魔術師 浅野俊介2
浅野はグラスを拭きながら思った。今日は客が少なくて助かった。
マジックを見せて欲しいということも言われない。
(マジックに飽きてきたな…)
浅野はそう思った。この2週間連続でやらされていたため、そろそろかなとは思っていたが…。
圭一には帰ってもらった。20歳とはいえ、毎晩24時まで働かせるのは良くないだろうと思ったからだ。
本人は心配そうにしていたが、帰っていった。
……
24時になった。
浅野は後片付けに入った。今日は本当に楽だった。少しさびしい気もするが、これくらいがちょうどいい様な気もする。
携帯が鳴った。
圭一の父、明良(あきら)からだった。
「はい?…え!?…いえ…10時には帰ってもらったんですが…!」
浅野の携帯を持つ手が震えた。
……
浅野には予知能力の類はない。それがあれば、圭一が何か危険な事に会った時わかっただろうに…と、浅野はタクシーの中で唇を噛んだ。
圭一は姿を消していた。何も知らない明良達は、プロダクションの屋上から1階まで探し回り、圭一がよく行く場所も探したが、いないという。
圭一の飼い猫「キャトル」もいなかった。
(キャトルの予知能力が利かなかったとしたら、やっぱりあいつが…しかし…どこだ?)
タクシーの運転手が困ったように言った。
「お客さん…このまままっすぐ走ってたらいいんですかね?」
「うん。とにかくまっすぐ走ってくれ。」
浅野が言った。
すると頭の中に声が聞こえた。
『ここだよ。悪魔とファミリアは…』
「!!」
浅野は辺りを見渡した。が、はっとして上を見た。
高いビルの屋上に、圭一がキャトルを抱いている様子で、こちらに背を向けて立っている。それも少しでも揺らいだら落ちるような場所だった。
「止めてくれ!!」
浅野が突然タクシーの運転手に言った。
そして財布ごと運転手に渡し、外へ出た。
「お客さん!困ります!」
運転手が窓を開けてそう言ったが、浅野は道路を渡って向こう側へ走った。
……
浅野はビルの裏手に行き、誰も周りにいないことを確認すると、額に人差し指を当て念じた。
ビルの屋上に移動したことを感じ、辺りを見渡した。風が強い。
「圭一君!!」
見渡したビルの端に圭一の姿があった。立ったまま眠っているように目を閉じている。圭一の手に抱かれたキャトルの体からオーラのような帯が見える。圭一を守るように帯は圭一の体に巻きついていた。
「おっと、それ以上は寄るなよ。」
同僚の声がして、姿を現した。
「!!天野…!」
「全く懲りない奴だな…。マジックをやめる約束だったじゃないか。」
「…約束なんてした覚えはないが。」
浅野が言った。天野が目を見開いた。
「先生と約束したはずだろう!?」
「さぁね。約束したのは、もう師匠のところへは戻らないということだけだったと思うが…」
「浅野…!」
「どうしてお前は、そこまで僕にこだわる!…ほっといてくれ!」
「…なんでいつもお前なんだよ…」
「!?」
「俺は…お前と同じ能力があるのに…どうしていつも影にいなきゃならないんだ!!」
浅野はちらと圭一を見た。
(引き寄せるより落とした方が助けやすいか…)
浅野はそう思うと、天野に言った。
「やっかみなのね。見苦しい奴。」
「なんだと!?」
「他に何があるよ?…そんなやっかみで人の命を奪うようなことする奴だから、お前はいつまでも影モノなんだよ!」
浅野の言葉に天野が激高した。そして振り返り、圭一に向かって手をかざした。
圭一の体がぐらりと揺れ、背中からビルから落ちた。
「キャトル!!起こせ!」
浅野が叫んだ。
キャトルが「ギャーッ!」と鳴いた声で、圭一が目を覚ました。…が、覚ましたのはマッドエンジェルだった。
圭一の開いた目が青く光っている。圭一の落ちていくスピードが遅くなった。浅野が下を覗き込むようにして飛び降りた。
「!!」
天野が驚いて、ビルの下を覗き込んだ。
浅野の背にオオワシのような白い羽が音を立てて広がった。浅野は圭一の体を横抱きにするように受け、ビルの上まで運んだ。
浅野は屋上に圭一を横たわらせた。圭一の青く光った目がおさまった。だが圭一は目を覚まさない。キャトルが圭一の胸から降り、心配そうに頬ずりしている。
「…お前…何者なんだ?」
天野が言った。
「さあね。天使かもしれないし、悪魔かもしれない。」
浅野が苦笑しながら言った。羽は消えている。
「天野」
浅野が天野に近づきながら言った。天野は少しおびえたように後ろに下がった。
「俺の力の邪魔をすることは構わない。だが、罪のない周囲にまで手を出すのはやめてくれ。…たまたま圭一君に悪魔がついていたからこれですんだが、もし圭一君がこのまま死んでいたら…お前は、この先もっとひどい罰を受けることになる。」
「!!」
「…お前が…今まで何をしてきたか…俺は知ってる。俺は過去は見通せるからな。…お前がいつまでも影にいなきゃならないのは、お前の過去が原因だ。…その原因となったのは何か…自分でわかっているな?」
「……」
天野は涙をこぼしてうなずいた。
「過去は変えることはできない。…だが、お前のこれからの行動によって、未来を変えることはできる。俺には未来が見えないからわからないが…。今までどおりのことを続けていたら、お前はますます奈落に落ちて行くだけだぞ。」
天野は涙を流しながら、黙っていた。
……
「圭一君!」
瞬間移動で圭一とキャトルを連れてビルの下に降りた浅野は、まだ眠っている圭一の体を揺らした。
天野の力で意識を失わされ、マッドエンジェルにとりつかれた後である。正直普通の人間なら、かなり体力を消耗しているはずである。圭一が目を覚まさないのも当然だった。
キャトルが心配そうに圭一の頭の周りをうろうろしている。
「…どうしようか…あっキャトル、耳を舐めてやれ。」
浅野がそう言うと、キャトルが言う通り圭一の耳を舐めた。
「わっ!!何っ!?」
圭一が飛び起きた。浅野が笑った。
「大丈夫かい?圭一君。」
「え?あれ?僕…」
圭一がきょろきょろしている。
「ごめんよ。俺のせいで君を危険な目に遭わせてしまったんだ。」
キャトルが唸った。
「はい!ごめんなさい!」
浅野がキャトルに言った。それを見た圭一が笑った。
「同僚の人だったんですか?やっぱり…」
「うん。でももう大丈夫だよ。反省してたから。」
「そうですか…良かった…」
「キャトルが君をずっと守っていたよ。」
圭一が立ち上がって、キャトルを抱き上げた。
「ありがとう…キャトル…大好きだよ。」
キャトルがうれしそうに「にゃあ」と鳴いた。
その時、タクシーが走ってきて、浅野達の傍に止まった。
「よかったー!お客さん、まだここにいたんですか!」
「あ、さっきの運転手さん?」
「財布ごと置いて行かれていなくなるから、…交番に届けようかどうしようか迷って、一旦走ってしまったんですけど、戻ってきてよかったです。」
「…それはどうも…気を遣わせちゃって…ついでにまた乗せてもらえますかね。」
「もちろん!どうぞ!」
運転手がドアを開けてくれた。