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「月傾く淡海」   第一章 最も旧き一族

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 意味の分からぬ言葉を聞かされ、倭文は思わず問い返した。
「……ああ、いい。今のお前らには、わからないことだから」
「そう」
 こういう時、倭文はいつも深く追求しないことにしていた。
 一言主はまがりなりにも「神」だから、倭文たち人間には見えないものが見え、知らないことを知っている。
 それは、『あたりまえ』のことだから、考えるだけ無駄というものだった。
「孕み女の腹を裂いて、生まれる前の赤子を引き摺り出したり、生爪を剥いだ手で山芋を掘らしたって奴だろう?死んでよかったんじゃねえ? みんな、喜んでるだろうよ」
「大げさね」
 倭文は軽く眉をしかめてたしなめた。
「そんなのは皆、反葛城派の流した根も歯もない流言よ。私は何度かお会いしたことがあるけど、政務に熱心で、法令にもお詳しい方だったわ。……それは確かに、人並み外れて裁きに厳しい方だったけど……。どちらかといえば、むしろ小心な男よ」
「へえ」
 一言主はあまり興味なさそうに呟いた。
「で、そいつが死んだわけだ。--病死? 頓死?」
「死の原因はまだ明らかにされていないわ。--というより、『大王崩御』という事実自体が、公にされてはいないのよ」
 倭文は厳しい表情で告げた。
 
この葛城の地からさほど遠くはない、大和の泊瀬にある列城宮(なみきのみや)を都としていた『若雀の大王』が崩御した、という知らせが倭文の下へ届いたのは、今朝方の事だ。
 倭文は仮にも、古来からの雄族である葛城氏の族長の姉--というより、族人はみな、倭文を事実上の女王として崇めている。
 表向きは、首長を継いだ弟の香々瀬に政を取らせていたが、実際倭文は、それを凌ぐほどの権力と情報網を握っていた。
 無論、大和朝廷とも独自の繋がりを持っている。香々瀬の所に正規の使者が来る前に、倭文は既にこの重大な報告を耳にしていた。
「どう公表するかは、朝廷の官人たちが考えることだろうけど……私が知っている限り、自然に亡くなったのではないわね。--殺されたのよ」
 倭文は一言主の仮面を見つめて言った。
「……お前が殺したの?」
 一言主は楽しそうな声音で聞く。
「いいえ」
「なんだ。だったら、面白いと思ったのに。じゃあ、香々瀬が命じたのかな」
「若雀の大王崩御の知らせを聞いて、この豊葦原で一番青ざめるのは、他でもない香々瀬でしょうよ」
 言いながら、倭文は頭が痛くなってきた。
 今頃王の御館の中で、あの余裕のない弟は、どれだけ取り乱して騒ぎちらしていることだろう。
 そして必ず、重臣や族人たちは、自分を頼ってくる。
 この、葛城にとっての危機をどうにか乗り切ってくれると信じて。
 しかもそのことが、余計に弟を焦らせ、ありもしない猜疑にかりたてさせるのだ……。
(いっそ、異母弟ならば、処断のしようもあるけど。同腹ってのは、ほんとにやりにくい……)
 生まれてまだ十七年しかたっていないというのに、倭文の人生は面倒なことの連続だった。
 葛城の女首長だった母がなくなり、散々頓着した後継問題に方がついたのは、ついこの間のことだ。もう当分、厄介はごめんだと思っていた。

