ハイエースの旅人
*
「じゃあ、僕はそろそろ寝ますね」
彼が再び寝返りをうち、目を覚ましたのを見計らって肩を叩いて声をかけた。
時計は一時を回っていた。放送を終えたラジオからはノイズの音だけが響いている。
このままテントに引き返してしまうこともできたが、それも野暮ではあるし、起こしてしまうのも悪い気がしてそっとしておいた。一時間くらいならこうして夜空を見上げているのも苦ではない。
「あ…ああ、アカン、寝てもうたか、悪いなァ。ほうか、ありがとうな」
「いえいえ、こちらこそ、すごく楽しい時間でしたよ」
正直な気持ちを伝える、彼が酔いつぶれていなければ、もう少し話をしていたかったくらいだ。
「ところで、明日はどうするんですか?」
「おお、んー……」
寝ぼけて焦点があわないのか、しきりに目を細めて腕時計と睨めっこをした。
「一時を過ぎたところですよ」
「ああ、もう、こんな時間か。せやなぁ、出勤ラッシュに捕まりとうないからな、もう二、三時間寝て、四時過ぎにはここを出るよ……」
「え? 二、三時間って……」
『まるっきり飲酒運転じゃないですか!』と、声に出しそうになったが、あまりにもあたりまえのように言うのでその言葉は喉から出なかった。
「じゃあな、兄ちゃん、気ぃつけて帰るんやぞぉ……」
彼は椅子から立ち上がり、振り向きがてらこちらに軽く手を振ると、ハイエースの後部座席のドアを開け車内に潜り込んだ。その直前、最後に一言、声をかけた。
「奥さんと子供さん、きっと許してくれると思いますよ」
「……」
聞こえたのか聞こえてないのか、返事はなかった。これでお別れになってしまうのだろうか。少し切なくなる。前に同じようにキャンプ場で知り合ったライダーと酒を酌み交わした時は、最後にガッチリと握手などしたものだ。でも、彼との出会いの形からしたら、こんな最後もありなのかもしれない。考えてもみれば最初は「キャンプ場荒し」か何かかと疑ってかかっていたのだ。
名残惜しい、感動的な別れも美しいが、僕達のここでの距離はこれくらいでいいのかもしれない。
「ま、ええか」
そう、一人でつぶやいてみると、自然と笑みがこぼれていた。
簡単に彼の私物やゴミを片付けをしてテントに戻る。これなら彼もスムーズに出発できるだろう。
着替えと歯磨きを終え、自分の片付けもあらかた終わらせると、寝袋に入った。
そして、小遣い帳用にと購入しておいたA5サイズのノートをウェストバッグから取り出し、ノック式のボールペンを手に取るとおもむろにペンを走らせた。
書き出しはこうだった。
『ハイエースの旅人との出会い』
どうしても、この出会いは忘れたくなかった。壮大なスケールの旅物語ではないかもしれないが、記録しておく必要があると思ったのだ。
それから十分、二十分、当初は小遣い帳という目的で買われたノートは、殴り書きされた汚い文字で徐々に徐々に埋め尽くされていった。忘れたくないという一心から、いつしか文書にして残したい。そんな思いまでもが頭によぎっていた。さらに執筆スピードを上げ、字も雑になっていく。だが、僕の瞼はすでに眠気を抑える力を失っていた。
記憶はタイムスリップを続け、自分がなにをしているかさえわからなくなっていく。
そして、深い眠りに落ちていった……。