シテン
ダラダラと帰る支度をしながら、止まない雨を窓から眺めていた。授業中は禁止されている携帯電話を取り出し、家に電話をした。母親に迎えに来れるかと訊くと、「もちろん、いいわよ」と景気のいい声で返事が返ってきた。
何気なく廊下に目をやると、先輩が落ち着かない感じで教室の中を覗いていた。
あれ、いつからいたんだろう?
クラスメイト達はそれほど気にしてない様子だが、それでも見慣れない顔に一瞬だけ視線を止めて、そして歩き去っていった。私が気付くより先に私を見つけてくれていたようで、すぐに目が合った。
軽く会釈をして、足早に駆け寄る。
「こんにちは」
適当な言葉が見つからず、当たり障りのないあいさつをした。先輩はほっとしたように笑い、「こんにちは、すごい雨だね」と言った。
「はい、今日は一日降りましたね。今家に電話をして、迎えに来てもらうことにしたんです。バスで帰るのも――遠回りだし。先輩は?」
「僕はバス。その前に、相沢さんが帰っちゃうと困るから、とりあえず会いに来た。いや……別に、相沢さんが困るわけではないんだけど――」
先輩は鼻の頭を人差指でこすって、顔を赤くしながら笑った。
「えーっと。携帯って持ってる、って聞きにきたんだけど。今、使ってるのが見えたから。迷惑じゃなかったら、携帯の番号とメールアドレスを教えてもらおうと思って」
胸の前で携帯を握りしめて、先輩は早口で話した。
「はい。いいですよ」私も聞こうと思っていたんです、とは言わず「赤外線で送りましょうか?」と、自分の携帯を取り出した。
教室の中から、絡みついてくる視線を感じた。未来だ。誰、それ? 後でちゃんと説明してよ、と未来の目は語っていた。昼休みのお弁当を前にした期待と歓喜の混じった目に、ギラギラ光る好奇心を上塗りしたような視線だ。眼光人を射る……つもりか。それに、今はとにかく黙ってて、と目に力を込めて返した。これで明日には、森下忍にも広まるはずだ。きっと、質問攻めだ……。もう、逃げられないな。
「本当は、昨日もその前も、会いに来たかったんだけど……ちょっと体調を崩しちゃってね。学校を休んでたんだ。連絡したかったけど、携帯の番号とか聞いてなったから――家にいきなり電話する勇気はなかったし」
「休んでいたんですね。知らなかったです。私も聞かなかったから。あ、はい……準備できました。先輩‘受信’にしてくださいね」
「うん、準備オッケー。――よし、届いた。じゃあ、次は僕のを送るよ。ちょっと待って……ね。あんまり使わないから、得意じゃないんだ」
えーっと、こうして――と言いながら、先輩は携帯電話と格闘していた。
「よし、できた。いつでもいいよ」
「はい。私のは‘受信’になってますから、どうぞ」
携帯を軽く前に突き出す。画面を見ながら頷いて、届きましたと告げた。
教室に戻ると、目をキラキラと輝かせて未来が待っていた。笑うとなくなる目は、この時ばかりは目一杯に広げられて、何も見落とさないぞと言わんばかりだった。
「あの人? 圭子ちゃんを人間界に下ろしてくれた人? 優しそうじゃん。で、付き合うの?」
「何その……人間界に下ろしてくれた人って。まだ、付き合ってはいないよ」ちらっと壁に掛かっている時計に目をやる。やばい、迎えが来ちゃう。
「ごめん、今日は急ぐから、来週ちゃんと話すね。必ず、教えるから。今日のところは、バイバイ」
鞄を肩にかけて、大袈裟に笑顔を作って手を振った。「来週ね、ちゃんと話すから」と言いながら教室の出口に向かう私に、未来は盛大なブーイングを浴びせてきた。
「あー、逃げるんだー。ちゃーんと聞かせてよー。絶対だからねー。バイバーイ」