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恋するワルキューレ 第三部

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「お客様、これはルネサンス時代の画家ボッティチェリの『ヴィーナスの誕生』をモチーフにしたもので、芸術的にも高い評価を得ているものです。決して女性を貶めている訳ではありませんわ」
「何が芸術や!? “女”を売り物しくさって――! お前は女の敵や!」
「あら? 女の敵だなんて、とんでもありません。わたしたちラコック及びロワ・ヴィトン・グループは常に美を追求する女性の味方です。お客様が当社の商品に興味がるのであれば、わたしが責任を持って説明させて頂きます。もっともお客様にお似合いの商品があればの話ですけど」
「うるさーーい! 余計なお世話やーー!」
「お客様、余計なお世話のついでですけど、そろそろ回りの目を気にされた方が宜しいのではないでしょうか? あなたの野蛮な叫び声が相当に注目を集めていますよ――」
 その女がハッと回りを見回すと、二人の回りに騒ぎを聞き付けてどんどん人が集まっていた。何事かと眉をひそめる人もいるが、ほとんどはその女の切れっぷりをニヤニヤと面白そうに眺めているのだった。
 流石にその女も人として恥を知るものか、ウウ……と悔しそうな唸り声を上げて矛を収めざる得なかった。
 その時、人垣の中から一人の男がその女に声を掛けてきた。
「おい、辻元! こんな処で、何をやっているんだ?」
「何や、エンゾかい!?  余計な所に顔を出すな!」
 えっ? エンゾって……?
 裕美はその声の主を見て、心の中で驚きの声を上げた!
 坊主頭に丸縁眼鏡――。
 アスリートらしからぬ不潔な無精髭――。
 それに“GIOS”とプリントされた青いジャージ――。
 間違いない、この男は――。
「きゃあーー、エンゾ相模川――! どうしてあなたがこんな処にいるのよーー!?」
「ああーーっ! この前のトレックの女じゃねーか? お前こそどうしてこんな処に居るんだよ?」

