一歩でも遠くへ
「どうする。今相談するか?っつっても今だろうが明日になろうが俺は考えを変える気はないが」
「…今する。どうせ眠れないよ」
食器を片付ける余裕もなく出て行ったので、テーブルの上には夕飯の名残が残っている。それを片付ける気力もなくて、いつものように相対するように座った。
兄が帰ってきて食事をしていたときが、たったの1、2時間前だというのに、何もかもが大きく変わってしまって、脳が追いついていかない。
「兄貴って少年兵だったんだ」
「まぁな。でも俺らの年代じゃ珍しいもんでもないだろう」
「そだね。俺、親方の家に住むことになんの?」
「最初に軍が徴兵に来る時はあっちにいた方がいいだろうな。こっちはこの頃ずっと住み着いてるけど、本来は作業用の家だって証言してもらうよう近所の人に頼み込めばいい。
その後は時々行くくらいでいいんじゃないか?」
「兄貴は、行っちゃうの?」
「それしかないだろ。ちょっとでも反抗すれば殺される。親方が行ってしまったら、俺の仕事もお前の内職も上手くいくとは思えない」
「勝てるかな」
「さぁな。A国の軍事力も、この国の軍事力も知らないし、それぞれの指揮官のことも知らないから何とも言えねぇな」
「……帰って来れる?」
一番聞きたくて、でも一番聞けなかった言葉は、ひどく無様に震えてやっと出てきた。
怖くて顔が上げられなかった。俺が望んでいる答えなんてわかっているくせに、戦いってモノを肌で知っている兄は何も返してくれない。
「……少年兵の中にも、大人並みに強くて頭の切れる奴がいた。でも、そんな奴でも結構最初のほうに死んでしまったし、こいつは死ぬの早いだろうなって思ってた奴が意外と長い間生き残ってたりした。
……生きて帰ってこれるかどうかなんて、戦争において確実性なんてないんだよ」
静かに、ただ静かに紡ぎ出された言葉は、他に音を立てるものの無い部屋に沈殿し、拡散した。
兄の方が見えない。イヤだ。行かないで。死んじゃイヤだ。一人にしないで。そんな言葉が頭の中を駆け巡るのに、喉につっかえて一言も発することが出来ない。
あぁ、いま少しでも動けば何かが破裂して、塞き止められたものが決壊しそうだ。
「……もう遅い。明日正式に親方に頼みに行くぞ。部屋に行って休め。無理矢理にでも寝ろ。この方付けは俺がやっとくから」
立ち上がった兄に肩を叩かれ、俺は覚束ない足で自分の部屋に戻った。電気を点けずベッドに倒れこむ。しばらくすると、ドアの向こうからかすかに水の音が聞こえてきた。
短い時間の間に、あまりにも大きな事がありすぎて疲れきっていた俺の頭は休息を求めていたらしく、沈むように意識を失った。