深海ネット 前編
レイカは、駅の中で異色のオーラを放っていた。真っ赤なコートと人形のような白い肌のコントラストが、通行人の目を引いていた。コートの下から見える脚は恐ろしく細い。待ち合わせをしているのにも関わらず、レイカはほとんど顔を上げることなく立っている。俯いたまま突っ立っているのが不気味で、更に人々の好奇の目を誘っていた。手には小さめのボストンバッグを持っていた。地方からわざわざここまで出てくるほど、きっとこのネット心中計画に賭けているのだろう。
駅の入り口から中を覗いていた俺は、レイカを見つけてからずっと近づくことができずにいた。視線は惹きつけられるが、近寄りがたい。レイカはそんな雰囲気を持っている。俺はしばらく遠くから様子を伺うことにした。
三時を少し超えたころ、一人の男がレイカに近づいた。三十歳前後くらいの、黒づくめの服を着た長身の男だった。男の気配に気づいて、レイカが顔を上げる。二人は一言二言交わした後、周りをきょろきょろと見渡し始めた。きっと、ネット心中計画のメンバーの一人だろう。あの男が、車を調達する役目ってわけか。そしてすぐに、その二人に、二十代後半くらいの太った女が駆け寄っていった。俺と同じようにレイカの様子を伺っていたのだろう。さっきから、改札口の前でうろうろしていた女だった。体型がやけに目に付いて気になっていたのだが、まさかその女もメンバーだったとは思いもしなかった。
傍から見ていて、ひどく奇妙な組み合わせの三人だ。どう見ても共通点が無さそうで、一緒にいることだけで周りに違和感を与える。この三人が動かないことを見ると、やはり俺を待っているらしい。正直、この集団に近づくのは勇気がいる。間違いなく、俺も人目に晒されるはずだった。一瞬本気で帰ってしまおうかと思ったが、家にいる父親の顔が浮かんだ。そうだ、俺は終わりにするのだった。そのためにはこいつらに身を委ねるのが、一番いいのだ。そう思うと、自然に駅の中へと足を踏み入れていた。
レイカが案内したのは、人気の無い通りにある小さな喫茶店だった。店の規模の割には、客が多く混雑していた。店名は、「ヘブンズ・カフェ」。天国のカフェ、か。なるほど、これから話す内容を考えると最適の場所だ。でも、レイカは地方人であるはずなのに、なぜこんな店を知っているのだろう。
「あ」
店名を見て、長身の男が声を上げた。
「ヘブンズ・カフェって、ここなのか」
「有名なんですか?」
思わず訊いてみると、長身の男は頷いた。
「有名も何も、メッカだよ。こういう打ち合わせのね」
男は当たり前だといったような話し方をする。
そういえば、これがメンバーとの最初の会話になる。駅からここまで来る間、誰一人として言葉を発さなかった。互いに目を合わせることも無かった。俺が三人と合流したとき、レイカは、河野さんですね、と一言で俺を確認するだけで、すぐに颯爽と歩き始めた。俺と長身の男と太った女は、着いてきてください、と言うレイカの後をただ追うしかなかった。
一番奥のテーブルに通され、席に着く。俺の隣りに長身の男。俺の前にレイカ。その横に太った女という配置だ。やっとまともにレイカの顔を見る。想像よりも、かなり幼かった。血が通ってなさそうな白い肌には張りがあり、化粧っ気の無い顔でも充分耐えられる。メールの落ち着き具合からして、てっきり大人の女かと思っていたが、目の前にいるレイカはどう見ても二十歳以上ではない。
「では早速」
レイカが最初に口を開く。
「私が、レイカです。呼びかけに応じてくれて、ありがとうございました」
そう言いながら、深々と頭を下げた。
レイカはまず、互いの自己紹介を促した。長身の男は「ジョージ」、太った女は「ココロ」と名乗った。レイカの反応から見て、どうやらこの二人は最初からレイカにその呼び名しか教えていないようだ。まともに本名でメールを送ってしまったのは、俺だけだったのか。最後に俺の番になり、「アキラ」という呼び方だけを伝えた。さすがにここで「社長」の名を使うのは気が引ける。
打ち合わせと称されたこの会合で、会話を誘導していたのはやはりレイカだった。その幼い顔とは裏腹に、レイカは実に頼りになる存在だった。明らかに自分より年上の俺らのリーダーとして君臨している。相当練炭自殺のことを調べ上げているのだろう。この計画を完遂させるにあたって、用意するもの、最適な死に場所、時期なんかの話を、淡々と進めていく。ジョージもココロも、さすがに呆気にとられていたようだ。
レイカは話しながら腕にしているリストバンドを触る癖があるようで、話しながら俺はやたらとそれが気になった。そのリストバンドは、レイカのシンプルな服装と明らかにミスマッチ。リストバンドの意味はすぐに察せた。きっと傷を隠すためだろう。
「あの」
ココロが小さく手を上げて、レイカの話を中断した。
「何ですか?」
「もし、失敗するようなことがあれば……どうなっちゃうんですか」
空気が止まる。さっきからココロがずっとびくびくしているのは知っていた。思えば、俺が合流してからココロは一つも言葉を発していない。怯えたようにレイカの話を聞いているだけだった。そんなココロが最初の発言がこれなのだ。レイカは隣りに座っているココロの顔を見つめる。
「失敗なんかしませんよ」
少し間を置いて、レイカがはっきりと言う。
「でっ、でも。もしかしたら、誰かに見つかって、とか……」
「そんなことのないように、綿密に計画を練りましょう」
レイカの言い方には絶大な自信が含まれていたが、ココロの不安そうな表情は消えない。
「えっと、もし失敗したなら」
ココロの様子を察したのか、ジョージが口を開く。
「脳に永久損傷を受けるよ」
「永久損傷?」
俺は訊くと、ジョージは深く頷いた。この男も、それなりに練炭自殺のことを調べているのだろう。ひょっとしたら、何も知らずに他力本願な気持ちでここに参加しているのは俺だけなのかもしれない。
「後遺症が残ることもあるよ。精神障害とか、植物人間になったり」
「そうなんですか」
ココロの表情が更に曇る。レイカは全て知っているのか、ジョージの顔を黙って見ていた。
「じゃあ、失敗は許されないってことか」
俺は呟くように言った。
「そういうことだ」
「死にたいのに結局死ねなくて、後遺症だけ残る。そんなの、今よりもっとつらいことになりますよね」
レイカの言葉に、全員が凍りつく。そうなのだ。ここにいる四人は、少なからず今の生活がつらくてこうして集まっているはずだった。
「だから、確実に逝きましょう」
励ましているのか、脅しをかけているのかわからない言葉だ。しかし、ここに来たからにはもう頷くしかない。俺も「確実さ」を求めて、ネット心中に参加したのだ。レイカの言葉ひとつひとつが、俺の必要としているそのものであるはずなのだ。