蛇の目
⑤二日目テープチェンジの後。
すみません、テープを変えさせていただきました。
さて、東京時代に知り合った、後に農業指導員となられた林三朗さんについて
お聞きしたいのですが。
大ヒット商品となりましたブランド米ヒメゴコロの
産みの親として知られておりますが?
「三朗さんは、ようやってくれた。
権造さん・・知り合ったのは、まだ三朗さん、東大の学生のときで
狭いところでも、豊かに育つ、しかもおいしい米の開発をしていたんだ、と。」
「親子ほども歳が違うが、三朗さんも天涯孤独な人だったから、のちのち
ここに来てくれた。」
「あん人のォ、研究テーマにあった土地だったんだァな。
むこうの新潟県でコシヒカリぃ、有名になったろ。
あん人にはぁ、そんなぁ焦りもあったんだろな。
とにかく長いこと尽力してくれた。
しかっし、あんなぁことになっちまって・・。」
ヘビに噛まれて亡くなった、と聞いておりますが。
幸造は、権造の顔色を伺って、耳打ちをされる。
「人間、こころとからだは別ものよ。
所詮、他所んちのもんは、ここの水にはあわんのよ。
ヘビの毒にあたって、からだは、死んでもさ、こころはいまもここで生きておる。
そう云ってます、権造さん。」
「三朗さんを病院に運ぼうとしたけどもさ、
ここに通じる道がなかったっぺ。」
「いろいろ、介抱したけっともォ。残念なことになった。と。」