魔術師 浅野俊介
浅野が「すいません。」と言って頭を掻いた。
3人はしばらくたわいもない話をした。
話が途切れた時、相澤が口を開いた。
「浅野君は25歳だったね。」
相澤が2杯目のビールを飲みながら言った。
「…はい。」
「…そろそろ口説きに入るけどさ。…浅野君は、そんな実力がありながら、どうしてプロのマジシャンにならないんだい?」
「…はあ…」
浅野は困ったようにうつむいた。
「実は…マジックの師匠から追放されたんですよ。」
「!?…どうして!?」
「アシスタントの命にかかわる…危険なマジックをしましてね。追放されました。」
「…人が死んじゃったの?」
「いえいえ。傷一つつけていません。でも見た目には確かに危険なんですよ。」
「…どういう?」
「美女の火だるまショー」
「!?」
相澤と明良が驚いた。
「火だるまにするのっ!?」
「…確かにあればやりすぎました。でも、アシスタントには火傷もさせないし、熱さも感じさせないんです。見た目が危険なだけなんですよ。」
「そんなことできるのか…」
相澤がまだ驚いている。明良が相澤に言った。
「…だけど困りましたね。…追放されたとなると…簡単にはテレビには出せないですよ。」
「でも師匠に追放されただけで、司法的にはなんの問題もないわけだろ?いいんじゃないの?」
相澤が浅野に向いて言った。
「それは…そうなんですが…。師匠の先輩弟子から、何か嫌がらせをされないか心配なんですよ。こちらにもご迷惑をかけるかもしれません。」
「それは構わないよ。」
「は?」
「構わないって。嫌がらせってどんなのかわからないけど…警察沙汰になるんなら、明良の知り合いの刑事さんに頼むし、弁護士もいるしさ。」
「…はあ…」
「よし、決まり!!君は今から、プロのマジシャンね!本名が嫌なら、何か考えてくれたらいいよ。」
「…いえ…やるなら…本名で…」
浅野が何かを決意したような表情をした。
「…いい顔してる。」
相澤にそう言われて、浅野は我に返って笑った。
……
翌日‐
(こりゃ、驚いたな…)
と浅野は思った。ずっとエレベーター直行で7階のバーへ行っていたので、ビルの中を歩いたのは初めてだった。
掃除が行き届いているだけでなく、空気も空間も清浄されている。
(でっかい教会にいるみたいだな…でもお札(ふだ)とか、クロス(十字架)とか置いてないしな…)
食堂に行くと、圭一が窓際でコーヒーを飲んでいた。
浅野はほっとして、圭一に近づいた。
「浅野さん!」
圭一が気づいて立ち上がった。
「ゴメン。僕もコーヒー飲みたいんだけど、どうすればいいの?」
浅野がそう言うと、圭一はカウンターへ案内してくれた。
浅野は一口コーヒーを飲んで「おいしい!」と驚いた。
隣で圭一がニコニコと浅野を見ている。
「美味しいでしょ?特別なコーヒーメーカーで作ってますから。」
「おかわりOKだっていうから、美味しくないと思い込んでいたけど…。」
浅野が感心している。
「またランチとかも食べてみて下さい。うちのは味も栄養もばっちしですから。」
「さっき、食券の値段見たけど…あんなに安くて大丈夫なのか?」
「社員食堂ですから、半分はプロダクションが負担しているんです。研究生にも独り暮らしの子が多いから、栄養バランスを考えた食事を取らさなくちゃならないって、父さんがメニューや材料からレシピを考えたんですよ。」
「父さんって…副社長だね。」
「はい。…僕、養子ですけど…」
「それは知ってる…っとと…」
浅野が慌てて口を抑えた。圭一が不思議そうに浅野を見た。
「…副社長から聞いたんだよ。」
「そうでしたか。」
圭一が微笑んで浅野を見た。そして前の窓に向き直り、コーヒーを一口飲んだ。
(よく副社長と出会えたよなぁ…。出会えなかったら、こいつの人生最悪だったかも…。)
圭一の過去を見た浅野は、圭一の横顔をまじまじと見ている。すると、びくっと体を強張らせた。
「?浅野さん、どうしたんです?」
「えっ!?…いや…なんでもない…」
浅野はそう言って、慌ててコーヒーを一口飲んだ。
……
「まいったな…」
浅野はプロダクションビルの非常階段にいた。今日は2階部分だ。
子猫キャトルと会いたい時は、この非常階段に来ることにしている。キャトルも浅野がここにいると、ビルの中でも察知して来てくれるのだった。
(圭一君にはルシファー並の堕天使がついてる…。今まで何もなかったのかな…)
キャトルが駆け上がってきた。
「待ってたよ、キャトル。」
浅野がそう言うと、キャトルはひょいと浅野が寄りかかっている手摺りに飛び乗った。
「キャトル…器用だな。」
キャトルは非常階段の手摺りにふらつきもせず座っている。
「…お前のパパさ、悪魔つきって知ってた?」
人の過去を透視できる浅野は、キャトルが圭一の子どもとして産まれるはずだった魂だという事を知っている。
キャトルがうなった。
「わかってるって!悪魔っていっても、ちゃんと分別のある堕天使だよ。」
神に逆らって堕天使となったルシファーの名はださなかった。キャトルが唸り声を止めた。
「なんであんな素直でいいパパに悪魔がついてるのかな。」
キャトルは首を傾げた。(本当に傾げた。)
「お前…パパ守ってやらないとだめだぞ。悪魔に乗っ取られたらえらいことになる。」
キャトルが「うー」と言った。
「悪魔って言っても元天使だから、大丈夫だとは思うけど…。念には念をだ。」
キャトルがうなずいた…わけはなく「にゃあ」と鳴いた。
……
イリュージョンショーの構成がほぼ出来上がった。
今回は浅野の希望もあり、無料でショーをすることになった。
そして会場は、社長の相澤が衝動買いした閉鎖されたアトラクション跡地の中にある、観客席に囲まれた大きな池である。
池の中心にはステージがあり、以前はいろんなアトラクションがされていたところだ。
「あのアトラクション跡地買っててよかったよー!」
社長室で、相澤が嬉しそうに言った。
明良がうなずいた。
「最近、使っていませんでしたからね。」
「今回は、火と水のショーというわけだな。」
「ええ。いきなり大がかりなことをするようですが、大丈夫でしょうか…。」
「浅野君もちゃんと考えていると思うよ。彼に任せて我々は待つだけでいい。」
相澤の言葉に明良が「そうですね」とうなずいた。
……
「何も考えてないけどな…」
浅野はぼそっと呟いた。
構成を見ていた圭一が、その浅野の言葉に顔を上げた。
「え?」
「いやいや、こっちの話。」
「火は実際に使わないにせよ、すごいですね!映像だけでこんなことできるんだ…」
「まぁね。映像技術の発展のおかげで、いろんな仕掛けを作ることができるようになったよ。」
…これは大ウソだ。本当はすべて浅野の得意な術である。
「ただ1つだけ、圭一君。」
「?はい。」
「アシスタントをお願いする上で注意事項がある。」
「!…はい。」
圭一は構成表をテーブルに置いて、背筋を伸ばし浅野を見た。