小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

視野の重なり

INDEX|5ページ/6ページ|

次のページ前のページ
 

 「ヨウコちゃん」の手が雑誌をゆっくりとこちらに近づけるのを見るとつい無駄な合いの手を入れたくなった。彼女は慌てたようにグラスを手に取り、一息に水を飲み干した。虫歯でもあるのか、氷に軽く冷やされただけの水の冷たさに顔を顰めながら俺が黙ってカップの中をかき混ぜている姿を見つめている。俺は少しだけ。ほんの少しだけ自分のいったことに後悔しながら、無意識に置き去りにされた宗教雑誌の方に眼をやったいた。彼女はグラスを置くと再びそれを取り上げた。拝むようにそれを胴の前で広げながら俺の方を覗き込む。視線に押し切られるように俺はカウンターの方をみればいつの間にか髭の姿がそこから消え、茶色い髪のウエートレスがおっかなびっくりコーヒーをカップに注いでいる姿があるばかりだ。「ヨウコちゃん」はようやくそんな俺の習慣を飲み込んだとでもいうように、引き戻されてきた俺に向かって落ち着いた調子で語り始めた。
「これ……、お読みになりました?ヨシオカさて意外と本とかお読みになるような感じですから……」
「まあ、一応。ざっとですけど……眼は通ししてみました」
 俺はそう呟くと、静かにカップを手にとってそれのたてる静かな香りを鼻に吸い込んだ。彼女は目の前のグラスを横に動かして、雑誌を俺からも見えるような感じで広げた。そして見上げてくる。口元、微かな笑み。
「感想とか……、正直な所でいいんですよ。別の遠慮なんかなさらなくても、何か思いついたこととか、触発されるような所とか……」
 その言葉のたどたどしい所は、俺の口元の皮肉を込めたような歪みのせいだろうか。茶色い髪のウエートレスがいかにも重そうに運んできた頭でっかちチョコレートパフェを受け取りながら、遠慮がちに俺の方を覗き見る。俺は言い訳でもするように再びコーヒーカップを手に取って静かにその中の沈殿物を飲み干した。目の前にしたパフェと雑誌を見比べるようにして、ただ手にしたスプーンで文字とも記号ともつかないものを空中に描いている。矢継ぎ早のありきたりな比喩を交えた質問や、一種の論理のすげ替えを期待していた俺にとって、そんな彼女の姿は意外だった。何かを隠すように額や頬を無意識に触る手つきが痛々しい。僅かに震えて見える瞼の下に浮かんだ後悔。止めどなく押し寄せる問いをスプーンを口に運んで誤魔化してみせる。
「これも『巡り合わせ』って奴じゃないですか?」 
 「ヨウコちゃん」は一瞬安心したようにこちらを見上げた。まるでその姿に引きずられるように頬の端が引っ張られるような感覚にとらわれる。彼女はすぐに目つきをいかにも軽蔑するように細めた。彼女が何かを言い出す前にちょいと眼を反らせば茶色い髪のウエートレスがそんな俺達の横を通り過ぎて、まるで葬式の帰りとでもいった悲壮でわざとらしい高校生の群へ与える餌を運んで行く。
「追加を頼みたいんだけどいいかな?」
 ぐっとのめるように項垂れていたせいで、両脇にはっきりと分けられた髪の間から覗く額が青白く光って見える。右手を軽く挙げた俺のせいで茶色い髪のウエートレスは立ち往生したままだ。「ヨウコちゃん」が口を開こうとするとメニューを突き出してくる。
「なんか……こう……」
「今度は、アイス……」
  同時にこぼれだした言葉に、残されたのは茶色い髪のウエートレスの仏頂面。俺はコップを啜り、彼女は俯いて黙り込む。俺が間を嫌ってコップの中の融けかけた水を口に含めば、彼女は何を思ったのか目の前の雑誌を横にどかしてゆっくりと身を乗り出してきた。
「それは少し……」 
「そう言えばさっきは花屋の前で群れていたの……あれ友達?」 
 アイスコーヒーが運ばれてきた。俺はいつものようにストローを包んでいる紙を粉々に引きちぎって、おもむろにコップの中に突き立てた。その作業が進展する間も、決して「ヨウコちゃん」は俺の問いに答えようとはしなかった。俺は汗が噴いているコップを握りしめると、薄すぎるコーヒーを口の中に啜り込んだ。彼女は何も切り出せないまま諦めたような調子でパフェをつついている。眼は座ったままだが、彼女は微笑もうとしているように見えた。不自然で悲しげで、刺々しくて、まるで先ほどの中年コンビが繰り広げた滑稽な面接ごっこの裏返しを演じているようだ。
「話は変わりますけど……なんか変だと思いません?このごろの天気って。今朝だって、きっちり天気予報では一日中晴れるはんて言ってましたけど、結局こんなに、雨がふっちゃって……なんか今朝も世界中で洪水とか干魃とかテンペンチイが起きているみたいで……まるで何かが……」
 一息に、捲し立てるように、まるで何かを誤魔化そうとでもしているように絞り出された言葉。背中に視線を感じる。俺にも身に覚えのあるような荒唐無稽な大学進学講座が途切れ、残酷な忍び笑いが俺と彼女との間に闖入してくる。
「でも本当に、大変なことが起きようとしているんですよ。実際、新聞なんか読んでみるとどう見ても乱れていると言うか……このままだと、きっと大変なことが起きるような変な感じ。少しばかりするときはとかありませんか?」 
 その言葉の語調と彼女の表情との間のつながりは、ちょうど目の前のパフェとその脇にのけられた勘定書みたいなものだ。俺のそう言う直感は「悲しげな表情」のままこちらを見つめている「ヨウコちゃん」からはどんな風な感想を引き出すことになるのだろうか?変わらずに、確かに、静かに、彼女は俺を見つめている。凍り付いたように動かないその姿は後ろの高校生達がたてる忍び笑いへと行きそうな意識を無理にでもその一点に縛り付ける。
「そうですかね?そんなになんか起きそうに見えますか?世の中。だとしたら少しばかりましになってもいいような気がしますがねえ。それに、そんなこと俺みたいなつまらない……自分一人が生きているってので精一杯の人間がそんなことを気にしてどうするって言うんですか?俺にはそっちの方がどうにも気になるんですよ。どうせ何もできやしないのは分かり切っているっていうのに……まるで何かに追い立てられるように……」
 『追い立てられる』という言葉がこぼれたとき、俺の唇はようやくその動きを止めた。妙な間の悪さに自然と頬の筋肉がひきつる。それも彼女も同じだ。期待はずれの言葉の裏にまた全く違うマニュアルのページが聞かれ始めているのだろう。その視線は宙に浮かび、手にしたスプーンはその回転の速度を速め、それにつれて固体であったアイスクリームはすっかり液化してしゃぶしゃぶという音をたてる。
「いえ、あなたはそう言いますけど、確かに変わっているし、それに……」 
「そもそも、悪いってなんですか?それにそもそもそんなことに対してあなたは何ができるって言うんですか?別に僕が納得できるような言い方じゃなくてもいいですから、なんかはっきりここに示してみてください!」 
 「ヨウコちゃん」の手が止まった。その唇は何かを訴えるように堅く結ばれている。肩が微かに震え、その眼の下に浮かんでいるのは涙だろうか。俺はコップのそこに僅かに残った黒い液体を一息に啜り込んだ。
「あっ、雨。止んだみたいですよ」
作品名:視野の重なり 作家名:橋本 直