恋するワルキューレ 第三部
それに今回の食事だって、あくまで仕事のお礼。
”ガールフレンド”として誘われた訳でもないのに、どうしてこんなに楽しいのかなあ?
フフフ……。でもそんなこと、どうだっていいわ。もう彼に助けてられてばかりの“お友達”なんかじゃないもん。
わたしだって彼を助けてあげられたし、あのエリカみたいに仕事でだって一緒に出来る様になったもん。
フフフ……。恋人って訳じゃないけど、もうれっきとしたパートナーに昇格よね。
そうだ! このジャージが出来たら、また店長さんに写真をお願いしちゃおうかしら?
「ねえ、ねえ、店長さん。それであのジャージはいつ頃出来るのかしら? 早く着てみたいわあ」
「それでしたら今度、ちょっとトレック・ジャパンまで一緒に行ませんか? その辺りも色々と話が聞けると思うんです」
「えっ? わたしも行っても良いの?」
「もちろんですよ。このデザイン・プランを考えたのは裕美さんですから、一度紹介をしておいた良いですし、先方も女性ローディーの意見も聞きたいでしょうから」
「それじゃあ、お願いするわ! わたしも行く行くー!」
* * *
「えっ、あの『ロワ・ヴィトン』?
法務部? 弁護士さんなんですですか? デザイナーではなくて?
えっ、しかもウチの"Madone"のユーザー!?」
トレック・ジャパンのアパレル担当の浅野さんは、裕美を紹介される都度驚きの声を上げた。”彼”からデザインを手伝ってくれた女性がいると聞いていたが、裕美の”まさか”とも言えるキャリアまでは想像も出来なかったからだ。
浅野さんもいささか恐縮しながら話をせざるを得なかった。
「いやー、これは驚きました。弁護士と言うからもっとクールなイメージを持っていたんですが、こんな綺麗な方だとは。流石ロワ・ヴィトンさんですねー。成程――。こんな女性ならあのジャージをデザイン出来る訳だ」
「いいえ、わたしはラフ・スケッチを作った位で、その後は全部”彼”が作業をしてくれたんです。そんな大したことはしてませんので――」
「いえ、そんなことはありませんよ。彼女のデザイン・イメージがなかったら、僕も何も出来ませんでしたから。実際、デザインも行き詰っていましたし――」
「ハハハーー。どちらにしてもウチとしては嬉しい話ですよ。今までも何人かのデザイナーに依頼をしたんですけれも、なかなか納得のいくものが出来なくて困ってたんです。どうしてもあのバイクに負けてしまいまして――」
「あのダミアン・ハーストがデザインした"Madone"ですね?」
「そうなんです。まあ世界的なアーティストがデザインしたバイクに釣り合うジャージだなんて無理な注文だったかも知れませんが、ウチとしても何とかあのバイクをアピールして女性客を獲得したかったんです」
「そうですよね。女性でしたらあのバイクを見ればロードバイクに乗ってみたいと思うわ! わたしもそうでしたけどロードバイクのデザインって、みんな真っ黒で喪服みたいなんですもん。派手な色のものもあるけど、スベったピエロの衣装みたいで――」
「喪服? スベったピエロ――?」
それを聞いた"彼"も浅野さんも、裕美のあまりにも率直な意見に半ば自嘲気味に笑うしかなかった。
「ハハハ……。やっぱり女性の本音はそうなんですねえ――」
彼も困った顔をするが、裕美を否定したりはしない。”やはり――”と苦々しくも納得する様子だ。
「あっ、いいえ、すいません。つい言い過ぎてしまって……」
裕美もバイクのチョイスに関して苦労しただけに、ついつい本音が出てしまう。
「ああ、いえいえ、気にしないで下さい。我々もまあそうじゃないかと思ってましたし……。それに今日、北条さんに来て頂いたのも、そう言った女性の本音を聞きたいこともあるんです。何か北条さんからアイディアがあれば、遠慮なく仰って下さい。我々としても女性に対してどうやってアピールしていけば良いか分からないことも多くて――」
「そんな、素人のわたしが差し出がましいことは……」
「そんなことはありません。あれだけのジャージをデザインしたんですし、『ロワ・ヴィトン』の方ならその道のプロじゃないですか?」
「そう仰るのでしたら僭越ですけど……。まず御社ではどんなプロモーションを予定されているんですか?」
「まず基本的な手法ですが、女性ファッション雑誌での広告を考えています。ランニングブームの影響でスポーツ特集を組む女性誌も多いですし、ダイエット特集はどんな女性誌でも必ずありますからね。そこにロードバイクの記事を組み込んでもらって、広告を出そうと考えています」
それは裕美も頷いた。基本的なことであるが、興味を持つだろう女性が一番多い分野だ。的を外すことはない。
「広告は新たに女性用のモノを作るんですか?」
「ハハハ……。実はその当たりも雑誌編集の方から叱られました……。ウチの従来の広告素材じゃ女性誌には載せられないって言われまして……」
そんな浅野さんの話を聞いて裕美もちょっと安心した。センスの違いはあるけれど、編集者が上手くリードしてくれるだろう。
「それで新たに“素材”を撮り直すことになったんです。それで今回予想以上の女性モデルと話が進みまして――。本来ウチの様な自転車メーカーのモデルになる人ではないんですが、ジャージとバイクを非常に気に入って引き受けてくれたそうなんです」
「わあ、"La Madone"のジャージを気に入ってくれるなんて嬉しいわあ!
そのモデルって、誰なんですか?」
「今業界で一押しのモデルなので、北条さんも多分ご存知だと思います。
CanCanの”藤倉エリカ”さんという方です――」
裕美の身体が一瞬にして硬直した!
エ、エリカ? 藤倉エリカって、あのエリカ――!?
”彼”を巡って、女のバトルを繰り広げた記憶が脳裏によみがえる。
「ええ、それで滝澤さんがこのジャージをデザインしたという話をしたら、彼女が撮影もお願いしたいと言いまして――」
エリカが店長さんを“指名”――!?
エリカったら、“彼”をどうするつもりなのよーー!
* * *
フフフン……、フフフ……フーン。
美穂は自分の勤める化粧品メーカーのCMソングをハミングしながら上機嫌でメイクをしていた。
そのメイクも気合の程がハンパでない。サイドの白い棚に並べられたルージュのリップスティックがパイプオルガンの金属管の様に何本も並べられ、その下の棚にはアイシャドウやマスカラが処狭し並べられている。その数はリップスティック程ではないが、それでも10は下らない。それにドレッサーの上に置かれたアイシャドウのカラーバリエーションはコンピューターのグラフィック・パターンに負けない程だ。
さらに引き出しの中にはファンデーションやクレンジングクリーム、化粧水、乳液などなどエトセトラ、エトセトラ……。
これ程の種類の化粧品を持つ女性――。一見すれば、魔女の様な派手なメイクしか頭にないメイクマニアと思われるだろうが、これだけの化粧品の数々を持ちながら、鏡に映る美穂のメイクは上品にかつ適度に抑えられている。
作品名:恋するワルキューレ 第三部 作家名:ツクイ