遼州戦記 保安隊日乗 6
「お前等経由なら色々情報も豊川署に流してやれるし……あちらも所轄の玉石混交とはいえそれなりに膨大な資料を扱っているんだ。俺等の知らないことも知ってるはずだしな」
なんとも他人事のように吉田はそう言うと立ち上がった。
「いいんですか?隊長の許可は……」
カウラの言葉ににんまりと笑うラン。その笑顔は頼もしく『アタシに任せろ!』と太鼓判を押しているとこの場の誰もが思っていた。彼女はそのまま何も言わずに満足げに頷くと足袋を脱げないでいるカウラの足に手を伸ばした。
「おい、ちょっと足を上げろ」
いきなり手を出されて驚いたカウラはランに言われるままに足を上げた。そしてそのまま椅子の横棒に載せた右足の旅をとめている紐を緩め始めるラン。
「実は……おやっさんから言われててな。今回の件。誰か志願する奴がいれば捜査に当たらせてやれってよー」
器用に紐を解いていく小さなランの姿を見ながらアイシャが少しだけ目を潤ませていた。
「ランちゃん……」
「おやっさんのお考えだ。それと今アタシのことを抱きしめてみろ……ぶっとばすからな」
そう言われるとアイシャはがっくりとうつむいてしまう。それを見ながら黙々と作業を続けてワイシャツに袖を通している要が大きく頷いていた。
「まあ叔父貴だからな……裏で何を考えているのやら……まあアタシも今度の事件の馬鹿野郎には着物代を弁償してもらわないといけねえからな」
「要ちゃんも手伝ってくれるの?」
目を潤ませて手を合わせるアイシャ。要は思わず引き気味にうなづくとそのまま無視してランに目を向けた。
「で、現在の豊川署の捜査担当の部署は?」
「あそこは捜査二課だそうだ。しかも専従捜査官はいねーそうだ……危機感があるのかねーのか……当日は相当な騒ぎだったみてーじゃねーか?」
ランは顔を上げて要達を満足げに見上げる。そしてカウラの右足の足袋を脱がせると今度は左足に取り掛かる。そしてそんなランの言葉に予想通りだというように要は口笛で応じた。
「大山鳴動して軽犯罪ですか……まああれから連続して小火騒ぎがあれば本庁から捜査官でも派遣されたんでしょうが……法術の違法発動だけならそんな感じですよね」
誠も胴丸や上半身の小手などを自分でとって足袋を脱ぎ始める。その様子を確認するとランはそのままカウラの左足の足袋を脱がせた。
「まあそんなところだ。危機感が足りねーんだろうな。この前はあれほど大騒ぎしたのに被害が小さければなかったことにする。まったくお役所仕事って奴さ」
「アタシ等もお役所ジャン」
「くだらねーことやってねーで早く着替えろ!」
ランの言葉に舌を出すと要はすばやく鎧の胴を元の箱に戻した。
「でもさっきの派遣任務の話は本当と受け取っていいんですよね」
「当たりめーだろ?くだらねーこと言ってねーで着替えろ!」
ランの怒鳴り声に一斉に隊員達は着ている鎧を脱ぎ始める。誠も自分の胴丸の背中に手を伸ばしながらこれからの任務に緊張の気持ちを隠すことが出来ずに引きつった表情を浮かべながら結び目の紐を捜した。
低殺傷火器(ローリーサルウェポン)13
沈黙。それを自分が破ることを先ほど指示された誠は額に汗を掻きながらそのタイミングを計っていた。要もカウラもアイシャもその時を待っている。そして目の前に現れた人影を確認して四人が立ち上がって敬礼した瞬間誠は口を開いた。
「私が……専従そっさかっの……」
「馬鹿!噛むんじゃねえ!」
ゆっくりと会議を終えたと言うことで難しい顔で所長室に入ってきたずんぐりむっくりの豊川警察署の署長。悠然と誠の前に現れたその姿を前にして誠は緊張のあまり挨拶すらできない有様だった。そんな誠は明らかに怒りの骨髄反射を起こした要に足の親指をパンプスのかかとで踏まれた。
飛び上がりたい痛みに耐えながら挨拶を再開しようとする誠。その痛々しい姿を見て表情を緩めた署長は笑みを浮かべながら口を開いた。
「まあ緊張しなくても……まあかけてくれます?」
署長は小太りで白髪が混じってはいるが良く見れば20代後半と言う感じに見えた。でこぼこコンビの大きい方という感じにも見える妙に張ったえらが特徴の角刈りの副署長。こちらは明らかに敵意で武装して誠達を見ながら自分の中で値踏みでもしているように見えた。
「ほら、座ってくださいよ」
丸顔をさらに丸くしたように笑う署長はリラックスして応接ソファーに誠達を座らせた。
出向メンバーとして選ばれたのは誠、要、カウラ、そしてアイシャだった。運行艦の運用研修がまだ途中のはずの艦長代理のアイシャ。だが、いつものように自分の上官で運用艦『高雄』艦長のリアナの頼みに弱いことを利用して渋るリアナを説得してなんどかこのメンバーに紛れ込んだと言う話だと誠は聞いていた。そしてどこか落ちつかな誠達の中で一人、悠然と座って小太りの署長に色目を使うところはいつもどおりのことだった。
「法術となると……うちでは素人捜査しかできないものでね」
署長のその言葉に明らかに不機嫌そうな顔をさらにゆがめる副署長。署長は本庁からの出向のキャリア組み、副署長は上級職からの現場叩き上げと言う経歴。誠も保安隊に配属以降、なんどか警察に出入りしているうちに相手の持っている雰囲気やしゃべる内容で相手の経歴がある程度わかるようになってきていた。
副署長の『我々にも法術に関する資料が有れば十分に捜査活動は可能なんです!』と言いたそうな顔を十分時間をかけて眺めた後、ゆっくりとアイシャは話を始めた。
「法術に関しては未だ未解明な部分が多いですから。正直な話、警察署に閲覧権限が無い法術関係の資料を我々が所持していることは否定しません。ですがそれは上層部の決定によるもので私達の一存ではなんとも出来ません。ですので今回私達が専属捜査官としてこちらにお世話になって、それらの情報も十分駆使して解決のために全力を尽くすことに決まりました」
同じことを要が言ったらたぶん副署長は怒りに任せてその場を立ち去っていたことだろう。誠は言いにくい話をさらりと言うアイシャの技術に感心しながら話を聞いていた。
文句は山ほどある。そんな顔の副署長を見るとアイシャは大きくため息をついてカウラに目をやった。カウラもそれが多少へりくだって見せろと言うアイシャの意図だと悟って静かな調子で口を開く。
「こちらもまだ捜査のノウハウを蓄積している段階です。市民社会への法術の情報提供はまだ各地で論議の最中ですが、残念なことに情報の漏洩や一部在野研究者による情報リークが進んでいるのが現状です。これからはさらに凶悪化、組織化が予想されますからできるだけ早く対応することが必要になります」
「とうちの責任者は申しております」
カウラの穏やかな言葉に茶々を入れた要。その言葉に明らかに不快そうな顔をしたのはそれまで穏やかな表情だった署長の方だった。キャリアの署長。その言葉自体要の気に入る要素は無い。誠はなんとかこの場を乗り切ろうと考えはじめた。
作品名:遼州戦記 保安隊日乗 6 作家名:橋本 直