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シテン

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** 共通点 **



 遠近感のない、水色ののっぺりとした空が広がっていた。雲の影はどこにもなく、上空の風を感じることはできない。地上付近をそよぐ風は穏やかで、相沢さんと中庭に向かう道のりは、ポカポカとした暖かい気分にさせられた。
 案に違わず、中庭には人の気配がなかった。僕たちは、きちんと手入れをされた芝の上を弾力を楽しむようにして歩き、玉砂利の上をわざと音を出しながら進んだ。

「相沢さんを初めて見たのが、この中庭だったんだよ」
 玉砂利を踏む音にかき消されないように、芝生に足が着いた時点で言った。
「そうなんですか?」
「うん。そうなんだ」
 どこから、とでも言うように、相沢さんはぐるりと辺りを見回した。
「あそこ。東館の二階」一番北側の、角に近い窓を指差して言った。「小児科の外来があるんだ。四月の中頃だったと思う。相沢さんはうちの制服を着ていて、たぶん、初めてこの中庭に来た日だったんじゃないのかな」
「挙動不審でした?」
「うん、若干」素直に返事をすると、相沢さんは照れたように首に手を当てた。
「子供のころから、この病院の小児科に通ってるんだ。羽田先生。この前、紙飛行機を拾いに来た先生が、僕の担当医でね。付き合いは長いんだ」
「私、羽田先生に会ったのは、この前が初めてじゃないんです」
「えっ?! そうなの?!」
 驚きすぎて、声が裏返ってしまった。しかし、冷静に考えれば、相沢さんはこの中庭が好きで、何度も通っているうちに二人が出会う、ということは有り得るだろうと納得できた。

 相沢さんは空をざーっと見渡すと、一か所に視線を止めた。彼女の視線の先を追いかけて、濃淡のない青い空に、半透明の白い月を見つけた。
「先生、ずっと空を見上げていて。今にも飛び立ってしまいそうなほど、真剣に。空と、対話してるみたいな。そうしたら、昼間の月が今日みたいに出てたんです。夜の月もいいけど、昼間の月もいいねって、何気ない話をして」
「うん」
 座ろうとも、歩こうとも言い出せずに、ただ二人で月を眺めた。羽田先生の話を聞きながら、相沢さんの声に活気が出てきたのに気付かない振りをした。
「最初は寂しそうに見えたんですよね。ただ、雰囲気だけでそう感じただけだから、本当のところは分からないんですけど」
「寂しそう、か。看護師さんから聞いたことがあるけど、先生は患者さんを助けられなかった後には、中庭にいることが多いって。何をするわけでもないだろうけど、ただここにいるんだって」
「あの日も、そうだったんですかね――――じゃあ、私が邪魔しちゃったってことですね」活気の出てきていた相沢さんの声は、徐々に凋(しぼ)んでいった。「悪いことしちゃった」彼女は、そう小さく呟いた。

「九十歳のお爺さんが死んでしまうのと、九歳の男の子が死んでしまうのとでは、同じ命でも後に残された人の受ける衝撃は違うと思うんだ。どっちが悲しいとか、どっちが大切かとかではなくて……。僕も小さいころから病院に通ってるけど、そこで出会った子たちが全員、僕のように学校に行って、友達と遊んで、自分の家で寝られるようになるわけではないし――」
 ふと、隣から視線を感じた。月を見上げていたはずの相沢さんと目が合って、ドクンと鳴った心臓の音が、直接僕の脳みそに響いた。
 彼女にも聞こえてしまっただろうか。
 身体が熱くなるのを止めようと、急いでその視線から逃れて、再び白い月を仰いだ。
「同じ命のはずなんだけど、やっぱり違うと思うんだ。諦め具合とかやるせなさとか、がさ。八十一年の年月の差が、そういう感情を引きだすのかな。小児科って、字の通り子供しかいないし、そんな命と先生たちは毎日向き合ってる。すごいと思うよ」
 相沢さんを取り囲む空気が動いた。紙飛行機が上手く風に乗った時のように、すーっと動いた。
「昼間の月を、そこにあるのが不思議だと思わなかったんですよね。月は空にある物だって、決めつけていたからだと思うんですけど。晴れの日の空は青くって、雪が降り積もれば辺りは白くなる。そう、決めつけていたんです」
「うん」
 とても静かな声だった。ただそこにある日常に、彼女が何を見つけたのだろう。次の言葉を促すように、僕は沈黙を保つことにした。その沈黙は、風鈴が風に揺れて奏でる涼しげな音のような、そんな爽やかさをまとった相沢さんの声で破られた。
「羽田先生と昼間の月を見てから、晴れの日は空を見ることが多くなったんです。いや、見るって言うよりは、観察するようになったんですよね。普段から見てたんですよ。今日はいい天気だとか、雨が降りそうだとか」少し恥ずかしそうに、相沢さんは笑った。「でも、いつも見えるわけじゃないんですね、昼間の月って。今更ながらに気付いて、思わずネットで調べてしまいました。満月の時は殆んど見えないとか、知らなかったんです。晴れの日の空も、いつも同じ青色じゃなかったし。雲の量でも空の表情が変わりますよね。きっと冬に雪が降ったら、その風景も今まで見ていた物とは違うのかもしれません。ちょっと、楽しみなんです」
 座ろうか、と相沢さんを促して、芝生に腰を下ろした。

「先輩が見つけてくれた‘私らしさ’を、私も知りたいです」
「僕が知ってる相沢さんは、ほんの数カ月だけだよ。しかも、ちゃんと話したのなんてここ一週間ぐらいじゃん。僕が言うのはおこがましいと思う」
「そんなことは、ない……と思いますよ。一週間じゃわからないって、決めつけ、はダメなんです」
 相沢さんは人差指を空に向けて立てて、決めつけ、を強調して言った。
「じゃあ、気付いたら、必ず、言うよ。約束する」
 相沢さんを真似て、僕も人差指を立てて、必ず、を強調して言った。


作品名:シテン 作家名:珈琲喫茶