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シテン

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 車がゆっくりと走り出す。学校を出てくる時よりは勢いを失った雨に、それでもフロントのワイパーは全力で自らの役割に従事していた。

 兄が詮索意欲満開の笑顔を向けてきた。頭とお尻から先の尖った黒い物が生えているのではないかと疑えるほど、その表情はくそガキのそれだった。
「あの子だ。一目ぼれ。ねえ、そうでしょう? この間は風呂場に逃げられたけど、今日は聞かせてもらうからねー。彼氏?」
「ちがう」
「圭子が告白したの?」
「ちがう」
「じゃあ、一目ぼれって圭子がしたんじゃないんだ?」
「ちがう」
 言葉を教えたオウムの方が、もっとマシな受け答えができそうだと思った。しかし兄は、同じ答えしか言わない私の事などは、全く、皆目、露程も気にならない様子だ。
 私の返事などお構いなしに質問し、ジグソーパズルを組み立てる要領で、ピースを拾っては推し量り、この辺りかと見当を付けてははめこんでいく。出来上がりは、想像できる。パズルの完成画が黄色と赤色のガーベラの花束だったとしても、兄の手に掛かれば、色とりどりの様々な種類の花が散りばめられた豪華な物に変わるのだ。兄は「そうか、そうか」と言いながら頷いて、嫌な笑い方をした。
 ドラマチックになりすぎているだろう兄の作品に、とっとと修正を加えようと思い、最初から順を追って話すことにした。ありのままを、起こった出来事だけを話した。
「なーんだ」と、少しつまらなそうな兄の反応。「もっと、フワフワふりふりでラブラブ、ピンクな感じかと思ったのにー」
 表現の仕方に思わず顔をしかめてしまったけれど、言いたい事はなんとなく分かった。やっぱり――――修正をかけて正解だ。兄の物語では、私と村木先輩はどんな関係だったんだろう……。怖くて訊く気にもなれなかったから「ちがう」と一言で片づけた。

「で、圭子は一目ぼれで悩んでるの?」
「悩んでるって言うか……。一目ぼれってなんだろうって考えてる。公式覚えたら回答が導き出される数学とは違って、私の不得意な現国の筆者の言わんとすることを答えよ、みたいな質問にぶち当たった感じがする」
「圭子さ、洋服買う時パッと見で気に入ることない? 色とか形とか、雰囲気でも何でもいいんだけど。人を好きになる時と一緒にしていいのかは分かんないけどさぁ、そんな瞬間って似てると思う。あ、いいなって思う瞬間」
「試着して、入らないこともあるよ」
「そう、だから試すんだよね。人が相手だから、着るんじゃなくて、同じ空気を吸って、笑って、しゃべって、喧嘩して。お互い動くから、服みたいにずーっと一緒ってわけにはいかないけど」
「試着して、入ったら嬉しいね」
「うん。お似合いですよ、なんて店員さんに言われちゃったら、調子に乗るよね。着る時を想像してウキウキしたり、それに合うアクセサリーとか、靴とかカバンとか……考えると楽しくなるし。買ってからでもいつまでも好きでいられたら、それを着る時はいつもハッピーでいられる。この服との出会いは運命だったのかも――とか思っちゃったり」
 兄の左手が不意に伸びる。フロントガラスの曇りを取るために付けられていたエアコンの温度を少し上げて、その手は再びハンドルに戻った。兄の爪は、いつも綺麗だ。
「それは、ないかも」
「何がないかも?」
「運命ってやつ。それは、できすぎてる」
 私が雑に言い放つと、兄は私の肩を小突いた。
「五年後には、圭子も運命を信じてるかもよー」
 兄は私が賛同するのを待っているのかもしれなかった。しかし私の方は、適当な返事が見つけられそうもなかったので、その話は強制的にそれで終わらせることにした。

「サクラちゃんは、一目ぼれしたことある?」
「雅史がそうだよ。言わなかったっけ? 私たちの出会いは、それは、それは劇的な、必然に起こるべくして起きた――――」
「サクラちゃん。それ、長くなるよね。五〇文字以内ぐらいで納まんない?」
「納まんない」
 兄は唇をとがらせて、いつものように女の子らしく拗ねて見せた。そして、二人同時に吹き出した。ひとしきり笑って、家から二百メートル程の所にあるお寺の前を通り過ぎた時、兄は静かに言った。
「外見って大事なんだよー。特に私にとっては、ずーっとコンプレックスだったから。外見って、内面まで変えてしまうパワーを持ってるからねー。自分は奇麗だって暗示をかければ、心まで強くなれるし。高校まではね、男の姿だった自分に常に疑念を持ってた。自分で自分のことが信じられなかった。周りから変な目で見られたって、今はこっちの方がいいもの。やっと中身と外見が一致した。そんな私を好きだって言ってくれてる雅史もいるし。だから、一目ぼれに拘(こだわ)らなくてもいいんじゃない? 単なるきっかけだよ。第一印象で好きだって思うか、思わないか。うまくいくかは、その後の気持ちや行動だしね。嫌なら断ればいい。第一印象で嫌だって思うんなら、一目ぼれの逆バージョンだよね。一目嫌い? そんな言葉はないけど、それも有り得ることでしょ?」
「人間界は、毎日忙しいね」
 前を向いたまま呟くと、兄は訝(いぶか)しげな目つきを私に寄こした。
 ギアがバックに入り、ピカピカに磨き上げられた父親の無駄に大きいセダンの横に、兄の小ぶりな自動車は十分な間隔を空けてすっぽりと収まった。
「人間界は、忙しいの?」
 訝しみと呆れを滲ませた兄の声が、くすぐったさを伴って私の鼓膜を震わせた。
「うん。人間界は、忙しい。想像以上に複雑だ」
「何それ?」
 苦笑しながら兄は、帰るよと言って車を降りた。

 私は、未来に言われた言葉を思い出していた。ようやく人間界に降りてきた人間。しかも、森下が臭い台詞を吐いたっけ。人間は、そういうことでグチグチ悩む生き物なんですって。
 はあ、なるほど。自然と溜め息が出た。口元には、うっすらと自分を嘲るような笑みが浮かんだ。
 ああ、面倒臭い。私にはまだまだ知らないことが多すぎる。



作品名:シテン 作家名:珈琲喫茶