小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

一歩でも遠くへ

INDEX|4ページ/18ページ|

次のページ前のページ
 


 1世帯から一人――


 その後兄も俺も一言も発せず、ただ椅子に座っていた。
 何も信じられなかった。こんなに突然、また戦乱の渦の中に突き落とされるだなんて夢にも思っていなかった。
 ただ俺は呆然として、なぜ、どうしてという言葉だけが頭の中を巡っていた。

 放送からどのくらい経っただろうか、急に兄が俺の腕を掴み、引きずるようにして歩き始めた。そんな兄の行動に戸惑ったけれど、それよりも放送の内容のショックが大きすぎて、地味に腕が痛いとか、夜にどこに行く気なんだとか、何も聞けなかった。

 そのまま外に出ても兄はずんずん俺を引っ張っていく。周りの家々から何か声が聞こえるけど、俺の頭には明瞭な形として入ってこなくて、ただ耳を通り過ぎていくだけだった。

 歩き続けて、親方の家の前まで辿り着いた。あ、親方の家だとか働かない頭で考えてたら、一瞬止まった兄にまた引っ張られて、鍵のかかっていなかったらしいドアを潜って中に入った。

 やっと腕を放してくれて、あぁ痛かったとか思いながらも、いつもより大股で歩く兄に置いて行かれまいと急いでついて行く。
 光が漏れる部屋に踏み込めば、まだ親方に会ったばかりの頃特に世話になったリビングに沈痛な面持ちで親方と奥さんが座っていた。

「親方。放送、聞いたんですね」
「お前らか。……聞いたさ」

 親方の、普段よりも更に低い声が、ラジオが切られた部屋に重く響いた。その時ハッと気づく。
 親方夫婦には一人も子どもがいない。奥さんが子どもの産めない身体らしく、それでも構わないと周りの反対を押し切って結婚したらしい。
 そう、子どもが一人もいない。つまり、親方が戦地に赴くしかないのだ。

 そこまで考えが及んだ時、兄が急に地べたに付くほど頭を下げた。


「お願いします。俺達を、軍隊が来る前に養子としてこの家に迎え入れてください」


「兄貴?!」

 その言葉に、俺は思わず唖然として兄を見た。捕まった俺を助けようと謝り倒していた時でさえ、ここまでのことはしなかった。親方夫婦も固まっている。
 俺はまるで頭が回んなくて、ただ兄の背中と後頭部を見つめ続けていた。すると親方が立ち上がり、頭を下げたままの兄の背中をぽんと叩いた。

「いいだろう。お前たちを息子として迎え入れてやる。女房を一人残すのが心配だったが、お前らがいるなら安心だろう」
「な、アンタ……!」
「何も言うな。ここで逆らえばどうなるか、お前も分からないわけじゃないだろう」

 親方が言った言葉に、奥さんが悲痛な声を上げる。しかし続いた親方の声に、奥さんは口を噤んだ。そのやりとりに、兄が跪いたまま顔を上げた。

「何言ってるんですか親方。出兵するのは親方じゃない。俺ですよ」
「兄貴……?」

 本当に驚いたように、兄は親方を見つめて言った。その言葉に親方も絶句したようで固まっている。俺は次々と進んでいく話についていけなくて、ただ、頭の中はもうすでに真っ白だった。

「バカモン!お前は戦争というものがわかっているのか?子どもの遊びじゃない。だいたい、子どもが行ったとて犬死するだけだ」

 どのくらい経ったか、ほんの数瞬だったとは思うが、親方が顔を怒りの形相に変えて叫んだ。その大音声で俺も何とか覚醒する。
 兄は確かに運動神経も良くて、子供っぽい所もあるなりに大人びていて、兄と会話を交わした人は童顔なんだと思い込んで4つ5つ上の年齢を想像する。しかしはっきりとした年齢は本人にもわからないものの、まだ二十歳を迎えたぐらいの子供なのだ。

 親方の声に驚いたのかキョトンとしていた兄は、次の瞬間には可笑しそうにケタケタ笑い始めた。親方や俺はそんな兄の行動にまた硬直する。
 なぜか笑いの壷に嵌ってしまったらしい兄は、微妙な空気の中なかなか笑い止まず、漸く止まる頃にはその目に涙を滲ませていた。

「だって、そんなこと言ったって、親方は組織でのとか関係なく戦闘には参加したことないんでしょ?」
「そりゃあまぁ、そうだが……」
「ライフルとか、護身用の拳銃でさえも好きじゃないって言ってたじゃん。つまり銃の扱いとか、戦闘の仕方とか何も知らないんでしょ?」
「そうだが。若けりゃ補えるって言いたいのか?」

 渋い顔で親方が聞くのに、兄はまた軽く笑う。

「違う違う、言ったことなかったっけ?俺元々少年兵で、何度も実戦の、しかも前線張ってたんだけど。あ、証拠見ます?少年兵って大人の兵士よりも扱い悪いから、傷痕バリバリ残ってんすよね」
「!お前……」
「兄貴……」

 上服を捲り上げたそこには、火傷痕、銃創、切り傷や乱暴に縫われた跡で敷き詰められていた。額の端と耳の後ろから首の付け根にまで走る傷痕の存在は知っていたが、体中にそんな痕が残っているとは思っていなかった。

「こう言っちゃ何ですけど、比較的平和な場所で恋愛できてた親方よりも、何か気づいた時にはすでに教育受けてた俺のほうが戦闘については良く知ってますよ。
それに、親方がいないと俺仕事できないじゃないですか。親方あっての仕事なのに、しかもこれから不景気になるって状況で、俺達2人じゃとても奥さん支えていけませんよ」

 次々と放たれる兄の言葉に、俺達は一様に口を噤むしかなかった。状況について行けてない俺や奥さん、元来寡黙で口下手な親方じゃ策士で口の上手い兄に勝てるはずがない。
 自信有り気ににこにこしている兄を悔しそうに、それ以上に辛そうに見つめて、親方は重い息を吐いた。

「腹は、括ってるんだな?」
「ガキの頃は何度も死に掛けました。死ぬかも、今度はさすがに死ぬか、あぁまた死ななかった。そんな事ずっと考えてた。守るものも何もなくて、ただ言われるがまま殺して殺して殺し続けてた。
 でもその頃の経験を、何かを守るために使えるのなら、俺は戦い抜いてみせます。死ぬのが怖いなんて感情俺にはない。ただ、守り抜いてみせる。それだけです」

 兄の目はあまりにも真っ直ぐで。そこには見たこともない大きな意志があって。俺はただ呆然と兄を見ていた。
 親方は兄の様子を見てひとつため息をつくと、屈んだまま俺を見上げた。

「養子の件、とりあえず俺は認めよう。どうせ俺が養子にしないと俺とお前が出兵しなくちゃならなくなる。一回家に帰って、兄弟でちゃんと話をしろ」
「ありがとうございます。帰るぞ」
「…失礼しました」

 頭の中は相変わらず真っ白だったが、教育の賜物か退室の挨拶は何とかすることが出来た。そのまままた腕を掴まれ引きずられるようにして家に戻った。

作品名:一歩でも遠くへ 作家名:papama