魔術師 浅野俊介
第1章 魔術師誕生
「社長!社長!聞いて下さい!」
北条(きたじょう)圭一(けいいち)が、元アイドルが経営するタレント事務所「相澤プロダクション」の社長室にノックもせずに飛び込んできた。
中で打ち合わせをしていた、社長の相澤(あいざわ)励(れい)と副社長の北条(きたじょう)明良(あきら)が驚いて圭一を見た。
こんなに興奮している圭一を見たのは初めてだった。
「あ…すいません。会議中…」
「いいよ、圭一。どうしたの?」
相澤が明良と顔を見合わせて、笑いながら言った。
圭一は、副社長北条明良の養子であり、弱冠20歳でオペラを歌うトップスターである。
「あの…今度、うちのバーのマスターになった浅野さん、マジシャンなんですよ!」
バーとは、プロダクションビルの7階にあるタレント・社員専用のバーのことである。
「マジシャン?」
相澤が驚いて言った。
「面接の時はそんなこと言ってなかったぞ。カクテル作るのが得意としか…」
「今、ちょっと見せてもらったんです。すごいんですよ!コップに水を入れて、そのままお湯にしちゃったんですよ!」
「は?」
2人はきょとんとした。そんなばかなことができるはずがない。
「…圭一…最近疲れ気味じゃ…」
「ほんとなんですって!!!」
明良の言葉を遮って、圭一が言った。これも珍しいことだ。
「バーに来て下さいよ!!目の前で見せてくれますから!」
「わかったわかった。…行くか?明良。」
「ええ。行ってみましょう。」
相澤と明良は立ち上がった。
・・・・・
圭一の言うことは本当だった。
目の前で水を入れたコップをカウンターに置き、マスターの浅野(あさの)俊介(しゅんすけ)が、手を握ったり開いたりしながら、強く念を送るような仕草を見せると、1分程度で湯気が出てきた。
「…確かに水を入れたよな?」
「はい。水でした。」
「なんでお湯になるの?」
「????」
その相澤と明良の会話に、圭一が吹き出した。浅野も笑っている。
「…ねぇ浅野君。これって、ちゃんとタネがあるの?」
「もちろんありますよ。でも教えられません。」
「まぁそうだよなぁ…まるで超能力みたいだ…」
相澤が腕を組んで考え込んでいる。
「先輩…私達のような凡人が、タネあかしはできませんよ。」
明良は同い年の相澤を先輩と呼ぶ。アイドルだった時の癖が今だに直らないのだ。
相澤が首を振った。
「違うんだ。…浅野君、うちと自由契約結ばない?」
「は?」
浅野は目を見開いた。明良が「なるほど」と言った。圭一が嬉しそうにしている。
「浅野さん!プロのマジシャンになりましょうってことですよ!」
「えっ!?…いや…それは…」
「営業はこちらでやるから。君はマジックの腕さえ磨いてくれればいい。どうかな?」
「浅野さん!やりましょうよ!」
「…ちょっと…ちょっと考えさせて下さい。」
「構わないよ。じゃ、それまではバーのマスターの方お願いね。」
「はい!ありがとうございます。」
浅野はほっとしているが、圭一は今決まらなかったことに不満なようだ。がっかりしたように肩を落としている。それを見た明良が笑いながら、圭一の肩を叩いた。
…
「…えらいことしちゃったなぁ…」
浅野は何故かプロダクションビル裏手の非常階段の3階部分にいた。
「サービス精神旺盛なのが、俺の悪いところだよな…」
そうため息をついていると、キジ柄の子猫「キャトル」が駆け上がってきた。
「やっぱり来た。」
キャトルは浅野に向かって突進してきた。
「待て!子猫ちゃん待ってってば!!話を聞いてくれ!!」
キャトルはためらうことなく、うなり声を上げながら浅野の顔に飛びついた。
「…やっぱり、許してくれないのね…」
浅野はキャトルの体を持ったが、このまま引きはがせば顔に傷が残ってしまう。体を持ったまま浅野はしゃべりだした。
「あのね子猫ちゃん。あれは俺も反省してるんだ…でも、落ちるとは思わなかったんだよ!」
キャトルはまだうなっている。
「圭一君が危ない目にあったのを、後で聞いて反省したんだ。…気がついていたのに、知らんふりをしたのは悪かったってば…。」
キャトルのうなり声が止まった。そして力を抜いたのを感じ、浅野はそっとキャトルをはがした。そして胸に抱きしめた。
「…本当に悪かったよ。ごめんよ。」
キャトルが「にゃあ」と鳴いた。
「あれかい?あのスタジオの照明器具が緩んでいたのは、前にあった地震の時に緩んでいたんだ。もちろんその後、スタッフがチェックしたさ。でもあの器具だけ見落としてしまった。…それから1週間経って圭一君がその緩んだ照明の下で歌った訳だ。」
その時圭一は、落ちてきた照明器具が頭に直撃し、生死をさまよった。
圭一の飼い猫であるキャトルが怒っているのはそのためだ。
キャトルはまたうなり声をあげた。
「だからっ!!僕だって、危ないと思ったんだよ!でもさ。あの時僕はただ、バイトでラーメンを配達に行っただけなんだ。…ラーメン持ってきたバイトが「あそこの照明緩んでますよ。」って言ったところで、誰が信じてくれる?」
キャトルのうなり声が止まった。
「…たまたま、ここでバーのマスターを募集してて…圭一君の元気な姿を見に来るつもりで面接受けて、受かってしまってさ。自分でもびっくりなんだ。」
キャトルが「にゃあ」と鳴いた。
「うん…それで圭一君の顔見て、なんかお詫びがしたくてさ。マジックちょっとやってみたの。…そしたら、プロのマジシャンにならないかだって…」
またキャトルが「にゃあ」と鳴いた。
「なれば?って簡単に言うけどさ…。俺、師匠から危険なマジックをした罪で追放された身なんだ。…僕がここと契約してテレビに出たりしたら…今の師匠のお弟子さん達に何言われるかわからないし…ここにも迷惑をかけるじゃないか。」
キャトルが「にゃあ?」と語尾を上げて鳴いた。
「どんなマジックって…美女を一瞬で火だるまにして…一瞬で火を消すマジック…」
キャトルの目が大きくなった。
「火だるまに見せてるだけで、実際は火なんて使ってないんだけど…。超能力者だなんて言ったらバッシングすごいから、マジックだって言うしかないじゃない。本当はタネなんてないのに「どうやったらそんなことができるんだ」って、師匠に詰め寄られてさ…。「服に細工をして、本当に火だるまにしちゃいました」って言うしかなかったんだよ。そしたら危ないから追放だって…」
キャトルが自分の鼻を浅野の鼻につんとついた。
「あ、許してくれるんだ。良かったよ。」
浅野が笑った。キャトルがにこにこと(なわけはないがそんな感じの表情を)した。
……
翌日夜-
相澤と明良がバーに入ってきた。
「お疲れ様です!」
浅野が言った。プロダクション内のバーなので「いらっしゃいませ」ではない…と、マニュアルに書いてある。
「!…社長、副社長!お揃いで…」
浅野が言った。
「口説きに来たんだ。」
相澤がそう言ってカウンターに座ると、浅野が「女の子をですか?」とまじめに尋ねた。
相澤と明良が笑った。
「社長が、自社の女の子を口説く訳にはいかないだろう。」