小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

アンジェラ

INDEX|3ページ/6ページ|

次のページ前のページ
 


 ── 2 ────

 それは海から訪れる一日のはじまりに、彼女が涙を浮かべながら祈りつづけた甲斐あってのことだったのかもしれない。少女がはじめてその変容に気がついたのは、そんな青白い夜明けのなかのことだったのだ。寝台で背を丸め枕を抱いていた少女はその日、いまや水平線に滲み出そうという太陽への祈りのため寝返りを打った。すると彼女はその瞬間、僅かながらの違和感をそこに覚えたのだ。それはシーツの生地を背中の痕跡が引っ掻いたような感触で、これまでにおよそ感じたことのないようなものだった。
 少女は音のたつように息をのむと直ぐに、がそこからは恐るおそる、自分の背中へと手をまわしてみた。先ずは自らの肘の内側にくちづけをするような格好で手をまわし、次には後ろ手に締め上げられるような格好でその尖端に触れてみた。ゆびの先には確かにその感触があるのだった。それまで切り落とされた断面のようであったその痕跡に、ちいさな突起が生まれていたのだった。少女は寝台から跳ね起きると、走り寄った鏡台から手鏡を鷲づかみ、直ぐに窓辺の姿見の前に戻ってきた。寝間着を肩から滑らせて足許に落とした。海からの柔らかく横向きの光源に人形のような裸を照らされて少女は、合わせ鏡の無限の奥行きのすぐ手前を、真剣な面持ちで覗き込む。変容は確かにそこに見られた。彼女はその尖端をゆび尖で愛で、自分の周囲でだけ渦を巻くような鼻歌を歌っては、飽きるまでそれをつづけ、嬉々として齣のように回りながら寝台に倒れた。手の平を握り合わせ太陽に感謝した。目頭から鼻梁へ、そして目尻へとつたう涙が、頬にするシーツへと染み込んで、その部分を温かくそして柔軟にした。
 よりいっそうの祈りと、神託に耳を傾ける日々が、そこからははじまった。しばらくはショールで隠すことのできた翼にそれが適わなくなると、老人が町の少年を雇い、少女の役割であった買い出しをすべて任せたのだった。少女はその部屋にただひとり引き籠もり、その窓辺で、神話を読む木椅子と姿見の間を往復した。少女の姿が海を背景にしてその残像を積み重ねる。すると日毎にその翼は確かなものになってゆき、まるで羊歯類が繊細な葉を広げるように、純白の羽根が広がりをもって生え揃ってゆくのだ。彼女はまるでオペラのヒロインが自ら伸ばしたゆび尖に眼差しを絡めるように、日毎に操れるようになってゆく翼を広げると、その尖端を遠く見すました。胸の前で手をあわせると俯いて翼を畳む。老人はそんな彼女を、それとは知れぬ難色の眼差しで見まもるのだった。
 翼をもつ者の定めとして、少女は空への憧れを、そしてその時代その向こうに存在すると思われていたものへ憧れを、いつしか抱きはじめたのだった。それは余りにも当然なことの成り行きかもしれなかった。彼女は翼を操るための、訓練をはじめたのだった。はじめのうち、ゆっくりと伸ばすことしかできなかったその翼も、時を経て手足のごとく操れるようになっていった。動作は自然なものになってゆき、たとえば寝起きに伸びをするときには腕を追って半開きになるし、驚いて身を縮めるときなどには、背中に小さく引き締まった。木椅子に座るときは背もたれの後ろに真っ直ぐに垂れた。老人はそんな少女と向かい合い、がその変容には黙し、日々淡々と食事をした。
 リアス海岸の岸壁に沿った小径を下り、少女が町を訪れることがなくなってからというもの、ふたりの食事にはおよそ話題とするものが失われてしまっていた。もとより人々を擦り抜けるガラス玉のようであった眼差しも、彼女の翼が確かな形状をもちはじめてゆくにつれ、ますます掴み所のないようなものになっていった。食事の献立について老人が少女に問い掛けると、が確かにその眼差しは老人をしかと捉えているのだった。けれどその眼差しは地上のあらゆるものを擦り抜けていた。彼女が空を見あげその向こうを思い描くとき、また水平線へと広がった海原に雲の柱が多く立ち並ぶそんなとき、大気に響き渡るその声を、聞いたようになる瞬間があった。老人は岸壁に立ちつくす少女の、そんな背姿をいくどとなく窓辺から見ていた。潮風がその髪をうしろに流すと、翼が手の平を碗にするような形になり、老人はそこで瞬きをひとつ、次に見るものがまた一枚の絵画となった。老人が静かにそこで目を伏せると、絵画からふたたび、時がやがてという隔たりによって飛躍する。
作品名:アンジェラ 作家名:さかきさい