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シテン

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 月曜日に相沢さんに告白した。火曜日の朝にはぶっ倒れて、そのまま丸々二日間をほぼベッドの上で過ごした。木曜日には本調子とはいかないまでも、鉛のように重たかった身体が軽くなっていた。浮腫(むく)んでいた手足もすっかり元に戻り、その日の夜には三日ぶりに風呂にも入った。
 そして今日、金曜の朝は目覚まし時計よりも早くに目が覚め、身体の調子はすこぶる良好。勢いよくカーテンを開けて、いつもなら舌打ちが出そうな雨模様にウンザリすることもなく、階段を下りた。
「おはよ。今日は学校に行くよ」
 台所で味噌汁をよそってくれている母に言った。
 コップに水を入れ軽くうがいをして、口の中を湿らせた。残りの水を飲み干して、冷蔵庫にあった麦茶を注いだ。空っぽの胃袋が入ってきた水分によって動き出し、空腹感を覚えた。食欲も戻ってきている。
 病気の時には、いくらでも眠ることができる。身体が睡眠を欲してくれるから、考え始める前に思考が止まる。しかも寝ている間は、気に病むことからも解放されて、精神的にも安定していた。
 ほのかに湯気が立ち上るお椀に口をつけ、火傷をしないように味噌汁を口の中に流し込みながら考えた。
 張り切り過ぎた。後悔しているというよりは、恥ずかしいのと自分の不甲斐なさに苦笑してしまいそうだ。告白した次の日から学校には行けなくて、相沢さんの連絡先も知らない。彼女に知らせる義務はもちろんないし、彼女がどれだけ僕の事を気に留めていてくれるかも分からない。それでもちゃんと言いたかった。冷かしの告白ではなかったのだと、僕が彼女に知らせたかったんだ。それなのに、告白して次の日には音信不通。格好悪いにもほどがある。
 病み上りの身体で、雨の中を自転車で行くのは賢くない。面倒臭いがバスを乗り継いで通学することにした。バスに揺られている間、乗り継ぎ待ちの間、学校に行って相沢さんに会いたいのとは裏腹に、会ってどうしようかという不安が頭をもたげてきた。――いや、会ってちゃんと話せばいいんだ。携帯番号とメールアドレスも聞こう。不安感が軽減することはなかったが、できることをやらなくては、と自分自身に気合いを入れる。告白した時に「なぜ?」って答えた彼女のことだ。僕のことなんて何とも思っていない可能性の方が高い。

「お、治ったのか?」
 博也が廊下で声をかけてきた。僕のクラスは二年三組で、博也は隣の二組。下駄箱から最短距離で教室まで行くには、必ずここ二組の前の廊下を通ることになる。
「ああ。なんとかな」
 左手に濡れた靴下を持っていたので、僕は右手を軽く上げて、あいさつ代わりにひらりと振った。
「なんか、悪かったな。あのコンビニでしゃべってた時、寒くなってきてたからな。風邪引いたんだろ? 次の日から休んでたし」
 そう、こいつはこういう事に責任を感じてくれる、とても良い奴なんだ。
「お前のせいじゃないよ。気にすんな」
「だって、告白して次の日から会えないって、寂しいじゃないか」
 博也は僕の心をお見通しだ。図星をつかれて、苦笑いを返す。
「今日、会いに行ってみる。なんとも思ってないかもしれないし。携帯の番号とかも聞きたいし。教えてくれれば、の話だけど――」
「おお、頑張れよ。陰ながらエールを送ることにする」
 ありがとうの意味も込めて、もう一度右手を上げた。

 雨の日の教室は、いっそう学生の臭いで溢れていた。湿った学生服から漂う、独特の臭い。上着を脱いで椅子の背に掛けている奴も多くて、教室全体の色が暗い。
「よお。復活か?」
 靴下を机の下に無造作に投げたところで、前から声が掛かった。
「よお、復活だ」
 同じクラスの高橋敦毅(あつき)、一年の時も同じクラスだった、に復活宣言をした。
 椅子に座り、カバンの中の教科書やノートを机の中に放り込む。
「三日間家にこもってて、久しぶりに出て来てみれば、雨だ。ついてない」
「晴れてたのなんて、昨日一日ぐらいだぞ。休んでて良かったんじゃないか?」
「まあな。確かにな――」
「昨日なんて、英語と数学の小テストやら、古典の宿題やら……勉強三昧だ」
 学生の本分を全く無視した言葉だが、学生だからこそ言える言葉だ。敦毅は、ほとほと参ったという感じで、程度良く整えられた眉毛を八の字にした。
「それはラッキーだった。僕は、やらなくてもいいのか?」
「たぶん、机の中に入ってんじゃねぇ?」
 敦毅が顎で机を指した。そうなのか、と一度入れた教科書を引っ張り出すと、その先からクシャクシャになったプリントが数枚くっ付いてきた。
「あった。……出せと言われないことを祈ろう」

 昼休みになると、敦毅の彼女が廊下から手招きをして彼を呼んだ。楽しそうに笑い声を上げて数分話すと、ほくほく笑顔で敦毅は戻ってきた。
「雨でも、デートか?」
「ああ、帰りに駅の方まで行こうってことになった。雨だと自転車じゃないからな、お互い」
「いつから付き合ってるんだっけ?」
「何だよ、いきなり」
 僕からの突然の質問に驚いていたが、敦毅の顔はなんとなく嬉しそうだ。
「いや、なんとなく……気になって」
「もうすぐ半年かな。一年の終わりからだからな」
 ほのかに頬を染めて、自然と笑顔になるだらしない顔を隠そうともせずに、敦毅は言った。
「あれって、そんなに前だったっけ?」
「クリスマス前だよ。振られても、すぐに冬休みに入るし、今しかないって思ったからな」
 告白をする、しない、で悩んでいた時期を僕は知っている。ああ、そうか。クリスマス前にはって言ってたんだっけ? OKをもらった後で、僕にも報告してくれた。「なぜ?」とは言われなかったんだろうなぁ。少し羨ましい。
 お互いに好きだと認めている間柄だからこそ、会話の中に安定感があるような気がする。単なる憧れだけじゃない、実感を伴った幸福感。今の僕には、まだ得られていない物だ。敦毅と話していた彼女は喜色満面だった。そんな相沢さんの顔を見ることは、できるんだろうか。僕に、向けてくれる日がくるんだろうか……。

 放課後、気合いを入れて、一年生の教室を訪れた。
 相沢さんは目を大きくして僕を見て、それでも足早に駆け寄って来てくれた。

作品名:シテン 作家名:珈琲喫茶