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恋するワルキューレ 第三部

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裕美がデザインした“ヴィーナス・ジャージ”と“ファム・ファタール”が相次いで採用され、ラコックブランドでの販売が正式に決定したのだ。しかもその功績が認められ、裕美はラコック・ジャパンの取締役への就任が決まった。
しかし取締役と言っても、実際にはそれ程自慢できる様なことでもない。実際、名前だけの取締役と言っても良いだろう。フレンチ・スポーツアパレル最大手のラコックと言えど、その日本での活動は途に就いたばかりで、日本代理店ラコック・ジャパンもまだ20人程度の小さな会社だ。それに裕美の本業はあくまでロワ・ヴィトンの社内弁護士。取締役と言っても非常勤の役員で、「今日はお天気が良いから、ちょっとお仕事に行きましょう!」なんて発言も許されそうなお気楽な立場だった。実際、今日もサイクル・モード出展のため、ラコックでも人出が足りず“取締役”の裕美が急遽呼び出され、一介の社員とほとんど変わらない。
でもそれだって裕美は喜んでその手伝いを引き受けた。
自分がデザインしたジャージをラコック・ブランドで販売することが出来るのだ。全国のラコックの取扱店はもちろん、注文があれば全国のロードバイクショップでも販売してもらえる。裕美にとってこんな嬉しいことはない。
このジャージの販売だって、すんなり決まった訳ではない。デザインでも苦労したし、店長さんとケンカまでしちゃった。恥かしいのを我慢してステージの上でだって頑張った。だからこそ裕美の喜びは何よりも大きい――。
 そうそう、トラブルと言えば、先週のプレイベントでのショーの後もとんでもない事件があった。
ロワ・ヴィトンにラコック、トレック・ジャパン、そして裕美を交えた大騒動は結果としてただの喜劇で済んだが、当の本人達にとっては悪夢そのもの。何しろサイクル・モードでラコックやトレックの出展が中止になりかねない事態で、当の裕美達は騒動の決着まで全く生きた心地がせず、つい一昨日の土壇場までシェイクスピアの喜劇の様な騒動を続けていたのだ。
その騒動の発端は、裕美vsエリカ、美しい女達の諍いから始まった――。

* * *

「ちょっとーー! あんた何よ! 一度ならず二度までもわたしのステージの邪魔をして――!!」
 最初にケンカを仕掛けてきたのはエリカだった。ファッションショーでの裕美や美穂のラコック勢の活躍から、本来自分に向けられるべき観客の注目を奪われたのが余程腹に据えかねたのだろう。モデルとしての体面も忘れ、バックステージでいきなり裕美に罵声を浴びせてきたのだった。
「あーら、エリカさん、言い掛りは止めてくれる? フェアな勝負の結果よ。あなたもプロのモデルなら観客の声を素直に受け止めるべきじゃないの?」
 怒りを顕わにするエリカに対し、裕美は勝者の余裕でエリカの罵声をサラッと受け流した。それが余計にエリカの怒りを買ったのか、ますますエリカの怒声がヒートアップする。
「ふざけないで! 何がフェアな勝負よ!? あんた達こそ超反則じゃない! そんなエロいジャージを着れば男が飛び付くに決まってるでしょ! 女を売り物にして恥かしいと思いなさいよ!」
「女を売り物になんてしていないわ。わたし達は女性の美を伝えているだけよ。もちろん男性にも女性にも分け隔てなくね――」
「大嘘つくんじゃないわよ! 裸のヴィーナスなんて、何をどう見たって男受けを狙ったとしか考えられないじゃない!?」
「やだわあ、アナタったら芸術の価値も分からないの? ヴィーナスは愛と美の象徴として古代ギリシャの時代から描かれていたのよ。女を売るだなんて、そんな安っぽいモノじゃないの」
「何が芸術よ!? ただのエロジャージじゃない!? そんなジャージを着た女なんて勘違いした馬鹿な女にしか見られないわよ。 何が“魔性の女”よ!? バリっバリの処女くせに見てて痛々しいわよ。」
ぷちん。
 裕美の中で何かが切れた。
 しょ、処女ですってーー!?
「ちょっとーー! 人の事を何て言うのよ!? 言って良い事と悪い事があるのよ!?」
「あーら、当たっちゃったかしら? 男も知らない女が“魔性の女”だなんて無理しちゃって――。 
フフフ……、ホント笑っちゃうわ。見栄を張るだけ悲しいわよねえ……。男に相手にもされない処女はブルマでも履いてアキバの童貞でも誘う方がお似合いよ」
「な、何よ! 勘違いしているのはあなたの方だわ! あなたにこそマリアのジャージを着る資格はないわよ! 聖母マリアは純潔なのよ! 乙女なのよ! 非処女のあなたがマリアのジャージを着ているなんて皮肉もいい処だわ!」
「非処女のマリアですって――!?」
 あまりにキツイ皮肉にエリカも絶句する。
「そうよ、それに随分男にモテるだなんて自慢してるけど、そんな安っぽい女に引っ掛かる男の人なんて高が知れてるわ。女の価値が下がるわよ! ビッチのモデルに商品価値なんてないのよ!」
 ぷちん。
 エリカも何かが切れた。
「商品価値がないですってーー!?」
 それまで余裕の笑みを浮かべていたエリカだが、突然引き攣った様に固まる。「商品価値がない」など、モデルとしてのプライドの高いエリカにとっては絶対に許せない言葉だ。
 ――マズイ――
そんな危険な雰囲気を察したのか、二人のマネージャー役とも言えるトレックの浅野氏とラコック・ジャパンの大田原氏は、裕美とエリカを後ろから取り押さえた。
「エリカさん、もう止めて下さい!」
「北条さん、ここは抑えてーー!」
「ちょっとーー! 放してったらーー!」
「そうよ! あんな女、絶対許さないんだからーー!」
「ダメですーー! こんなことが公になったらエリカさんのイメージも台無しです!」
「裕美さん、ウチのブランドは立ち上がったばかりなんですーー! こんな処でトラブルを起こさないで下さいーー!」
そんな姦しい二人とは対照的に、美穂はその様子をケラケラと楽しそうに笑って見ていた。「もっとやったらエエ」と、まるっで子供のケンカを見ている母親の様で、二人を止める気配は全くない。
 しかし裕美もエリカも、浅野氏と大田原氏の二人の訴えを聞き入れたのか、それとも自分達の“世間体”を思い出したのか、「フンッ」と互いに顔を背けキャットファイトは諦めた様だ。
だがそれでも二人が相手を許せるはずもない。裕美は早速、口撃を再開した。
「そもそも、どうしてマリアのジャーっをあなたが着てるのよ!? そのジャージはわたしがデザインしたのよ!」
「わたしだって、あんたがデザインしたなんて知ってたら、この仕事だって受けなかったわよ! 滝澤君がデザインしたって聞いてたんだから!」
「そーよ! わたしと店長さんでデザインしたんだから! あなたが勝手に割り込んで来たんでしょ!」
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「ちょっと待って下さい、北条さん!」
意外な事にこの醜い女の争いに突然割り込んで来たのは、ラコックの大田原氏だった。
 先程までの「困った困った」との弱気な表情から一転、何が起きたのか真剣な面持ちで叫んでいた。
「北条さん、このトレックのジャージを裕美さんがデザインしたって本当ですか!?」
「ええ、そうよ! わたしが“彼”と一緒にデザインしたの!」