遼州戦記 保安隊日乗 6
しかし、馬との相性が最悪のカウラは他の士官達が最低でも隊から貸し出した胴丸を着た乗馬クラブの係員に引いてもらいながらよたよたと騎乗を続ける中。去年は一人重そうな大鎧を着こんで一人歩いて行進していたと言う。今日のグラウンド一周の練習の時も嵯峨の顔で借りた乗馬クラブの馬との相性の悪さを再確認させるようにそもそも馬の轡に触れることすら出来ないで少し落ち込んでいるように見えた。
すでに自分で緋糸縅(ひいとおどし)の西園寺家伝来の縁の大鎧を脱ぎ終えて狩衣姿の要が扇子を翻しながらカウラを冷やかすタイミングを計っていた。
わいわいと年に一度のイベントと言うことでお互いの胴丸姿を写真に撮り合っていた警備部の金髪の隊員達。さすがに飽きが来て部屋の隅で鎧をしまっている運行部の女性陣の手伝いを始めて視界が開ける。すると要の表情は一気に呆れたようなものに変わる。
「それにしても……アイシャ」
扇子を懐に収めると要が大きくため息をつく。その目の前には他の隊員とはまるで違う鎧姿のアイシャがいた。
「なに?要ちゃん」
「その鎧やっぱおかしいだろ?おかしいと思わないのか?」
「いいじゃないの。これは私の私物なんだから」
そう言って鉄でできた胴を外すアイシャ。彼女だけは戦国末期の当世具足姿だった。剣術道場の息子で多少そういう知識もある誠も違和感を感じはするが、どうせアイシャに何を言っても無駄なのは分かっているのでただ黙ってカウラが鎧を脱ぐのを手伝っていた。
「そう言えばシャムは?」
要は床机に腰をかけて一月の寒さを身に受けながらも平然と扇を弄っている吉田に声をかけた。
「あいつか?馬の世話だよ。それにしてもなんだ……お前等の追っている事件」
「別に追ってるわけじゃねえよ」
「なら気にならないわけだな」
そっけなく言うと吉田は立ち上がった。
「いや……アタシ等の担当じゃねえけどさ。気になるじゃねえの。他人の能力で相撲を取る卑怯者……うちは法術とは因縁があるしさ……何か知っているのか?」
明らかに素直さに欠けるいつもの要の姿を見ると満足したように吉田は再び床にどっかりと腰を下ろす。
「なあに、今回の事件の情報に関しちゃ俺の知ってることと茜のお嬢さんの知ってることの差なんてほとんど無いよ。ただ……」
「ただ?」
もったいぶった吉田の態度に誠に背中の紐を緩めてもらうために身動きできないカウラ。彼女もいらいらしながら吉田に話を促すような相槌をいれた。
「こう言うイカレタ連中を相手にしてきた経験が長い者から言わせて貰うとだ。急に犯行の場所が飛んだことにはそれなりの理由があるはず……と考えるのが自然だな。犯人の拠点が東都西部に移った……たまたまこちらに来て悪戯の虫が騒いだとしてこちらに来る特別な何かの理由があるのか……」
「吉田少佐。もしかして住民認定の記録を全部見たんですか?」
呆れたように口を挟んだ誠に頷く吉田。
「でもなあ……法術関係の資料は極秘扱いだ。俺でも簡単には開けない。そこで法術特捜の名前で捜査令状を……」
「無茶をおっしゃらないでいただけます?」
そこにはいつの間にか鎧兜の並んだ部屋にふさわしいような和服姿の茜が立っていた。
「あっお嬢さんいらしたんですか?」
吉田は胡坐の姿勢からさっと立ち上がると平安武者の臣下よろしくさっと片膝をついて茜に伺候する。
「吉田少佐。そんなに卑屈にならないでいただけます?」
いつものように優雅に空いた丸椅子に腰掛ける。当然のようにその隣には荷物を持ったラーナが立っている。
「卑屈にもなりますよ……捜査に関しては嵯峨のオヤジさんが助けを呼ぶまで手を出すなって言われてますし」
「じゃあさっきの話だとすでに手を出しているみたいですわよね」
いつもの氷のような流し目で吉田を一瞥して黙らせるところは茜の父が遼州一の悪党と呼ばれる嵯峨惟基であることを再確認させた。冷たく澄んでいてそれでいて見ているものを不安にする何を考えているのか読めない見せ掛けのような微笑を作る技。誠はいつ見てもその表情の作り方に親子の面影を見て感心させられていた。
「法術絡み。特に調査がほとんど及んでいない能力を持った馬鹿が相手だぜ?多少法の目をくぐって無茶をしてもさっさとあぶりだすのは得策じゃねえのか?今は人死にが出ていないんだ。そのうち暴走してどうなることやら……」
要の言葉には誠もカウラも頷くしかなかった。
「でもそうなれば東都警察は面目丸つぶれよね。またマスコミからうちの暴走を止められずにそれどころか手柄まで持ってかれたなんて……。まあ、『税金泥棒』の称号がうちから東都警察に移るのは結構なお話だけど……」
鉄製の重い胴を外して伸びをしながらのアイシャの言葉。誠はやはり自分が組織人であることを再確認した。
「よくわかっているじゃねーか」
そう言って歩いてきたのはすでに勤務服に着替えを終えて半分笑顔を浮かべているランだった。
「今回は多少は東都警察に活躍してもらわなきゃなんねーんだ。きついぞ、人に手柄を取らせるってのは」
頭を掻きながら部屋の隅の折りたたみ椅子を小さな体で運んでくるラン。
「クバルカ中佐!お願いがあるんですが!」
「アイシャ……萌えたから抱きしめさせてくれってーことならお断りだかんな」
アイシャを警戒するような瞳で見つめるラン。それをみてカウラが噴出しそうになる。
「信用無いですねえ。私」
「まあいつものことだからな」
そう言いながら要は小手を外す作業に取り掛かった。
「それよりクラウゼ。お願いはどーした?」
ようやく話を戻そうとしたラン。しばらくアイシャは話を振られたことを気づかないように突っ立っていた。
「早く話せよ。くだらねー話ならぶん殴ってやるから」
指を鳴らしながら小さなランがすごんで見せる。誠から見てもその光景はかなり滑稽だった。ランの身長は128cm。一方のアイシャは180cmに近い。小学生がプロスポーツ選手を脅迫しているようにしか見えない。つい笑いがこみ上げてくる。
「私達を派遣してくれませんか?豊川署に」
『は?』
時が止まったようだった。誰もがアイシャの言葉の意味を理解できずにいた。ただ一人吉田は納得したように頷いている。
「あれか。法術関係捜査の実績はあるからな。その経験を生かしての助っ人と言うことなら……受け入れてくれるかもしれないねえ」
吉田の言葉にようやく全員がアイシャの意図に気づく。そしてその視線は自然と法術特捜の全権を握る茜へと向けられた。
茜は襟元に手をやりしばらく考えていた。
「別にはったりじゃないですし……実績ならありますよ。厚生局事件の報告書は豊川署でも閲覧できるはずですから」
アイシャの言葉に小首をかしげて考えにふける茜。その肩をランがぽんと叩いた。
「アタシは無理だが……クラウゼにベルガーに西園寺に……神前。これで十分だな」
「え?島田君達は?」
そんなアイシャの言葉に首を振るラン。彼女も一応この部隊の主である技術部部長、許明華大佐の部下に隊を離れる命令は出せないことは誰にも分かっていた。
作品名:遼州戦記 保安隊日乗 6 作家名:橋本 直