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一歩でも遠くへ

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外伝 “英雄”の最後



戦勝国の英雄の手記(新聞記事)


 ただ、戸惑った。

 国境付近で戦った兵士たちは元々国に忠誠を誓った者たちばかりで、その士気が高いのはよくわかっていた。
 しかし、敗戦直前のあの砦を守っていた者たちは、紛争により作られた国家など当てにはしていなかったはずだ。
 現に彼らの目は悲壮感を抱え、砦を崩すのは簡単だろうと思っていた。


 だがどうだ。彼らに“英雄”が現れた。

 将軍の本来の子息はすでに国外へ逃亡したと連絡が入っていたので、国が勝手に作り出した幻影だということははっきりしていた。
 なのに、急に兵たちの熾烈な抵抗が始まった。私は驚きを隠せなかった。前線にいる兵だからこそ、“英雄”が幻影であるということなど誰よりも深く知っていたはずであるのに。
 私は答えが見付からず、自ら前線に立った。変わらず兵たちの目には悲壮感が満ち満ちているのに、いや、更に深く深い絶望を抱いているのに、その中に卑屈な、それでいて確固たる意志が垣間見えた。


 1ヶ月程で陥落すると思われていた砦は、4ヶ月もの時間を要してついに陥落した。

 敗残兵の中にも、わずかだが生き残っている者たちがいた。
 私はその中に、“英雄”を見つけた。怪我の状況から見て、助からないことは目に見えていた。
 彼の目は悲壮感など通り越して虚無を抱えながらも、それでいて何か大きな、とてつもなく大きな意志を内包した、不可思議な色をしていた。

 私はかねてより抱いていた疑問を、あえて死の間際に立つ“英雄”に問いかけた。何故、負けることがわかっているはずなのに、そこまでして戦うのかと。その目の奥に潜む意志は何なのか、と。
 彼は霞むのだろう、その目をひそめて私を見つめ、荒い吐息を越え、静かになってきた呼吸の中で言ったのだ。

「一歩でも遠くへ。血や、土埃や、爆音なんかよりも、恨みや悲しみよりも、ただ一歩でも遠くへ。一人でも多くの人が逃れられるなら、死を待つだけの己の命など、惜しくはない」

 私には信じ難かった。しかし、彼はとても、とても奇麗な目で、はっきりとは見えていないであろう私を真っ直ぐに見つめて、厳かに告げてみせたのだ。
 彼の目は自分の死を知っていて、それでいてその視線の先には、幸せに微笑む自分以外の人々しか映っていなかったのだろう。


 その後、ラジオ放送を終え、彼は永久の眠りについた。
 その表情は何処までも穏やかで、まだ25をも越えていなかったであろう彼の死に顔は、どこかあどけなくて、まるで眠っているかのようだった。
 生き残った他の捕虜たちに彼の死を告げると、彼らの中には泣き崩れる者さえいた。
 彼の言葉で沢山の兵士たちがその身を投げ出した。しかし、死を待つだけしかなかった彼らにとって、彼という存在は確かに“英雄”そのものだったのだろう。

 最後に、彼に心残りはないかと問うた時、彼は目をつむり、口元にひどく愛おしげな笑みを浮かべ、弟との、「必ず帰る」という約束を守れなかった。と、ぽつりと言った。


 何たることかな、私はその時まで自分が戦っている相手が人間であるとは、真に理解していたわけではなかったのだ。
 私の策により、私自身の手により死んでいった兵士たち。彼らは人であったのだ。愛する者、大切な、幸せを願う人々を持った、一人一人の人間であったのだ。

 私はその時決意した。このような戦争など、早急に終結させねばならない。早急に、それでいて少しでも被害を小さくするよう。
 ただその意志のまま策を練り、独裁者を炙り出すことに執着した。同じ考えを持つ者を支援し、渋る政府を押し切り反乱に加担した。


 私は、“英雄”などではないのだ。

 私は人の命を理解せず、盛大に、出来るだけ大きく破壊する事しか考えていなかったのだ。
 彼に出会い、自分の間違いにようやく気づいて、ただひたすらに自分が消し去った命の重さから逃れようとしていただけなのだろう。

 私は、“英雄”などではないのだ。彼もまた、“英雄”ではなかった。しがない、ただの人なのだ。
 “英雄”などいないのだ。“英雄”など、ただ戦争を、いや、人殺しを正当化するための幻影でしかない。


 ただ絶望を抱えながら、それでも戦い死んでいった彼らが、命をかけて幸福を祈った人々の下に、神の慈愛が降り注ぎますように。

 散っていった彼らの願いが、どうか人々の上に光となって降り続けますように。


元陸軍将校手記より抜粋

作品名:一歩でも遠くへ 作家名:papama