遼州戦記 保安隊日乗 6
最初は穏やかな言葉で場の雰囲気を作ったアイシャだが、彼女は当てにならない。おそらく彼女も要とこの小太りの署長の相性の悪さには気づいているはずだった。一応義理は果たしたと言う顔をしているアイシャの本来の行動原理は『面白ければそれでいい』である。引っ掻き回しにかかられたら誠も分が悪い。一方カウラはそんな相性などは考えることもない。ただ今回の事件が本当に豊川市に舞台を移したのかを知りたいと言う職業倫理に基づいて動くだけ。
「で……この署に法術適正者は何人いるんですか?」
早速カウラが尋ねる。実務的な話ならと、それまで不機嫌だった副署長の方がこれからの捜査で主導権を取ろうと話を切り出そうとした。だが彼も組織人である、隣の署長に目をやった。署長はなにやら複雑な笑みを浮かべて黙って要を見つめていた。要は目をそらさずにそれに答えて卑屈そうな笑みを浮かべる。この様子に先ほどまでの不快感が吹っ飛んだようで慌てて副署長が口を開いた。
「法術適正はプライバシーの問題がありますから。それに法術師で無いと捜査官が務まらないとは到底思えません」
犯罪捜査について持論を延々と展開したいのを我慢しているのが誠にも分かるように言葉を選んでの副署長の一言。署長も特にとがめるようなことを言わなかった部下に満足したようにうなづくとそのまま最初に誠達に向けた笑顔をわざとらしく作って話し始める。
「法術の検査は政令に定めるとおり、警察署においても任意の検査が原則となっているので。それに適正者で能力的に貴重な人材はすべて本庁の機動部隊に転属になって……」
「つまり手駒で使えるのはいない確立が高いと……使えねえな」
要の言葉に署長の米神が痙攣するのを見て誠の胃がきゅるきゅると痛んだ。
誠の予想通り要の『使えない』に副署長まで怒り心頭という感じで膝の上の両の手をぎゅっと握り締めているのが自分を威圧しているように感じられる。誠は口の中が乾いていくのを感じていた。
「申し訳ありませんね、どうも。うちの仕事は荒事ばかりですから。後でしっかりその点は指導しておきますので。では私達はどこに行けばいいんでしょうか?」
アイシャも要の暴走が予想より早く始まりそうに思えたようでなんとかこの場を治める決意をしたようだった。目の前の二人の警察官僚も別に喧嘩をしたくてここにいるわけではない。早速副署長が立ち上がるとそのまま署長の執務机に置かれた電話機に手を伸ばした。
「一応、結果は期待していますので」
言葉の頭の『一応』に力を入れてつぶやくと署長は立ち上がる。部屋のドアが開くと二人の女性署員が現れる。
「とりあえず着替えをお願いしますよ。その格好だと軍の人間だと思われますから」
まだ要の言葉を引きずっていると言うような副署長の表情。誠は顔を引きつらせながら立ち上がる。
「あ、神前曹長。男子更衣室まで案内します」
見た感じ四十手前と言う黒ぶちの眼鏡の女性署員。彼女の言葉につられて誠は一足先に廊下に出た。
四階建ての警察署の最上階。人気が無くて物寂しくていつもシャムなどが走り回っている保安隊の隊長室の前の廊下とはまるで風情が違った。
「こちらです」
女性署員はそのまま階段を小走りで駆け下りる。誠は慌ててその後ろに続いた。三階を通過するとそのまま二階。当然のようにそこで廊下へと進む速度についていくのが誠には骨が折れた。
「こちらです。そしてこちらに着替えてください。すでにロッカーには名前が貼ってありますのでそちらをお使いください」
それだけ言うと一礼して去っていく女性署員。誠はすでに眼鏡以外の顔の特徴を忘れたほどに個性の無かった女性署員から受け取った階級章の無い制服を手にロッカールームに入る。真昼間。誰もいない。誠はさっさと着替えてしまおうと幸い目の前にあった『神前』と書かれたロッカーを開いた。
長いこと誰も使っていなかったのか防虫剤の強い刺激臭が誠を襲う。誠はしばらく扉を開けたままそこに立ち尽くした。
『あの人達……大丈夫かな』
考えれば考えるほど事態が悪いほうに進んでいくように感じられる。誠は仕方なく急いで着替えに取り掛かった。東都警察と東和陸軍の制服の徽章を変えただけの保安隊の制服。着替える要領は同じなのであっさり着替えは終わった。
『神前曹長』
調度そのタイミングで今度は男性の声がロッカールームの外から聞こえた。
「はい!着替えが終わりました!」
そう言って飛び出した誠の前には背広を着た中肉中背の男が立っていた。
「こちらになります」
誠の顔に目も向けずに振り向くと男は先ほどの女性署員と同じような早足で歩き始める。誠はそのまま彼に従って冬の弱い日差しで陰になっている二階の通路を歩き始めた。
左側に並ぶ部屋はそれぞれ捜査関係の部署らしく私服、制服の署員がひっきりなしに出入りを繰り返していた。男はその部屋をまるでそんなものが存在しないと言うようにまん前を向いたまま歩き続ける。
なかなかたどり着かなかったが、エレベータルームを通り過ぎて人気がなくなると男の足取りは急に遅くなった。いくつかの閉まったままの扉。そのどれを開くか迷っているように何度か身を翻した後、その中の真ん中の一番地味な扉を男は開いた。
「おう、来たか」
すでに東都警察の制服に着替えていた要。黙っていれば制服が似合う彼女らしく襟に警部補の階級章を光らせている。
「そういえば大丈夫?神前……一応巡査部長扱いでよかったんだな」
カウラから誠に巡査部長の階級章が手渡された。
「それにしても……私は似合う?」
カウラと要が警部補の階級章をつけているのに対し、アイシャのそれは警部のものだった。
「おい、とっちゃん坊や。何でこいつが警部なんだ?」
誠をつれてきた男に喧嘩腰で食って掛かる要。誠は止めようと手を伸ばす体勢で話を聞いていた。
「いやあ、僕は事務方だからねえ……」
「事務屋だと現場のことがわからねえって言う気か?うちでさえ管理部門の大将はアタシ等の行動も把握済みだぞ。なんだか東都警察も……」
「黙れ、西園寺」
カウラが思い切りテーブルを叩く。
「一応、これでも仲がいいんですよ……ねえ?」
さすがに要の暴走が予想を超えていたのでフォローを入れるアイシャだが、にらみ合う要とカウラを珍しそうに眺める男の目に浮かんだ軽蔑のまなざし。こう言うことに敏感な要は怒りのようなものを覚えているらしいことは誠にも分かった。
「まあ……とりあえずこちらの部屋を使用してください。それと連絡は杉田と申すものが担当しますので」
それだけ言うと男は出て行った。いつもの面々だけになると誠達は部屋の様子を思い思いに見回した。
「用具室か。結構片付いているんだな。うちの部隊とは……」
「でも人のいるとことじゃないんじゃないの?」
カウラは何とか自分を納得させるようにつぶやくがそれをアイシャがぶち壊す。確かに何もなかった。端のほうに書類のダンボールが山積みにされ、とってつけたようにいつのころの時代のものかと聞きたくなる端末が置かれた机と椅子が四つ並んでいる。
ノックの音がした。
「どうぞ」
作品名:遼州戦記 保安隊日乗 6 作家名:橋本 直