そう、この男こそ自称ロードバイク界の“カリスマ”、エンゾ相模川だ。
以前、裕美達“ワルキューレ”のメンバーとエンゾ達は箱根でバトルをしたことがあり、その因縁も冷めやらぬうちの再開だった。
 しかも良く見てみれば、その青い“GIOS”のジャージはその女と同じものだ。類は友を呼ぶと言うが、彼女の粗野で乱暴な口振りにキレ易いその性格。本当にすべてがエンゾにそっくりで、まさに女版エンゾと言って良いかも知れない。
「何や、エンゾ、オマエこの女知っとるんかい?」
「ああ、ちょっとな……」
 エンゾは、その辻本という女の問いに答えを濁した。
無理もない。前回のバトルでエンゾは大見栄を切ったにも関わらず、“ワルキューレ”のメンバーに大敗北を喫したからだ。
 エンゾ自身がテルやユタの二人に圧倒的大差を付けられ負けただけでなく、何人かのメンバーは裕美にさえ抜かれレースを完走出来ない結果となったため、レースの後は全員が逃げ込む様にエンゾの店の中に引き籠ってしまった程だ。エンゾ相模川と“ジロディ箱根”の黒歴史となったレースのことなど語りたがるはずもない。
「ちょっと、エンゾさん? この人とお知り合いなのかしら? この人、ウチのブランドにクレイマーみたいなことをしてくるんだけど、もしかしてエンゾさんの差し金? この前わたし達に負けた腹いせかしら?」
「ふ、ふざけるなよ! 誰が負けたって言うんだ!? お前なんてジロディ箱根を完走も出来なかったじゃねーか? 何偉そうなこと言ってんだ!?」
「あら? その箱根の峠で私に抜かれたを忘れたの?」
「ふざけるな、たった一回抜かれただけじゃねーか!? そもそもお前なんて箱根の峠を一回しか登ってねーだろ! ジロディ箱根ってのはなあ、箱根の峠を2回登るもんなんだよ!」
「エンゾさん、あなた何を言っているの? 対等な条件で女の子に勝ったって自慢するなんて男として恥かしいと思わないの? そんなにフェアな条件で勝負したいって言うなら、またテル君やユタ君を呼んできましょうか?」
「ぬう…………、畜生…………」
 エンゾは勝負を受けるとも言えず、野良犬の様に唸り声を上げるだけだった。ジロディ箱根で無敗を誇ってきたエンゾだったが、それはジロディ箱根が違法な公道レースである故に、エンゾの仲間以外は誰も参加をしなかったためだ。別にエンゾが早い訳ではない。テルやユタなどの実業団クラスのローディーに参加されてはエンゾ達に全く勝ち目はない。
 しかしエンゾはふと辻本を見ると何かを思い付いたのか、それまでの悔しそうな表情から一転勝ち誇った様な笑みを浮かべた。
「……よおし、ならこの辻本と勝負をしてみろよ。こいつは速いぜ。何しろオレの弟子だからな。ヒルクライムやエンデューロで何度も入賞しているんだ。まあ俺の指導があったればこそだがな! ハッハハハーーー!」
「コラー、ちょっと待ったらンかい! わたしがいつお前の弟子になったんや!」
バシイイーーッ! 辻本はそのロードバイクで鍛えた脚でエンゾの尻に蹴りを入れた。
「痛えっ、痛えーーーっ! 畜生ーー、辻本、おまえ何しやがるんだ!? 俺はお前ら“GIOS“の客だぞ! ウチの店で“GIOS”のバイクをしこたま売ってやってるんだ。俺の言う事ぐらい聞きやがれ!」
「フン! いくらウチの得意先だからってあんまり調子こくと、また箱根の峠でブチ抜いたるで! お前の“弟子”の前で赤っ恥掻かせてやってもエエんか?」
「うう……、貴様、師匠を何だと思ってやがるんだ……?」
「何が師匠や!? お前のトンデモ理論なんぞ聞いとったら、逆に遅くなってしまうわ! それにレースに出た事もない口だけのお前に教わることなんかあるか!? この前もやっとレースに出るかと思ったら、痛風だの仮病を使って逃げやがって!」
「け、仮病じゃねえ! あれは本当の痛風だ!」
「馬鹿か! お前は黙っとれ!」
 バシイイーーッ! 辻本が再びエンゾの尻に蹴りを入れた!
「痛ぇーーっ! 辻本、蹴るな、もう蹴るなーー!」
「アホッ! 仮病じゃなかったら尚更救いようがないわ! 痛風なんて不摂生の極みやで。ローディーの笑い者や! 痛風だなんて言いふらされてもエエんかーー?」
「そ、そんな……。俺にだって立場ってものが…………」
「だったら、オマエは黙っとれ!」
「わ、分かったよ…………。             ………………クソッ!」
「アア――? エンゾ、何か言ったか?」
辻本はエンンゾを睨み付け、まるでヤクザの様な言葉遣いでエンゾを威圧した。ロードレースのジャージを着ていなければ、誰もが大阪のヤクザかヤンキーちゃんと間違えていることだろう。
エンゾも分が悪いと思ったのか、それ以上何も言い返せず、目を逸らし「わ、分かったよ」と呟くだけだった。
辻本もこれ以上エンゾを相手をしても仕方ないと見て「フン、まあエエわ」と吐き捨て、そのままの勢いで踵を返し裕美を睨み付る。
 「おい、そこの女! ワイと勝負せい! エンゾの肩を持つつもりはあらへんけど、ちょうどエエ機会や。男に媚を売るしか能のない女をコテンパンに負かしたるわ! こんど茂木の4時間エンデューロがあるからな、そこで勝負したろうやないか? どうや?」

「イヤよ!」

「…………………………えっ?」