
「あー!頭にきた!」
そう言いながら要は立ち上がると厨房に飛び込んだ。
「大丈夫かな……要ちゃん」
アイシャの心配そうな声だが厨房ではまったく音がしなかった。
誠達が黙っていると無表情の要が手に取り皿を持って現れる。そしてそのまま一同に配り始めた。必死に怒りを押し殺している。その要の奇行を見ながら誠にはそんな彼女の思いが痛いほど分かった。
「そうカリカリするなよ」
吉田はそう言うとにんまり笑う。その表情にあわせるようにシャムそして小夏が笑みを浮かべる。
「なんで笑ってるんだよ」
そう言いながら要は刺身に一番に手をつけた。うまそうに頬張りまた酒を口に流し込む。
「捜査の基本は……餅は餅屋だ。真摯にお巡りさん達に教わればいいだろ?豊川署の連中が信用なら無いなら茜警視正からラーナでも借りれば良いじゃないか」
吉田の一言はまるで天啓のように一同を驚かせた。
「そう言えばいたわね。影の薄い捜査官が」
「今頃くしゃみでもしてるんじゃないか?」
アイシャとカウラが笑顔で顔を見合わせる。誠はようやく明るい兆しが見えてきたのでおいしく見えた白身魚の刺身に箸を伸ばした。
作品名:遼州戦記 保安隊日乗 6 作家名:橋本 直



