深海ネット 前編
それだけ言うと、舞子は一人小走りで駅の方へ向かっていった。
「舞子」
名前を口にして、情けない声だな、と思った。呼び止めたところで、もうどうしようもないのに。
「送ってくれて、ありがとう」
顔だけ振り向き、舞子は言った。何の感情もこもっていない声だった。そして、もうこちらを見ることなく、舞子は駅の中へ消えていった。
そのとき見た背中が、俺の中で舞子に関する最後の記憶だ。
まだ舞子のことを引きずっているなんて、思いたくない。舞子も言ったように、きっと俺はもう舞子に会うことはないのだろう。現に、あれから一年経った今も、舞子から何一つ連絡は無い。本当に正志と同じ会社のやつと結婚したのか、それすらもわからなかった。
でも、さっきのチャットのように、「恋人」や「結婚」という言葉を聞くと、俺の頭の中には迷わず舞子の顔が出てくるのだ。
まあ、そんな記憶からはもうすぐ解放される。俺自身が消えることで、この記憶も、舞子との思い出も、きれいさっぱり無くなってしまうのだから。