遼州戦記 保安隊日乗 6
だがそれが絡み酒になると分かっているから始末が悪い。しらふなら黙って済ましている和服の似合う美人で済むが、彼女の酔い方は独特でこの人はと言うターゲットを見つけると徹底的に絡みながら際限なくこの物静かなペースで飲み続けるのだから最悪だった。そして今日のターゲットは要。四人がけのテーブルに差し向かいに要を座らせるといつもの絡み酒を繰り広げている。
今日も早速遼州同盟司法局本部の調整担当官秘書の大河内麗子少佐への愚痴を要に向かってもう三十分も続けていた。
「彼女が語学が得意なのは分かりますよ。確かに胡州の高等予科学校から海軍大学校に直接入学なんて十年ぶりの快挙なのも分かっています。でも……」
「だからあいつはアタシの担当じゃないんだよ」
要は右ひじを握り締めながら体内プラントでアルコール分解ができるサイボーグの自分とほぼ同じペースでウォッカを飲み続ける茜に辟易していた。それもそのはず、そのウォッカは要のボトルキープしている酒である。茜はまるで意に介さずに次々と手酌で杯をあおる。
「いいんじゃないの。聞いてあげなさいよ。タコ中佐も困っているみたいだから解決したら何かおごってもらえるかも知れないわよ」
さっきから茜の酔い方が面白いので烏龍茶に切り替えて観察を続けているアイシャがつぶやく。
「あいつがか?駄目駄目!あのおっさん明華の姐御と婚約してからはすっかり尻に敷かれてるじゃねえか。もしおごってくれたとしても後で姐御にその分催促されるんじゃねえの」
タコ中佐ことランの先任に当たる実働部隊部隊長の明石清海中佐が調整担当官をしており、その秘書の麗子の傍若無人なお嬢様気質に時々泣き言を漏らすのを誠も聞いた事があった。
「茜……まあ仕方ねえじゃないか。同盟の各部局の中でも司法局は人材的には隔離病棟扱いされてるからな。ああいうテストは得意だけど実際の運用はまるで駄目。その癖へ理屈は一人前の達者な人間が送り込まれても黙って耐えなきゃならない時もあるんだよ」
そう言うと苦々しげに要はグラスを傾けた。保安隊の『瞬間核融合炉』と呼ばれる短気に手足を生やして歩いているような要の口から『耐える』と言う言葉が出てきたので黙って聞いていたランとカウラが顔を見合わせた。アイシャは噴出すのを必死で堪える。
「本当に……要さんの言葉は一般論」
そう言うと茜はまた空になった猪口に勝手にウォッカを注いだ。
「あのなー。そんな強い酒割らずに飲んだら胃が焼けんぞ」
さすがに黙っていられなくなったランの言葉。まずいと思って頭を下げたラン。だがすでに茜は満面の笑みを浮かべて茜が振り向いていた。要を生贄にして誠、カウラ、アイシャとまるで通夜のように静かに息を殺していた自分の苦労が泡と消えたことに気づいたランの頬のほろ酔いの紅色が瞬時に醒めていくのが見える。
「だってせっかく蒸留して濃くなったアルコールですのよ。そのまま飲まないともったいないと思いませんの?」
言っていることがだんだん支離滅裂になってきているが表情はまるでしらふの時と変化が無い。ランはうわばみと化した茜にじっと見つめられながら三人に目をやる。当然誠達は関わってたまるかと言うように目を伏せる。
「あ……そーだなー……もったいないねー」
小柄で舐められるとどんと構えているいつもの威厳はどこへやら、まるで子供そのもののように両手で掴んだグラスで慌ててビールを飲み干すラン。誠もこの奇妙奇天烈なやり取りに噴出しそうになるのを必死に堪えていた。
茜はそんな腫れ物に触れるようなランの態度が気に入らないと言うように自分の目の前の鉄板に目を向ける。すでにつまむ物は食べつくして何もなくなった鉄板の上のこてをかんかんと鳴らして見せた。
もう限界だった。そんな時の度胸はアイシャが一番なのは誠も知っていた。
「茜さん……もうすぐ看板だと思いますから……」
「良いのよクラウゼさん。これで要さんがまたボトルを入れてくれればうちも助かるもの」
そう言って気を利かせて女将の家村春子がビールを運んできた。誠とランはまだ二杯目。アイシャとカウラは相変わらず烏龍茶を飲み続けていた。
「なんですの?皆さん黙り込んじゃって。今日はわたくしのおごりにしますからどんどん頼んでいただいて結構ですのよ」
「じゃあアタシの入れるボトルもか?」
要の一言にキッと目を向ける茜。
「すいません、警視正……」
「いいんですのよ。焼酎なら入れてあげる」
「アタシは焼酎は飲まないんだけどなあ」
急に機嫌が良くなる茜。多少はアルコールが回っているらしい。誠達はやっと一息ついた。誠はビールを飲みながら先ほどの茜の絡み酒の間に冷えてしまったたこ焼きに手を伸ばそうとした時だった。
茜の通信端末が呼び出しの音楽を奏でた。
「ちょっと待ってくださいね」
そう言うと茜は周りを気にするようにして立ち上がりそのまま店の奥のトイレへと消えていった。あまりに突然で自然だった。あれだけ飲んでくだを巻いていた茜が一瞬で酔いを醒まして見せたのかと呆れて誠達は顔を見合わせる。
「どうした……事件か?」
そんな中で要は一番に正気を取り戻していた。そして手にしたショットグラスに満たしたウォッカをあおる。
「まあ法術特捜の捜査官はいまだに嵯峨警視正一人だからな。代わりがいないのはつらいんだ」
カウラの言葉に誠も頷く。同盟司法局と警察庁の関係は決して良好とは言えない。三年前に設立されたばかりのよそ者がうろちょろしていることを同業者がいい顔をするはずが無いのはどの業界でも同じことだった。だがこれまでは東都警察もこと『法術』に関しては保安隊など司法局貴下の組織に一日の長があることを認めていた。
法術に関して遅れをとっていた東和警察も、ここ半年で各警察署に署員の法術適正検査を行って適正のあるものに片っ端から召集をかけて独自の法術犯罪対応部隊を設立していた。さらに先月には一般からの法術師の応募にまで踏み切っている。法術犯罪のノウハウはほとんど無いが人間の数は揃えたと自慢げで捜査は任せろと言わんばかりの東都警察の上層部が法術師を同盟司法局に出向させてくれることなど夢のまた夢の話だった。
捜査には慣れているが人の足りない司法局。頭数は多いが操作方法に関してはずぶの素人もいいところの東都警察。お互いの足の引っ張り合いは司法局の一員である誠から見てもあまりに無様だった。
「でも茜ちゃんだからいいのよね。私なんかあんなに飲んだら倒れちゃうわよ」
「ありゃあ特別な血族だからな。楓も叔父貴も酒はいくらでも飲みやがる」
要の言葉にさすがのアイシャも同意するように頷いた。
トイレから出てきた茜の表情はほとんどしらふといっていい状態だった。
「すみませんけど豊川警察署までのタクシーを手配していただけません?」
そのあまりの変わりように再び呆れる誠達だが茜の真剣なまなざしがすでにおちゃらけた言葉を吐けるような雰囲気を抹殺してしまっていた。
「普通のタクシーでいいんですか?できれば助手とかになってくれる人も乗れるような車のあてならありますよ」
作品名:遼州戦記 保安隊日乗 6 作家名:橋本 直