一歩でも遠くへ
――俺は何も情報など持っていないというのに。
あの将校殿は、情けをかけることで何か引き出せるとでも思ったのだろうか。
弟との約束を、果たさせてみせるなど。
馬鹿な事だ。
“英雄”にされた時点で政府によって俺の記録は消されたし、俺も弟や親方夫婦に繋がるようなものは全部消した。
俺の足跡を追うだなんて無謀もいいところだ。部下たちに対しても地域を特定できるような発言はしていない。
昔自分が所属していた少年兵部隊が特殊だったことは、おぼろげに知っている。
上層部がその生き残りである俺をただ放置しておくことはないであろう事も。
だから、荷物は最小限に。何の手がかりも見つけられないように、服以外のものは何も持ってこなかった。
正直に言うと弟との約束は反故になることが前提だったから、最後に振り返ることが出来なかった。
約束した時、よく自分の顔が歪まなかったと、あの時の自分を褒めてやりたい。
親方夫妻に頼みに行く際に、もう帰ることなど出来ないとわかっていたし、死ぬ覚悟も決めていた。
――あぁ、でも、期待してもいいのだろうか。
弟のもとに、俺を家族と認め、兄弟というものを教えてくれた二人目の、そして最後の家族のもとに。
生きて帰ることは叶わずとも、あいつのもとへ。
自分でも馬鹿な期待をしているのはわかっているけれど、ここしばらく絶望の灯った瞳ばかり見ていた俺にとって、彼の瞳はあまりにも真っ直ぐ過ぎた。
彼ならば、初めて兄弟というものを教えてくれた人に似た光を宿す彼ならば信頼してもいいのではないかと、心のどこかが熱を持っている。
先日次の要塞に送った幼い兵士たちは、無事に辿り着けただろうか。そこで偉いさんをしているらしいあの人はどんな判断を下すだろうか。
初めて俺を兄弟だと言ってくれたあの人。きっと何か手を打ってくれる。
だが、どんなにこの先の事を考えようとも、もう自分の命がどれほどかなんて自覚している。
この戦争の、そして敵軍将校との一方的な約束の行く末すらも、関わることはおろか知ることもできない。
後は野となれ山となれ、か。仕方ない。この道を選択したのは自分自身だ。
目の前の霞が酷くなってきた。もう苦しいなんて感覚は遠いが、息が浅くなっているのを壊れかけた聴覚が訴えている。
弟もラジオ放送を聞いていただろうか。聞いていて欲しいような、無いような。
聞いていたとするなら、ちゃんと言いたかったことを理解してくれただろうか。
何だかんだ言いながら精神的に強かったあいつのこと、意味はわからずとも幸せに生きてくれるとは思っているけれど。
どうか幸せに。恨み辛みではなく、ただ前を向いていれば、俺に幸せを教えてくれたお前なら幸せを見落とすことは無いから。
一歩でも遠くへ。不幸を見続けていれば、その方向に足を向けてしまうから。
幸せだけを見つめて、その方向へ一歩ずつ、歩み続けて。
――ああ、空が高い。
願わくは、この空が故郷へと続いていますように。