遼州戦記 保安隊日乗 6
アイシャがそう言うと後ろの椅子においてあった自分の黒いポーチに手を伸ばした。すぐに端末を取り出すと耳にあてがい相手が電話に出るのを待つ。
「またパーラか……かわいそうだな」
要が同情するのも当然だった。運用艦『高雄』の火器管制官パーラ・ラビロフ中尉。アイシャやカウラと同じ人造人間の『ラスト・バタリオン』として生を受けた彼女の一番の不運は保安隊設立時に当時操舵手だったアイシャといつでも行動を共にすることになったことだった。
趣味に関してはいくらでも暴走する。問題を起こしても要領よく一人だけ切り抜ける。そして徹底的に人使いの荒いアイシャとの腐れ縁は隊員達の多くが同情するところだった。
「いいじゃないの。あの子の車だって走って何ぼでしょ?……ああ、パーラね!今どこ?……」
さも車をパーラの運転で借りることが当然というような顔のアイシャ。誠達は何も知らないパーラがまた慌てて自分の四輪駆動車に走るのを想像して同情の笑みをこぼすことしか出来なかった。
低殺傷火器(ローリーサルウェポン)10
「豊川警察署か……島田君がいたら逃げ出すわね」
自分のピンク色の髪をなでながらパーラは後部座席に乗り込む誠達を見ていたがその目は笑ってはいなかった。バイク乗りで何度か免許停止を食らっている島田。そんな他人のことでも口に出さなければ疲れて帰ってきたところにいきなり呼び出されてこんなところまで車を走らされたことに怒りが爆発しそうなんだろう。明らかに人造人間と分かるその髪の色の持ち主のいつものさわやかな笑顔が誠にはどうにもそんな感情を押し殺したもののように見えた。
そんなパーラの思いなど関係ない。そう言いきる様にアイシャは済ました顔で助手席に乗り込んだ。運転席の後ろには茜、付き合うようにランとカウラが乗り込んだ。誠は要に三列目のシートの奥に押し込まれる。
「別に交通課に私達はお話がある訳ではないですもの。これもお仕事。割り切ってもらわないといけないですわね」
パーラの言葉の意味も知らずに運転席の後ろのシートで茜がつぶやくのにアイシャが大きくうなづく。しかしそんな茜のパーラや隊の日常を知らない一言のおかげで、誠達はこれが尋常ではない何かが起きているのではないかという事実に気づいた。
「お仕事……?私達が豊川警察署に向かうってことは例の他人の法術能力を使って悪さをする暇人が何かこの近辺でやらかしたとか?」
アイシャの問いに答えずにそのまま前を向いてしまう茜。そしてカウラがシートベルトを締めるのを確認するとパーラはゆっくりと車を出した。
「ちゃんとベルトはしてくださいね」
そう言った相手が要なのは誠もすぐに分かった。いそいそと要がシートベルトを締める。
「何をしたんですか?……いいえ、何が起きたんですか」
カウラの問いに一度ためらった後、茜は口を開いた。
「今度は時空間制御系の操作ですわ。能力者は70代の女性。自転車で走っていたところで急に自転車が加速しているように感じられて下りてみたら時間がずれていて転倒って話よ」
聞いてみればあまりに小さな事件だった。確かに東都警察にとっては『こんな程度』の事件なのだろう。誠が横を見れば要は明らかに事件の小ささに不満げな表情を浮かべている。しかしそれが法術を使ったものだと言うことで自分も法術師である誠の酔いはすでに醒めていた。
「なんだよ婆さんが転んで怪我でもしたのか?それでも事件かよ」
我慢できなかったと言うように要がそうはき捨てるように口走った。一瞬その言葉に茜は身を翻して要をにらみつけた。それは先ほどあれほどウォッカを飲み続けていた人物と同じものとは思えない。誠は横で見ていてその視線に背筋が凍るのを感じた。
そんな茜の恫喝に平然の嘲笑で答える要。茜はあきれ果てたと言うように前を向いてしまう。パーラはそんな車内のごたごたに関係したくないというように警察署に続く大通りへと大型の四輪駆動車を進めた。
「一応法術の発動に許可が必要になったのは皆さんもご存知ですわよね。神前曹長!」
「はい!」
同い年とはいえ一方は司法局のエリート。誠は士官候補生崩れの新米下士官。呼ばれたら答えるしかなかった。
「法術の発動は市街地では自衛的措置以外は原則として全面禁止。違反した場合には30万円以下の罰金か6ヶ月以下の懲役が科せられます!」
「……ということですわね。もし演操術系の法術師の介入が認められなかったら罪も無い哀れなお婆さんが無実の罪に服することになるわけだけど……。どうやら要さんはそんなことはご自分には関係ないとおっしゃりたいわけね?」
先ほどあれほど飲んでいたのが不思議に思えるくらい平然と茜はそう言って振り返った。
「……別に……アタシは……そんなことを言いたいわけじゃ」
口ごもる要。茜は自分の理屈での勝利に満足することなく大通りの左右に目をやった。市役所を越えればそこは警察署の中庭。深夜だと言うのに機動隊が入り口を固めて、その三階建ての見慣れたビルは一瞬城砦のようにも見えないことは無かった。
「厳戒態勢だな……やりすぎじゃ無いのか?」
正門からパトランプを点灯させて走り出すパトカーを見ながら要がそうつぶやいた。誠もその意見には同感だった。そのまま二台のパトカーをやり過ごして正門を通れば早速警棒を持った警察官に止められた。仕方なくパーラは窓を開いた。
「済みませんが……どちらの……うわっ!」
窓に突っ込んできた警官は思わず車内のアルコールのにおいに驚いたようにのけぞった。
「ああ、私は飲んでませんから!」
「そんなことよりも……これ、身分証」
厄介者を見つけたという表情の警官に茜が身分証を差し出す。その中を見るとすぐに警官は身じまいを整えて敬礼した。
「失礼しました!そちらの奥が空いています!」
「有難う」
警官の態度の豹変に楽しそうな顔をしながら茜は着物の襟元を調える。誠が振り返れば先ほどの警官が同僚になにやら耳打ちしているのが見えた。
「法術師一人に機動隊を全員召集か?過剰反応だな」
「うちが鈍感なだけよ。結構法術に対する誤解はあっちこっちであるものなのよ。たぶんここの署長はこの面々でも足りないと思ったから渋々茜さんの所に連絡してきたんじゃないかしら」
カウラの言葉をアイシャがたしなめた。誠もこの警察署の対応がある意味今の東和を象徴しているような気分になってきた。法術は意識を介して発動する力だと言うことは訓練でさんざん叩き込まれてきた。自分が力があることを意識すること。それがあって初めて法術は発動する。決して恐れるような類では無い。でも力を持たない人には力を使える可能性があること自体が脅威に感じられる。そんな力を持たない人々の数の暴力を正門の前に整列する機動隊の中に誠は見ていた。
「はい、到着」
署長の公用車らしい大型乗用車の隣に車を滑り込ませたパーラ。その一言に早速二番目の席のランとカウラが飛び出していく。続いて静かに反対側のドアを開いて茜も車を降りて署の建物に向かう。
「元気だねえ」
作品名:遼州戦記 保安隊日乗 6 作家名:橋本 直