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恋するワルキューレ 第三部

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「どうしてだね? 報酬の件かね? 君のデザインしたジャージは高く評価しているつもりだ」
「……違います、報酬の問題じゃありません……。あのデザインの権利を譲れない理由があるんです」
「それは一体何だね?」
「……ヴィーナス・ジャージもファム・ファタールのジャージもわたしが好きで、わたしが着てみたいって思うジャージをデザインしたんです。だからあのジャージに愛着があるんです……。これからもあのジャージを着てロードバイクに乗りたいって思ってるんです。
……でも、もしあのジャージの権利を譲れば、今までみたいに自由に使うことは出来なくなっちゃいます。デザインに手を加えることも出来なくなります! だからどうしても……」
「…………その通りだ、ヒロミ。弁護士である君に気休めを言う必要はないだろう。ラコックにデザインの権利を譲渡すれば、君が勝手にデザインを変えることは許されない。譲受人であるラコックの同意が必要なるだろう。もちろんラコックもデザイナーとしての君の立場を尊重して、プライベートでリメイクする分にはとやかく言うことはないだろう。だがそれも絶対ではない――。権利の所有者であるラコックの経営者も変わるかも知れないしね」
「…………………………」
「かと言って、ラコックもこのままジャージの権利を曖昧にしておくことは出来ない。君の意思が変わればラコックはあのジャージを使えなくなる。ラコックの経営に支障が出かねない問題だ。ヒロミ、デザイナーとしての君の心情はよく分かるが、我々に協力してもらえないだろうか?」
「そう言われましても……」
流石に裕美も答えに窮せざるを得ない。
実は内心では裕美もジャージの権利を譲っても良いとは考えている。
ここで嫌と言えば、浅野さんも大田原さんも本当に大変なことになっちゃうし、二人を助けてあげたいという気持ちだってある。
何より自分のデザインしたジャージを他の人にも着てもらいたい! ヴィーナス・ジャージだって、マドンナのジャージだって、わたしがデザインした思い出のあるジャージだ。そんな喜びを他の人とも分かち合えたらどんなに素敵だろう?
あのステージを見て、あんなに喜んでくれる人がいたんだもん。あの人達にも自分のジャージを着てもらいたい。そんな期待にどれだけ胸が膨らんだことか――。
 ……でもその分愛着だってある。支店長の言う通り、自由にジャージを着れなくなる可能性だって十分ある。それに自分がデザインしたジャージが、他のデザイナーに勝手に壊されたらと思うと流石に躊躇せざるを得ない。
一体どうしたらイイの……? わたしとラコックがデザインの権利を同時に持つ方法ってないのかしら――?
 でも法律上、そんな都合の良い契約なんてあるはずないし……。日本の会社であれば、こんな場合でも「相互の信頼に基づき……」などと曖昧な条件で契約するだろうが、そんな曖昧な契約を外資系企業であるロワ・ヴィトンが許すはずもない。実際、裕美が今まで曖昧にしてきたが故にこの様なトラブルが起きているのだ。
……法律的には絶対無理よね……。そんな自分だけに都合の良い契約なんてある訳ないわ……。何か法律以外の手段を考えないと………………。
 …………そうよ! 法律以外の手があるじゃない。ラコック・ジャパンだってれっきとした会社なんだから、不可能じゃない。ううん、むしろ合法的な手段だわ!
 モノは試しよ! この際だもん! 言えるだけ、言っちゃえーーー!!
「…………分かりました。ジャージのデザインの権利をお譲りします。お金も要りません。ただ一つだけお願いがあります……」
裕美を見る役員達が色めき立った! だが裕美の言葉に安堵した者は一人もいない。
先程まであれ程ジャージの権利を譲る事を躊躇していた裕美が「報酬も要らない」と言うのだ。一体、代わりにどんな要求を出してくるのか――?
 会議室に集う役員達は固唾を飲んで、次に来るべき裕美の言葉に注目した。
「ラコック・ジャパンの株式をわたしに下さい! そうすればジャージの著作権を完全にラコックにお譲りします!」
株式だって――!! 
裕美の要求に、会議室の役員達は騒然となった。
 ジャージの権利が引き渡されることで安堵した者もいれば、ラコックの経営を懸念し株式を譲渡することに反対する者、株式の報酬の妥当性を主張する者と全く意見はバラバラだった。しかし役員達から意見は出るものの、決め手となるものはなく、最後は支店長の判断に委ねらることになった。
「……成程……。君の提案は分かった……。確かにその方法なら完全にジャージの権利はラコックのものになる。そして君も株主として間接的にデザインの権利を持つし、ラコックの経営に関与することでデザインもある程度コントロール出来るだろう。
……だがラコックの株主となる以上、これからもラコックの為に働いてもらう必要がある。それでも良いかね?」
「もちろんです。ラコック・ジャパンの株主である以上、ラコックの業績を伸ばすことがわたしのメリットになります。今後はジャージのデザインだけでなく、経営の面でもお手伝いさせて頂きます!」
「ウィ。分かった、ヒロミ。君の提案を受けよう!」

* * *

「大田原さん、こんにちは。今日はよろしくお願いします」
裕美達はサイクル・モード会場『ラコック』のブースで、ラコック・ジャパンのマネージャーである大田原氏に声をかけた。
今回の喜劇的な騒動で裕美はラコック・ジャパンの取締役として就任したものの、フランスのラコック本社、そしてロワ・ヴィトン・ジャパンから実質的に会社の運営を委任されているのはこの大田原氏だ。今日、裕美やローランが幕張メッセまで来たのも、彼からの依頼を受けてのものだった。
「北条さんにローランさん、今日はわざわざ来てもらって本当にすいません。折角取締役に就任されたのに、こんな雑用を頼んでしまいまして――」
 大田原氏は明るい笑顔ながらも申し訳なさそうに、ヘルパーとしてやって来た裕美に礼を言うのだった。何せ肩書だけにおいては裕美が上役。元々人の良い性格の大田原氏だけに素直に頭を下げているのだろうが、裕美としても逆に困ってしまう。
「いいえ、あの……。別にわたしそんなんじゃなくて……。取締役と言っても形だけの社外取締役だし、大田原さんにそんなこと言われたら困っちゃいます……」
「いいえ、それだって取締役に違いはありまんせん。でも今日は北条さんの他に頼める人がいなくて――」
「そんなこと気にしないで下さい。わたし達に出来ることでしたら、雑用でも何でも言って下さい。何でもやりますから!」
「ハハハ……、そう言って下さると助かります。でも取締役の話はないにしても、わざわざ幕張まで手伝いに来てもらって恐縮ですよ」
「それで、わたし達は何をすれば良いんですか?」
「まあその話は後にしまししょう。今日、わざわざ北条さんに幕張まで来てもらったのは単にお手伝いをお願いするためだけじゃないんですよ。是非アレを見てもらいたいと思いまして!」
 そう言って大多和氏が嬉しそうに指差す先を見て、裕美も「わあ!」と思わず声を上げた!