恋するワルキューレ 第三部
裕美は自分の名前を呼ぶその声に反応し、とっさに振り向いた。
“魔性の女”を演じる自分の正体を知る人は、この会場に一人しかいない。
“彼”だわ――!!
裕美は“彼”からの声援に応える為、ショーの最中であることも忘れ“彼”に手を振り、声を振り絞って叫んだ。
“店長さーーん!!”
ステージの上ではスポットライトやフラッシュの光で“彼”の姿は見えない。
でも裕美は力一杯手を振る!
大音量の音楽が裕美の声を遮ってしまう。
それでも裕美は声を振り絞った。
“彼”から初めて声をかけて貰えたんだもん。わたしの気持ちを伝えなきゃーー!
“店長さーーん!! ありがとうーー!!”
そんな裕美の叫び声が響く中、会場の人達から裕美に熱い声援と惜しみない拍手が送られた。
「イイぞおおーー!! 姉えちゃーん!!」
「ラコック! 良かったぞーー!!」
パチパチ、パチパチ、パチパチ――。パチパチ、パチパチ、パチパチ――。
パチパチ、パチパチ、パチパチ――。パチパチ、パチパチ、パチパチ――。
――後で聞いた話だが、会場の人達は裕美が何を言っていたのかよく分からなかったらしい。無理もない。会場では音楽が大音量で鳴り響いていたし、そんな中で「店長さん」等と突然叫ばれても誰も分からないだろう。
ただ「ありがとう」という言葉だけは聞き取れたらしく、裕美が必死に叫び、そして手を振る姿を見て、会場の人全員が裕美に拍手を送ったのだそうだ。
ほんの少しの誤解から生じた一つの魔法。
ラコックのステージには、今までにない大きな拍手がずっと続いていた――。
パチパチ、パチパチ、パチパチ――。パチパチ、パチパチ、パチパチ――。
パチパチ、パチパチ、パチパチ――。パチパチ、パチパチ、パチパチ――。
美穂はそんな観客の反応を見て、嬉しそうに手を振り続ける裕美に声をかけた。
「やったな、裕美。 大成功や!」
「うん、やったと思う。やれたんだって思う。
エリカにだって負けてないわよね? 店長さんも、ちゃんと見てくれていたもん!」
「ああ、これならイケるで。タッキーも裕美に逆らえなくなるやろ! あんなこともこんなこともやり放題やな――」
「もう、美穂姉えったら止めてよ! 別にそんな変なことはしないんだから――」
しかし裕美も口では美穂の言葉を否定するものの、実は同じ気持ちだった。“彼”の気持ちを直接聞いた訳じゃないけど、会場からの万雷の拍手を聞けば裕美だってそれなりの自信は湧いてくるものだ。
フフフ……、そうよね。店長さんだって、わたしを見る目も変わるだろうし、もうただの友達なんて言わせないわ!
そうして裕美が喜びを噛みしめている間にも、再び”t.A.T.u.”《タトゥー》の曲が流れ始め、スポットライトが一つ一つ消え始めた。サイドを固めていたモデル達もバックステージに戻り始める。今度こそ本当のフィナーレだ。
「ああ、美穂姉え、もう終りね……」
裕美が残念そうに呟くと、美穂は何かを思い付いたのか、ちょっと小悪魔的な笑みを浮かべた。
「裕美、最後にもう一つかましてやろうや! ちょっと面白いこと思い付いたわ!」
「面白いこと? 何かしら、美穂姉え?」
「ちょっと、こっちを向いてくれへん?」
「ええ、良いけど――」
一体何をするのかと思いながらも、裕美は美穂の方へ向き、二人は互いに見つめ合う様に立った。
すると美穂は裕美の腰に手を回し裕美を抱き寄せた。裕美はとっさの事にバランスを崩し、倒れ込む様に美穂に抱きかかえられる。
えっ、何なの? 美穂姉え――!?
裕美は、美穂が一体何をしようとするのか分からず問いかける様に美穂を見上げると、すぐ目の前に凛々しい美穂の顔が写る。
「ええか、裕美。ここはステージの上やからな。粗相したらあかんよ。じっとしてるんやで――」
ちょっと! えっ、まさか!? 美穂姉え!?
えええぇぇーー! そんんああぁぁーー!!
裕美は心の中で悲鳴を上げ、美穂から離れようとしたが、美穂の手は裕美の腰に回され、しっかりとホールドされている。裕美は抵抗しようとするも、もはや離れることも出来ない――。
「ま、まさか、美穂姉え? そんなことないわよねえ……?」
「ええから、裕美。そう恥かしがらんと。すぐ気持ちよくなるさかい――」
「ちょっと待ってーー!! 美穂姉えーー!!」
ウプッ…………!
裕美の悲鳴を遮るかの様に、そのまま美穂の唇か裕美の唇に重ねられた。
きゃああああああぁぁぁぁーーーーーー!!
美穂姉え! ちょっと、中に入れないでええぇぇ……………………
「アアァーーー!! あの二人、キスしてるーーー!!」
「キャアァーー!! 女同士よおぉーー!!」
「キャアァーー!! ステキィーー!! 」
二人のキスを観た女性達の悲鳴とも喜びとも言えぬ声が、”t.A.T.u.”《タトゥー》の美しいコーラスと共に、不思議なハーモニーを奏でていた……。
All the Things She said.
All the Things She said.
Running through my head.
Running through my head.
This is not enough…
* * *
「あの――、裕美さんと美穂さんって、そうゆう趣味があったんですか……? 女同士の世界と言うか、百合と言うか……」
「ち、違うわよ! あれは美穂姉えが突然――。わたしもまさか美穂姉えがあんなことするなんて全然思わなかったもん。だからわたしも本当にビックリしたんだから! そうよね、美穂姉え?」
「まあタッキー、そうゆうことやさかい、気にせんでおいてや。ちょっとわたしも魔が差してなあ。まあステージを盛り上げる必要もあったし、ちょっと盛り上げようと思ってついなあ――」
「ほ、ほら、美穂姉えもそう言ってるでしょ! だから店長さん、全然変な誤解しないでね!」
「アハハハ……、そうですよね。まさか裕美さんにそんな趣味はないですよねえ……」
フレンチ・レストラン『フィガロ』で裕美は顔を真っ赤にしながら、本職の弁護士よろしく自らの無実を“彼”に必死に訴えていた。
“彼”からの尋ねられたのは、もちろんあの日のステージでのキスのこと。裕美のとって美穂の不意打ちは全くの予想外であったが、それは“彼”にとっても同じことだ。
もちろん“彼”には、あれは美穂姉えが突然してきた事だって説明はしたし、“彼”だって、わたしがその手の趣味の持ち主だとは思っていないだろう。
でももし、わたしが逆の立場で“彼”とツバサ君とのキスシーンなんて見たら、即座にその場から逃げ出すだろうし、笑って顔を合わせることなんて絶対出来ない!
“彼”が一歩引いちゃうのも無理ないわよね……。
本当ならあのステージでわたしが綺麗だったとか、ステキだったとか褒めて欲しいのに……。いつもの“彼”だったら、それ位のことは言ってくれそうだけど、流石に今日は無理みたい……
クスン……、美穂姉えったら……。
確かに“彼”と仲直りのお食事会まで出来たのは美穂姉えのおかげだけど、“彼”と何を話したら良いのか分からなくなっちゃう……。
実際“彼”と話らしい話もしていないし……。
作品名:恋するワルキューレ 第三部 作家名:ツクイ