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恋するワルキューレ 第三部

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 大田原氏は、「えっ!」と驚き、再び裕美に叫ぶ。
「なんでトレックさんのデザインなんかしてるんですか!? ウチのライバル会社じゃないですか――――!!」

「…………あっ…………」

その場で裕美が固まった。
ああーーー! 忘れてたわーーー!

その時、とある法律用語が裕美の脳裏を過った。。
――競業忌避違反――

競業忌避違反。それは特殊な法律用語と思われるかも知れないが、実は普通の人にも関わりの深い法律だ。
副業を禁止する社内規則だと言えば、知る人も多いだろう。
まあ社内規則なんて一般的に上司の小言みたいなもので、意味のない規則ばかりと思わがちだが、この規則だけは違う。最高裁で立派に判例も確立した重要な規則だ。
サラリーマンが会社に内緒で副業をする場合、会社で得たノウハウを用いるケースが多く、社員が副業を行った結果、会社自体がその社員に売上を奪われる等の弊害が生じる。憲法で“職業選択の自由”があり、本来プライベートタイムでの副業を禁止することは出来ないはずなのだが、会社に副業でその様な損害を与えた場合、その社内規則に基づき社員の懲罰・解雇することが許されている。単なる社内規則とは訳が違う。最高裁で判例も確立した規則だけに、弁護士の裕美と言えど裁判でも勝ち目はない。
トレックは自転車メーカーと思われがちだが、アパレル業も営んでおり、ラコック・ジャパンとは同じ業界のライバルと言える。プライベートとは言え、ライバル会社に手を貸したとなれば、競業忌避違反で下手をすれば首だ。
「恋は盲目」とは良く言ったもの。裕美は弁護士にも関わらず、全くその事に気付いていなかった。

マズイ、マズイ、マズイ、マズイ、マズイ、マズイ、マズイ、マズ――――イ!!

「あのぉ…………、浅野さん…………?」
 裕美はトレックの浅野氏に気まずそうに、目を逸らしながら小さな声で話し始めた。
「……そのマリアのジャージだけど、ナシってことにならないかしら……? 契約書もなかったし、お金ももらってないから、無効を主張できると思うんだけど…………」
「えっ、北条さん? 『ナシ』ってどうゆう意味ですか……?」
「あのぉ……、ジャージのデザインの権利は渡せないかも……」
「えっ…………………………………………!?」
 浅野氏の顔が一瞬にして固まった! いや、凍り付いたと言って良い。
浅野氏は引き攣った様な笑顔のまま「ハハハーーー、北条さん、ヤダなあーー、冗談キツイですよーー」と笑ってその場をやり過ごそうととするが、裕美はますます申し訳なさそうに肩を小さくして呟いた。
「浅野さん……、ごめんなさい……。わたしもライバル会社に協力したなんて知れたら、会社をクビになっちゃうかも知れないし…………」
「そんなあああぁぁぁーーー!
 北条さん、冗談だって言って下さい!
 ウチの会社の社運がかかってるんです!
 半端じゃないお金がかかってるんです!
 わたしだって、会社をクビになります――!
 浅野氏は声も枯れ枯れに、その場で膝を付き崩れ墜ちた。半ば土下座の様にも見えるが、そんな立派なものではない。力なく倒れた姿はまるで潰れたカエルの様だった。
「どうしよう……。そんなこと言われても、わたしだって……」
 その場に居た誰もが事態の深刻さを認識し、浅野氏に励ましの言葉も気休めの言葉も言えず固まってしまっていた。
エリカでさえ呆気に取られ、裕美への口撃を中断したくらいだ。クライアントがこんな状況ではケンカどころではない。マドンナ・ジャージがなくなっては、トレックでの仕事もご破算になりかねない。
その時、バン!と大きな音を立て、バックステージのドアが開いた。
“彼”が裕美がケンカをしていると聞いて飛んで来たのだ。
「裕美さん、こんな処でケンカは止めて下さい――!」
――しかし“彼”が見たのは裕美とエリカのキャット・ファイトではなく、土下座をしている浅野氏の姿――。
「あれ……? 裕美さんとエリカさんがケンカしてるって聞いたんですけど……」

 その後はシェイクスピアの喜劇の様なドタバタぶりだった。
翌日にはトレック・ジャパンの役員達が東京のロワ・ヴィトンのオフィスにアポもなく押し掛けてきた。先方も当然無礼は承知しているだろうが、何しろ時間がない。サイクルモードは翌々日には開催される。それまでに何としてもマドンナ・ジャージの版権を獲得し契約を結ぶ必要があるため、決定権のある取締役をトレック・ジャパンの本社のある神戸から急遽派遣してのことだった。
また混乱を極めたのは、ロワ・ヴィトン、ラコック側も同様だった。
ヴィーナス・ジャージの権利は誰にあるのか――!?
ヴィーナス・ジャージも、ファム・ファタールのジャージも裕美がプライベートタイムでデザインしたもの。それ故、著作権はロワ・ヴィトンではなく裕美の元にある。
裕美とデザインに関して何も契約書を交わしていないことに気付いたラコックの大田原氏もトレックの浅野氏と同様、カエルの様に地面に倒れ込んだ程だ。
早速、銀座のロワ・ヴィトンのオフィスで、ロワ・ヴィトン・ジャパンの支店長と役員達、そしてラコック・ジャパンの大田原氏を交えた緊急会議が開かれた。
しかし当然、会議はてんやわんやの大騒ぎ。まさに会議は踊る――といった状況だ。無理もない。突然のトレック・ジャパンの来訪もあったが、何よりどのジャージも権利の所在が曖昧な事が混乱に拍車を掛けた。
マドンナ・ジャージは裕美と“彼”が共同でデザインをしたものであるし、ヴィーナス・ジャージとファム・ファタールはプライベートで裕美がデザインしたものと言え、ラコックのために制作されたのだから、ラコックにも権利がないとは言えない。
双方で会議を重ねても結局結論は出ず、最終的に裕美に判断に委ねられることになった。

「ヒロミ、今日は時間を取らせてすまなかった。ただ我々としても時間がなかったものでね。トレックの浅野氏と大田原氏から大体の話は聞いたよ」
「いいえ、支店長……。わたしくのせいでご迷惑を掛けてしまって……」
「君がそんなに謝る必要もないだろう。確かにあのマドンナ・ジャージもラコックから販売できれば我々にとってもベストだが、あのジャージのデザインにはキミ以外の人間も関わっているそうだから、元々完全に我々のものと主張できるものではないしね。トレック・ジャパンの取締役の方も、我々の権利を認めてあのジャージをラコックでも販売して良いし、ロイヤリティを我々に提供しても良いと言って下さっている。我々としてもトレック・ジャパンと争うことは得策ではないと思っている」
「あのお……、それでは競業忌避の件はどうなったのでしょうか……?」
「うむ、それは問題にするつもりはない。君に悪意がなかったことは先方から事情を聞いて分かっているし、元々君がプライベートでデザインしたものだからね。何より我々もキミを追及できない弱みを抱えている……。知っての通り、君がデザインしたヴィーナス・ジャージ等の権利について、我々はまだ正式な契約を交わしていない……。ヒロミ、どうだろう? あのジャージの権利を我々に譲ってくれないかね? もちろん正当な対価は支払うつもりだ」
「……それは、ちょっと困ります……」