左地臼氏殺害事件
「それで、とりあえずケーキを運んできた一郎君が、左地臼氏のいるべき場所まで行ってみたんですよね」
金椎氏が、左地臼夫人の跡を引き継いで、そう言った。
「ええ。それで、事件が発覚したわけです。しかし、三分はいくらなんでも長すぎると思いませんか? 三分間も合図がないまま待機しているなんて、少しのんびりしていると、普通なら思います」
「でも、そういう人だったからねえ」
金椎氏は、遠い目をして、そう呟いた。
「左地臼氏は、悪戯が好きだったからね。三分間暗闇が続いても、誰も何の苦情も言わなかったのは、皆彼の性格を理解していたからさ」
金椎氏の言葉に、招待客たちはうなずき交わした。
「一郎君だって、そうだったんだろう」
金椎氏は、大広間の入り口で待機している使用人・一郎君に、そう問いかけた。一郎君は「はい」と答える。亡き人の面影に思いを馳せ、静まり返った広間で、私は声を上げた。
「そうです、そうなのです。皆さんの言うとおり、この事件がこうもスムーズに行われたのには、他でもない、被害者の左地臼氏の性格も影響しているといえます。まあ、それはこの際大して重要でもないのですが」
「重要じゃないのかい」
警察官が、鼻で笑う。私はそれを無視して、話しを続ける。
「では、肝心の死因――左地臼氏の死因ですが。検死の結果はまだ出ておりませんが、わたくしは実際に見ましたから知っております――、彼は、胸をナイフで一突きされておりました」
「なんて惨い……」
それまで余裕の表情で立っていた金椎氏が、口元を手で覆って首を振った。左地臼夫人はテーブルに半身を預け、おいおいと泣いている。
「そこで、この三分の間に、左地臼氏に容易に近寄れる人間を考えてみたのですよ……。そこで、左地臼夫人、そして金椎氏、あなた方が浮上したわけです」
「でも、私は殺してなんていませんわ!」
「僕もだよ。左地臼氏とは本当に親友だったんだ。彼が死んだことで相当参ってるのに……この上犯人扱いなんて、よして欲しいよ、本当に」
金椎氏の表情には、余裕と同時に疲れと困惑が浮かんでいた。そして、目じりにはうっすらと涙の跡が。
「すみませんね。でも、わたくしもこれが商売ですので」
「探偵なんて、本当にろくでもありませんわ」
「同感だな」
容疑者二人は、声をそろえる。私はそんな二人に向かって、微笑みかける。
さて、そろそろ芝居に幕を下ろすときだ。
「しかし、――実のところ、犯人はあなた方ではありません」
「え……」
金椎氏は意外そうな目で私を見る。夫人は泣き続けている。
「実はもう一人、容疑者がいるのですよ」
「それは――?」
金椎氏は私を見つめる。私は微笑を崩さぬまま、続ける。
「その人物は、もう長いこと左地臼氏に世話になってきたのです。その癖、左地臼氏のことを、心底から嫌っておりました」
「で、誰なんだい、その不貞な輩は」
「まあまあ、そうかっかしないで。彼の名は、左地臼弱男(じゃくだん)。左地臼氏の、長男です」
流石に、客達は絶句したらしい。私の話を遮ることもない。実に静かで、心地よいシチュエーションである。私は変に語調が高揚しないように気をつけながら話を続けた。
「弱男は、あの会場にいました。それも、左地臼氏のすぐ傍に。ただ、誰もその彼が左地臼氏の長男であるとは、思っていませんでした。――現に、左地臼夫人、あなたは気付いていませんでしたね?」
「え、ええ……」
左地臼夫人は、かすれた声で答えた。
「私、知りませんでしたわ……。だって、長男の弱男は死んだと、主人から伝え聞いておりましたもの」
「ところがどっこい、というやつですね。彼は生きていた。左地臼夫人、あなたは大方、ご主人から、弱男は生まれた瞬間に産声をあげることができずに死んでしまった、と聞いていらっしゃるのでしょう」
「……、はい」
「ですがね。何度も言うとおり、彼は生きていたのですよ。そして、その彼が犯人だということを、わたくしは知っている」
「思わせぶりだなぁ」
警察官が、思いっきり私の話の腰を折った。私は一瞬いらついたが、すぐに気持ちを切り替える。
「彼は、死んだことにされ、実の母親である夫人とも接触をしてはいけないことになっていた。その理由は、左地臼氏が死んだ今となっては、誰にも分かりえないことです。ですが、彼がその弱男であったということを、私は知っている。左地臼氏が殺された瞬間、私はそれを見ていたのですよ。左地臼氏は死の間際、こう呟いたのです――『弱男、』と」
「何ですって」
金椎氏はぽかんと口を開け、ワイングラスを取り落とした。
「探偵さん、そこまで分かっていながら――その左地臼氏のご子息、弱男君が犯人だとその目でしっかり目撃しておきながら――……、何故こんな茶番じみた推理ショーもどきをなさったのです。それに、その弱男はどうしました」
「まあまあ落ち着いてください、金椎さん。弱男は――この人騒がせな芝居の陰の主役である左地臼弱男は、とっくのとうに、警察に自首しています」
「何ですって」
金椎氏だけではない、今まで静かに事の成り行きを見守っていたほかの招待客たちも、異口同音にそう叫んだ。予定調和、そうこれこそ私の求めていた聴衆たちであった。
「じゃあ何ですか、探偵さん、あなたは私たちを意味も無く寄せ集めて、意味も無くいらいらさせて――……、そして意味も無くこの事件を終わらせようというのですか」
「そうですよ」
私はにっこりと肯いてみせる。金椎氏は地団太を踏んだ。
「何と言う時間の浪費! 何と言う感情の無駄遣い! ああ、訳が分からない、訳が分からない!」
「意味など求めるほうが悪いのです。そもそも、時間は無限にあるのですよ。その無限の時間の何兆分の一かをわたくしの滑稽芝居につぎ込んだからといって、あなたに損がありますか」
「うるさいうるさい、そういう話をしているんじゃない。……ああ、もういいです。もういですから、探偵さん、とっととさっさと帰ってください、お願いですからこれ以上、私の頭の中を踏み散らかさないでください――」
金椎氏は地団太を踏み終わると、次に自分の頭をぽかぽかと殴り始めた。
「そうだそうだ、さっさと行きましょう」
そう言ったのは、組んでいた腕をようやくほどいた警察官だ。ようやく終わったか、と言うような目で私を見ている。私は肯いて、もう一度招待客たちに向き直り、礼をした。
「では、これにて『左地臼氏殺害事件』茶番劇、終幕とさせていただきます」
そうして、混乱状態に陥った大広間を後にしたのだった。