一歩でも遠くへ
第4章 無機質から降り注ぐ願い
――辺境の街から隣国に避難して早3ヶ月近く。
何かと不便なことも多いが、人種は元々同じ系統に当たる隣国の人々は国境の境目とはいえ追い出さずにいてくれる。
この辺りには10年前終結した紛争の際に避難してきた人も多いというのが大きな影響を与えているのかもしれないが。
少しでも自国の情報を手に入れようとラジオを繋いでいるが、砂嵐が起こったりするとただでさえ聞き取りづらい音が砂嵐と合唱してしまう。
――まぁどちらにしても、確かな情報なんて流れていやしないのだろうけれども。
避難した土地に親方の知り合いがいることが判明し、その人を仲介として掛け合い、親方はいま再び大工として働いている。
奥さんは他の女性たちと一緒に炊き出しを行ったりと精力的に動いている。
他の男たちも力仕事に参加したり、他の町に出て僅かながらにも稼いでいるらしい。
しかし、俺はといえば急な環境の変化の所為か体調が悪化。
動けないわけではないんだけれども、急に目眩や頭痛を起こすことがあり、大人しく子供たちの世話をしている。
その役目も年頃の女の子のほうが適任なので、俺は色んな所を行ったり来たりしている状態だ。
自分に出来ることは無いのかと思っていたが、最近は急激に避難民が増えてきて、連絡係も楽な仕事ではなくなってきた。
勤めに出られるほどの年齢ではない年下の少年たちを束ねて四苦八苦している。
それもここ2週間辺りでは上手くまとまる様になり、人口も安定してきた。
この地に避難してきた人数や出身の把握などを数人がかりで交代に行い、その合間にドッグタグを握りしめてラジオを聴く。
それが習慣になっていた。
急激に避難者が増えたのは、ちょうど2ヶ月ほど前だっただろうか。
それまではちらほらと増えていく位だったのに、数日のうちに数十人の避難民たちが押し寄せてくるようになった。
その対応に追われている間に更に大きな避難民の第2波が来て、当初の3倍近くの人数にまで膨れ上がった。
このときが一番のピークで、目眩がするなんて言っていられない状況だった。
突然のことに炊き出しや怪我人の治療が追いつかず、色んなところにしわ寄せが起こっていた。
そんな状況も奇跡的に収まり、何とか息をつく暇が出来たと思えば熱で倒れた。
その時に看護してくれた人は第1波の人で、前線の砦から来たという兵士に避難を促されたと言っていた。
兵士はその人の街でそう触れ回った後、違う街へ向けて去っていったらしい。
前線の砦といえば、旧時代に民族間で起こった戦争で不落の要塞と呼ばれたものだったはずだ。
その後には見渡す限り平地が横たわっていて、砦が崩されれば敵を地理的に妨げるものは何も無い。
防衛線の要とも言える場所から避難を促しにやって来た兵士。
ただの脱走兵ならそんな事はしないだろう。
そこまで考えた時、なぜか背筋がぶるりと震えた。
それを何とか振り払おうと頭痛を起こしそうな勢いで頭を振る。
ふと、旅立つ直前に見た新聞記事を思い出した。
――“英雄”は、前線の砦にいたはずだ。
喉が引きつる。
鼓動がやけに頭に響いて、胸が焼け付くような感覚が湧き上がる。
懸命に息を継ぎながらラジオを抱え込み、世界を拒絶するように屈みこんだ。
不便な生活ながらも何とか日々を過ごしていたある日、国境側がざわついた。
振り返ってみれば、何かを囲うように人々が一ヵ所に集まり始めている。
砂嵐を吐き続けるラジオを切って、その人だかりへ向かった。
「どうしたんですか?」
背が高いからといっても所詮10代の俺では様子を確認できず、中心辺りから飛び出してきたらしい人に問いかけた。
急いでいるらしく、男性は目線で何かを探している。
「兵士が一人ここにたどり着いたんだ。でも酷い怪我を負ってる。早く医者を呼ばないと……」
「兵士が?! っちょっとすいません!」
人ごみを強引に押し分け円の中心まで来ると、軍服を斑に黒く染めた兵士が横たわっていた。
全身ボロボロだが、特に腹部が黒く染まっている。ヘルメットにも僅かとはいえヒビが入っているのが見える。
息も喉を鳴らしながらで、ギリギリで継いでいるといった状態だ。
しかし、その状態でなお兵士は何かを告げようと口を開いた。
「……が、っに………ぉと――」
「もうすぐ医者が来る、しゃべるんじゃない!」
一番近くにいる男性が何とかしゃべるのを止めようとするが、兵士は壊れた人形のように言葉をつむぎ続ける。
膝をつき兵士を真上から覗き込んでみるが、その焦点は明らかに自分に絞られていない。
そんな事をしているうちに、内臓出血か、喉が破れたのかはわからないが、兵士は血を吐き出した。
咳きこむ力も無いのか、兵士はぐったりとしたままで血はこぼれ落ちる。
ここには医療施設、果ては薬さえも足りていない。例え医者が来ても、もう出来ることはないだろう。
一度目を閉じ、腹に力を入れると、兵士の背に腕を回し引き起こした。
周りから制止の声がかかるが、構わずに話しかける。
「何か伝えたいことがあるんだろう、もう一度言ってくれ」
「だ、そぉ……が、ぃがし…の……っ」
兵士は懸命に言葉をつづろうとするが、再び血を吐き出した。何の気休めにもならないことは承知の上で背中をさする。
もう手の施しようがないことを悟ったのか、他の者たちも沈黙に徹した。
兵士が土気色に近い顔を再び上げ、静かになってきた呼気に音を乗せた。
「大総統は、東の、鉱山跡地に、潜んで………!」