遼州戦記 保安隊日乗 6
だが安心は出来ない。しばらく誠は沈黙していた。
「大して汗もかいてねえんだろ?とっとと上がれよ」
扉を直している要の叫び声が響く。好奇心に負けて外を覗いて見ると目の前で食って掛かるには相手が悪すぎるとうつむきながら自分の個室に戻るアンがいた。彼の視線が責めるように誠に突き刺さる。それにどう答えるか迷っているうちに扉を抱えている要と目が合った。
「でも……西園寺さん。非常識ですよ。男子用シャワー室に乱入なんて」
「は?いつも飲むたびに股間の汚えものを見せ付けて踊っている奴のいうことか?」
その言葉に誠は何もいえなかった。酒は弱くは無いが飲むと記憶が飛んでしまう誠の無茶な飲み方はどうにも治る気配が無かった。そして気が付くと全裸と言うことが何度も繰り返されていた。何も言い返せなくなった誠はレールに扉を乗せようと動かしている要を一瞥するとそのまま蛇口を最大にひねって無駄にお湯を出すと髪を激しい水流で洗い流した。
「僕は……」
「黙ってろよ」
アンにそう言うと誠はシャワーを頭から浴び続ける。だんだん体中の石鹸の成分が抜けていくような感覚がなぜかいらだった気分を切り替えてくれていた。
「おい、終わったからな外で待ってるから」
そう言うと扉を取り付けなおした要はドアを閉めた。しばらくシャワーの水の音だけが部屋に響く。
「よしっと」
誠はお湯を止めるとそのまま廊下に出てあることに気づいた。
「あ……勤務服は更衣室だった」
その一言にシャワーの上から顔を出すアン。だがドアの外にはさらに耳に自信のあるサイボーグの要がいた。
「おい、取ってきてやるからそこにいろよ。ロッカーのバックの中か?」
「ええ、勤務服は吊るしてありますから」
要の気配がドアから消えた。
「やっぱり西園寺大尉のことが好きなんですね……不潔ですよ」
アンはそう言うとそのままシャワー室のかごの中のタオルで体をぬぐい始めた。
「不潔って……」
「だってそうじゃないですか!クラウゼ少佐とホテルに入った所を菰田曹長が見たって噂ですよ!」
「は?」
誠は呆れるしかなかった。菰田邦弘主計曹長。管理部門の経理部主任の事務方の取りまとめ役として知られる先輩だが、彼は誠の苦手な人物だった。ともかく彼の率いる誠の上官カウラ・ベルガー大尉の平らな胸を褒めたたえる団体『ヒンヌー教』の教祖を務めていて部隊に多くの支持者を抱えていた。
カウラも明らかに迷惑に思っているが、それを利用して楽しむのが運行部のアイシャ・クラウゼ少佐の日常だった。間違いなくでっち上げたのはアイシャ。そしてそれに乗って騒いでいるのが菰田であることはすぐに分かった。
「あのさあ。そんなこと信じてるの?」
体を拭き終えてパンツをはき終えたアンに尋ねてみる。そのままズボンを履くと気が付いたように誠に顔を向けた。そしてしばらく首をひねった後、アンの表情が急に明るくなる。
「そうですよね。そんなことやる甲斐性は先輩には無いですからね」
「甲斐性が無いってのは余計だよ」
そこでにやりと笑うアン。誠もしばらくは笑顔を向けていたが、そのアンの表情が次第に真顔に変わるのを見て目をそらした。
「本当に僕のこと嫌いなんですね」
悲しそうにそう言うとアンはワイシャツのボタンをはめ始める。
沈黙。これもまた誠に重く圧し掛かった。
『早く来てくださいよ!西園寺さん!』
心の中で願う。一秒が一時間にも感じるような緊張が誠に圧し掛かる。そんな彼に熱い視線を投げて着替えているアン。
「おーいこれ!」
引き戸が開き要が誠の勤務服を投げてきた。
「有難うございます!」
「はあ?濡れちゃったみたいだけどいいのか?」
誠は要の到着を確認すると涙を流さんばかりに自分のシャツに手を伸ばした。
「まあいいか。アン!楓が探してたぞ!」
「ああ、すいません」
着替えの終わったアンは要の言葉にはじかれるようにして飛び出していった。
「あのー西園寺さん」
「なんだ?」
「パンツを履きたいんですけど」
シャワーのブースの中でじっとしている誠を見て要は急に顔を赤らめた。
「散々見せられてるから平気だよ。さっさと着替えろ」
「ふーん。こうして一歩誠ちゃんと仲良くするわけね」
突然の言葉に誠も要も驚いて入り口に視線を向けた。満足げな表情のアイシャが全裸の誠をまじまじと見ていた。
「クラウゼ少佐……」
「さっき要ちゃんが言った通りじゃない。私も見慣れてるから平気よ」
「僕が平気じゃないんです!」
「へ?」
呆れたような顔に変わったアイシャの表情。明らかにそれが作ったような顔なので要はその頭をはたいた。
「痛いじゃない!」
「くだらねえこと言ってねえで仕事しろ!資料を取って来いとか言われてたろ?」
「それは要ちゃんも一緒じゃないの。このまま全裸の誠ちゃんを押し倒して……」
「誰がするか!」
入り口でにらみ合う二人。誠は仕方なく飛び出してバッグから換えのパンツを取り出し無理に履いた。体を拭いていないので体に付いたお湯が冷えて水になってパンツにしみこむ。
「誠ちゃん風邪引くわよそんなことしていると」
「お二人が出て行けばこんなことはしなくて済んだんですよ!」
「もしかして私のせい?」
要と誠にそれぞれ視線を向けるアイシャ。二人が頷くのを見ると次第にすごすごと入り口に向かうが、当然のように要の袖を引いている。
「外で待ってるからとっとと着替えろ」
それだけ言うと要は入り口の引き戸を閉めて外に出て行った。
一人きりになりようやく安心してズボンに足を通す誠。そのままワイシャツを着てボタンをつける。
「まだかー」
「まだですよ」
待ちきれない要が外で叫ぶ。その隣であくびをしているアイシャの吐息が聞こえる。誠はワイシャツの腕のボタンをつけてさらにネクタイを慣れた手つきでしめると上着を羽織り、バッグを片手に扉を開いた。
「よし、行くぞ」
ようやく出てきた誠を一瞥すると要はそのまま歩き始めた。
「本当に気が短いんだから」
「何か言ったか?」
「べーつーに……」
振り返る要にとぼけてみせるアイシャ。いつものように運行部の扉の前にある階段を上がり、医務室と男女の更衣室が並んでいる二階の廊下を歩く。誰もいない廊下に足音が響き。誠達はそれを確認しながら会議室の扉の前に立った。
アイシャがノックをする。
「どうぞ」
澄んだ声。嵯峨の双子の娘の姉、嵯峨茜警視正の声が響く。そのまま開いた扉の中を見れば振り返るカウラと法術特捜担当ということで呼び出された実働部隊長のクバルカ・ラン中佐の幼い顔があった。
「なんだよ神前。髪の毛濡れたままじゃねーか……。西園寺。そんなに神前を急かす必要なんてねーんだぞ」
ランの言葉にむっとした表情のまま彼女の隣の椅子にどっかと腰を落ち着ける要。その大人気ない様子にカウラは大きくため息をつく。
「さあ、皆さんそろったんですから……」
作品名:遼州戦記 保安隊日乗 6 作家名:橋本 直