遼州戦記 保安隊日乗 6
そう言いながら要はカウラが座っていた二列目の席を倒すと目の前のなかなかドアを開けようとしないアイシャの後頭部を小突いた。
「何するのよ!痛いじゃないの!」
「そりゃそうだ。痛くしてるんだからな」
いつもの要とアイシャの小競り合いに苦笑いを浮かべながら誠は仕方なく茜の座っていたシートを倒して反対側のドアから外へ出た。夜だというのに警察署の明かりはかなり煌煌と夜の空を照らしていた。
「それじゃあ行きましょう」
着物の袖を気にしながら助手席から降りた茜の案内で誠達は署の建物に向かう。
「何度も言うけどさ、婆さんがひっくり返って軽い怪我をしただけでこの始末か?」
「彼等にとっては法術と言うのは未知の存在だからな」
カウラの言葉を聞き流すように要は一人入り口で立ち止まった。
「アタシはタバコを吸っているから先行ってろよ」
「仕方ないですわね」
いつものことなので慣れているというように茜はそのまま入り口の戸を押して署に入る。
「法術特捜の方ですか?」
茜の紺色の落ち着いた風情の和服。確かにこの姿は一目見れば誰でも記憶に残るものだ。入り口でのアルコール臭吹きかけ騒動も報告済みのようで、すぐに警部の階級章をつけた初老の捜査官が声をかけてきた。要以外は全員が170センチ以上の長身の女性の集団である。しかも島田が免許取り消しになった時などに顔を出していたのでアイシャやパーラあたりの顔はそれなりに知られているようで周りの署員は驚いた様子も無くこの奇妙な集団を無視してそれぞれの持ち場へと歩み去っていく。
「それにしてもお早いお着きで。しかも保安隊の方も同行されるとは」
明らかに下手に出てやると言う慇懃無礼な態度に、誠は要がこの場にいないことにほっとしていた。
「この様子はちょっと意外ですわね」
「なあに。ようやく東都警察も法術に関するノウハウを得たのですからこれからは反転攻勢に転じますよ」
明らかにこちらを舐めているような態度にカウラが頬をひきつらせている。
「どうせ特殊法術部隊の受け売りじゃないの。当てにしていいのかしらねえ」
小声でアイシャが陰口をつぶやくのも誠が見ても当然の話だった。
「ウォホン!」
初老の警部の咳払いに陰口をやめたアイシャだが、その目は完全に東都警察には法術師関連の事件捜査はできないと決め付けるような生温かい目だった。
「じゃあわたくしにも見せていただけませんでしょうか?実地の検分等は済ませたんですわよね?」
茜が口を開くが猛烈なアルコール臭に警部は眉をひそめる。
「それはしらふに戻ってからのほうが……」
「これくらいはたしなむ程度ですの。それにこういう事件は初動捜査が犯人逮捕の鍵と言うのが信念ですから」
そう言うと茜はそのまま捜査官達がたむろしている階段へ向かおうとする。必死になって警部が止める。
「その……酔いが醒めるまで……少し仮眠を取ってから……」
慌ててしがみつこうとする警部の手が袖にかかるのを嫌うように茜は身を翻した。
「そうですわね。お酒が入っているのは事実ですものね。それじゃあ明日早朝にはお伺いしたいので資料などをそろえておいていただけません?」
明らかに茜は狙っていた。誠はそう確認した。法術犯罪解決の手柄が欲しい東都警察がすんなり資料を渡さないのは彼女も経験で知っているのだろう。
「ええ、揃えますから!ですから!」
土下座でもしかねない相手に軽く笑みをこぼすと茜は呆然と突っ立っている誠達の所にやってくる。
「ベルガー大尉」
「は?」
「お部屋に泊めていただけません?」
突然の茜の申し出にぽかんと立ち尽くすカウラ。そしてその横ではニヤニヤ笑っている要とアイシャの姿があった。
「自分はかまいませんが……寮は狭いですよ。妹さんのお部屋はかなり……」
「あの子は駄目。知っているでしょ?あの子の性癖」
大きくため息をつく茜。そこにタバコを吸い終えた要が飛び込んできた。
「おい、行かないのか?おう、そこのおっちゃん捜査本部は知らねえかな?」
態度のでかい要に先ほどまで下手に出ていた警部が急に姿勢を正して要をにらみつけた。
「西園寺!テメー!」
「痛え!」
ランが思い切り要の左足のつま先を踏みしめた。そのまま要はうずくまる。
「ああ、こいつが酔っ払いです」
「つれて帰るので、資料をよろしく」
アイシャとカウラがそのまま立ち上がろうとする要を羽交い絞めにして引きずって警察署の玄関まで連れ出した。
「何だよ!アタシが何か……」
二人を振りほどいて体勢を立て直そうとする要の顔の前には茜の顔があった。明らかに不機嫌なそれ。ようやく要は自分が何かへまをしたらしいことに気づいて頭を掻きながらさっさとパーラの車に向かった。
「ともかく、ベルガー大尉。よろしく」
今度は打って変わってのお嬢様の笑顔。カウラは仕方なく笑みを浮かべてそれに応えることしか出来なかった。
低殺傷火器(ローリーサルウェポン)11
水島勉はようやく部屋にたどり着いてコタツにもぐりこむと大きくため息をついた。そして自分が何をしたのかようやく分かってきて沸いてくる笑顔がとめることができなくなっていた。
「法術師……悪くないな」
久しぶりの自分の笑顔になんだか楽しくなってくるのが分かる。
半年前。会社を突然解雇された。理由は半月前に社で強制的に受けさせられた法術特性が陽性だったからだった。組合に入っていた同僚達はそのまま団体交渉に入ったが、組合というもののアレルギーを持っていた彼は一人で退職して半年間は寮に居住できるという条件と割り増しの退職金の支給という条件でで満足した。そのときは少しばかり高い退職金にすっかり得をした気分でうきうきしていたことを今でも思い出すことが出来る。
しかし、退職手続きを終えてから急に区民会館に呼び出されて行われた検査の後で様相は変わり始めた。実際後で聞いてみれば自分の反応は他の法術師の反応とは違うということだった。なんでも空間に介入して時間軸や状態を変性させる能力や思考を読み取ったりする能力があるという話だが、彼にはそんな能力があるわけではない。その結果が社に伝わると退職金の半額の返納請求書と見たことも無い書類とそれに押された自分の実印を目にすることになった。書類の内容は寮からの一週間以内の退去に同意しているので荷物をまとめて出て行けという内容だった。
怒りは無かった。ただ頭の中が白くなったのを今でも覚えている。退職をほとんど当たり前だと言う調子で告げた上司もさすがにこの決定にはばつが悪かったらしく、彼の友人が経営している湾岸地区のアパートに三ヶ月だけ住まわせてくれると言う約束を取り付けて急いでそこに移った。
職業安定所に行く気にはならず、有料職業紹介の会社に何度か連絡を入れたがすべて門前払いを受けた。手元の退職金はそれなりの額がある。町工場を経営していた父の残した遺産もある程度あり数年は食うに困らないのは分かっていた。
焦る気持ちと諦めかけた気持ちを切り替えようと工事の騒音が響くアパートの一室で水島は学生時代の教科書を引っ張り出して法律の勉強を始めた。
作品名:遼州戦記 保安隊日乗 6 作家名:橋本 直