「……葛城の長い歴史の中でも、最も偉大な王であられた《荒の王(すさのきみ)》襲津彦さまが娘の磐之媛さまを『大雀(おおさざき)の大王』の大后に据えられて以来、葛城は代々の大王に后を出しながら、外戚として勢力を誇ってきたのよ」
「大雀の大王っていうと……ああ、『仁徳』の諡号をもらう奴ね。なんだ、あれからもう二百年も経つのか」
 一言主は指を折りながら、ゆっくりと数えた。
「俺、あいつ嫌いだったなあ……ほら、『雄略』っての。お前らの言い方でなんていうんだっけ? 二十一代目の、今から四十年くらい前に、人殺しばっかやったやつ」
「二十一代目の大王? ……確か……ああ、泊瀬の大王ね……」
 思い出した途端、倭文は苦虫を噛み潰したような表情になった。
 一言主は『仁徳』だとか『雄略』だとか、彼独特の呼び方をしているが、「泊瀬の大王」といえば、葛城の血を持つ全ての者にとって、決して忘れられない存在である。
 あの大王の時、葛城は決定的な転機を迎えたのだ。
そもそも、大雀の大王以来、大王家と葛城一族は良好な関係を続けてきた。
 大和地方に最も古くから続く最大の豪族・葛城氏は朝廷の政権下でも随一の雄族として、大王家と共に支えあい、協調しながら王朝を維持してきたのだ。
 互いに切り離せぬはずのその均衡を、あの異端の覇王は徹底的に破壊した--いや、しようとした。
 倭文が思うに、恐らく泊瀬の大王は完全な独裁政権を作りたかったのだろう。
 大和の王権は古来より、有力豪族の合議制によって成り立っていた。大王は盟主としてその地位を保証されているものであり、けして単独で抜きんでるものではなかったのだ。
 しかし、泊瀬の大王はそれに納得できなかった。彼は、大王家による単独支配を目指して、有力な豪族を次々に攻撃した。
 その一番手に狙われたのが、他でもない葛城である。
「あの大王のせいで……玉田葛城氏は滅亡してしまったのよ……」
 倭文は悄然と呟いた。
 
 ……それは、乱から数十年を経た今でもなお、葛城一族全ての痛みとして残る出来事だった。
 葛城襲津彦以降、葛城一族はその子である葦田宿禰を祖とする「北系葦田葛城氏」と、玉田宿禰を祖とする「南系玉田葛城氏」とに別れていった。
 玉田葛城の族長・円(つぶら)が大臣についていた「穴穂の大王」の御代に、皇族の一人である「目弱王」という人物が大王を弑逆する、という大事件が起きた。
 事件の後、目弱王は葛城の円大臣のもとを頼ってきた。円大臣は、いかなる考えあってか分からないが、このよるべのない「反逆者」を己のもとに匿った。
 この時「穴穂の大王」の弟であった泊瀬は、自ら兵をあげ、葛城の地に踏み込んだ。そして目弱王もろとも、葛城の民を皆殺しにしたのだ。
 泊瀬は十九代目の大王の皇子だったが、彼には兄達が多くいた為、元々の皇位継承の順位は低かった。しかし、この「目弱王の乱」に乗じて、邪魔となる兄達をも全て滅ぼしてしまうことに成功したので、泊瀬は大王位を掴むことが出来た。
 倭文たちは、葦田葛城氏の末裔にあたる。それ故、この事件による直接的な影響を受けることはなかった。事実、それ以降も、葦田葛城氏は大雀系の大王に多く后を送り込み、今日までも結びつきを続けている。
 しかしあの「目弱王の乱」で、間違いなく雄族・葛城氏の権威は傷ついた。そして、祖を同じくする一族の半分が滅亡させられたのである。  

「あの泊瀬の奴が、好き放題やったから、奴が死んでからもおかしなことが続いたんだぜ」
「まあ確かに、今考えてみれば、全ての遠因はあの大王にあったような気もするわね」
 倭文は一言主の意見に同意した。
 専制支配をめざした泊瀬の大王は、多くの地方豪族を滅ぼした。そしてまた、皇位継承の障害となる、自分以外の皇族を数多く謀殺したのである。
 その結果皮肉なことに、彼自身が崩御した後、その後継が跡絶えてしまうという事態が起こった。
 一度は泊瀬の第三皇子・白髪が大王として立ったのだが、彼は后も子も持たぬうちに早逝してしまった。