魔術師 浅野俊介7
監督が冗談のように笑いながら言った。
非常口のランプの薄明かりで、圭一の不安そうな表情が見える。
(やっぱり何かおかしいのかもしれない…。しかし何もいないけど…)
浅野がそう思ったとたん、ライトが一斉についた。
圭一を始め、スタッフ達がほっとした表情が見える。
「よし!今のうちにやっちゃおう!」
監督のその言葉に全員が笑った。
……
浅野は、圭一を助手席に乗せて車を走らせていた。車は明良のを借りてきたのだ。明良は出張でいない。
圭一が呟くように言った。
「…なんだったんでしょうね…あの怪現象…」
「うん。まぁなんともなかったから、よしとしたいが…気にはなるね。」
「ええ…」
プロダクションについた。地下の駐車場に車を入れ、車を停めた。
車から降りてロックすると、2人でプロダクションビルに入った。
(…おかしい…?)
今になって浅野が思った。…何かがおかしい。
「浅野さん…」
圭一も何かを感じている。…しかし、何がおかしいのかわからなかった。
「…とにかく…ビルに入ってみよう。」
「はい。」
2人は覚悟を決めたように、プロダクションビルに入った。
……
「…なんだ?…誰もいない!?」
プロダクションビルの中は空っぽだった。事務員も警備員も誰もいなかった。
圭一は慌てるようにして、専務室に走った。
「母さん!!」
ドアは開いたが、菜々子も菜々子の秘書も姿を消している。書きかけのスケジュール帳の上にペンが落ちていた。
「…どういうこと…?」
圭一の声が震えた。浅野は副社長室に行こうとしたが、出張だったことを思い出した。
「圭一君、すまないが社長室見て!」
「はい!」
浅野は明良に電話をした。
3コールで明良が出た。
「はい?どうしたの?浅野君。」
浅野はほっと息をついた。
「いえ…今日は、いつお帰りになりますか?」
「え?今日は帰れないって菜々子さんには言ったんだけど…。」
「あ、そうですか!わかりました!すいません。」
「いえ…」
明良が電話を切ったのを確認して、浅野は電話を切った。
(副社長が帰る前に、この怪現象をなんとかしないと…)
浅野は社長室に行った。
「圭一君!…社長も…!?…」
浅野は目を見開いた。圭一が大きな蛇に巻きつかれていた。
「…浅野さん…」
圭一は体を締め付けられ、苦しそうな声を出していた。
浅野はとっさに額に人差し指をかざした。
(だめだ!攻撃も封印もできない!)
圭一がつかまっているため、何もできない事に気付いた。
(どうしたらいい?)
「浅野さん…僕はいいから…」
「だめだ!」
蛇が圭一の体を締め付けた。圭一が声を上げた。
「圭一君!」
浅野は蛇の目を見た。
「やめろっ!なんのためにこんなことをするっ!?」
『忠告したはずだ。…戻ってくるなと。』
恐らく蛇の声だろう。口は動いていないが空間に響いている。
「!?…あの怪現象…」
『そうだ…』
「しかしどうして!?…皆をどこにやった!?」
『魔界だ』
「何っ!?どうしてそんなことを…」
『頼まれたからだ。』
「誰に?」
『さぁ…人間には違いないが…』
(誰だ…?)
浅野は頭を巡らせた。
「母さん!」
「!!」
圭一が叫んだのを聞いて、浅野は目を見開いた。
「母さんを…返せ!!」
強く締められているにも関わらず、圭一が絞り出すような声で言った。
その声で浅野はどうしてこの蛇が圭一を縛り付けているのか…また、帰ってこないように怪現象を起こしたのかわかった。
圭一の歌声を聞きたくないからだ。
聞いて動きを封じられては困るからだ。
浅野は、蛇をけん制しながら、ステレオの中に圭一のCDが入っているのを確かめたが…もし流して、圭一の体を一層絞めるようなことを考えるとそれもできなかった。
(くそ…どうすればいい?)
「…母さん…返して…」
圭一の力がなくなってきていた。意識を失い始めているにも関わらず、血のつながりがない母の事を心配する圭一に、浅野は胸を打たれた。
「お願い…」
圭一の意識がなくなり、圭一は蛇の体にぐったりと体を預けた。
「圭一君!!」
浅野は額に人差し指を当て、リュミエルとキャトルを探した。
しかし見つからない。封印もされていなかった。
蛇が圭一の体をゆっくりと離した。
「!?」
圭一は蛇の体に添うようにして体を滑らせ、ゆっくりと床に横たわった。
浅野は圭一に駆け寄った。
そして心臓の鼓動を確認し、呼吸が止まっていないかを見た。
『…気を失っているだけだ…』
「!!」
浅野は蛇を見上げた。
『実は…この子を殺せと命令された。』
「!?…え!?」
『清廉な歌声を出す魂を…消せと言われてきた。』
「…召喚した人間にか…」
『そうだ…。だが気は進まなかった。だから帰ってこないように忠告した。』
「プロダクションの人間を消したのはなぜだ?」
『この子を呼びだすためだった。…何かをやっておかないと、召喚者に怒られるんでね。』
「……」
『…何故この子は、自分の事じゃなく別の人間を心配する?』
「愛だ。…人間に本来あるものだ。」
『そんなもの見たことないがな。』
「ない人間もいるさ。たまたま今まで、お前が見たことがないだけだ。」
『…知らなかった…』
浅野は立ち上がって、蛇の顔の真前に近づいた。
「プロダクションの皆を返してくれ。」
『そうするには私が死なねばならぬ。』
「…!?」
『別に構わないがね…』
蛇は何かを悟っているかのようだ。しかし同情しても、プロダクションの人間は帰ってこない。
「俺に何かできることはないか?」
『ないが…覚えていて欲しい事が1つある』
「?…何だ?」
『この清廉な歌声を聴いて、われわれ悪魔が動きを封じられるのは…まだ我々が救いを求めていることだとわかって欲しい。」
「!!」
『この子の歌声を聴くと、自分の罪深さを強く感じてしまうんだ。だから…この子の歌声で動きを封じ込めた後は、我々を封印したり送還したりするのではなく、できれば完全に消して欲しい…』
「!?どうして!?」
『…我々は、どんなことがあっても救われないからだ。ならばいっそのこと消えてしまった方がいい。』
「……」
『…早速、私を消してもらえないか?』
「!?」
『私が消えれば、同時にここの人間達が戻ってくる』
「!?…いや…申し訳ないが…私にはそんな力はないんだ…」
『そうだったか…あるように思ったのだが…』
「すまないな…。」
『いや。…じゃぁ、召喚者に頼むとしよう。』
「!!!」
蛇は消えようとした。
「待て!…やってみる!!」
蛇が振り返った。
『…本当か?』
「ん…圭一君の歌声の力を使ってもいいか?」
『もちろんだ。』
浅野はステレオに寄り、再生ボタンを押した。
圭一の歌声が流れた。「神の御子は今宵しも」という讃美歌だった。
蛇はとぐろを巻いて、じっと動かなかった。
やがて目を閉じた。
浅野が両手から気を送った。…やがて蛇は石化した。
浅野は丸の中に三角形を描き、人差し指を額にかざした。
「転生!」
蛇の体が崩れ落ち消えたが、新しい光が生まれた。