シテン
二人の慣れ染め話を綿々と、飽きもせずに両親から語られる。何度も、何度も。二人が出会った年頃になった娘へ、今でも恥かしげもなく嬉々として話す。
たぶん、彼らはあたしが生まれた時から話していたんだと思う。子守唄や読み聞かせる絵本の代わりだったのかもしれない。それに気付いたのは、五つ離れた双子の弟たちができた時だ。
お互いの前では決して話さない、お互いが登場するお話は、弟たちにも伝えられていた。どこかで示し合わせたかのように、日を空けずに、どちらともなく話し始める。
二人が主人公のこのお話には、必ず名脇役のサクラおばさんと羽田先生が登場する。
サクラおばさんは、弟たちが生まれた次の年に、交通事故にあって死んでしまった。その時六歳だったあたしは、お父さんに手を繋がれたまま、黒い集団の中に座っていた。寒い冬の日だった。
お母さんはお父さんが好きで、サクラおばさんの事を大切にしている。お父さんはお母さんの事が大好きで、サクラおばさんの事を尊敬している。
三人の関係は、直線的に繋がった三角形というよりは、緩やかな曲線で繋がった丸い感じで、それは平面ではなく立体的だ。その不確定な柔らかい雲のような関係は、あたしと弟たちもふんわりと取りこんで、今でも進化し続けている。
生きていた頃のサクラおばさんの記憶は、あまりない。でも、両親の中にいるおばさんの事は、誰にも負けないくらい知っている。そしてあたしも、サクラおばさんが大好きになった。
羽田先生には実際に会ったことはない。両親の年齢から考えると、たぶん七十歳を超えているお爺さんになっているはずだ。まだ小児科医を続けているんだろうか。引退しているなら、きっと最後まで人気者だったに違いない。もしくは今も現役で、毎日子供たちに囲まれているのかもしれない。
「お母さんには内緒だぞ」
あたしが小学校に上がって間もなくした頃だったと思う。お父さんが声を潜めて言った。
「お母さんは、羽田先生に一目ぼれしていたんだと思うんだ。お母さんは気付いてなかったと思うけど、きっとそうだったんだよ。お父さんも羽田先生が好きだったから、同じ人に惹かれていたことが、ちょっぴり嬉しかったんだ。でも、ちょっぴりハラハラもして、悔しいから、お母さんには教えてあげなかった」
こそこそと耳元でささやいたお父さんは、所々で含み笑いを挟んで話したから、耳の穴の中に息が入ってきてくすぐったかった。
「お父さんには内緒ね」
その次の日、お父さんは出張で家に帰って来なかった。夕ご飯を食べながら、今度はお母さんが言った。
「お父さんは、サクラおばさんの事が大好きだったと思うのよ。いつも笑顔で、どことなく恥かしそうに話していたから。お母さんもサクラおばさんが大好きだったから、しゃべっている二人を見るのは楽しかったわ。なんだか、覗き見してた気分だった。邪魔しちゃいけないと思っていたけど、時々両方に嫉妬して、会話に割り込んじゃった」
お母さんは、プレゼントをもらった時のように、瞳をキラキラさせて話した。
昼間の月を見つけて、にやけている自分に気付いて、更ににやにやする。
人間界は忙しい。
でも、そのぶん楽しいのだ。
完