恋するワルキューレ 第三部
「やっぱり、それもダメですよね……。アハハハ……」
「そうだけど……。仕方ないと思うわ。どこのブランドだって素敵な女性用のジャージなんて作ってないんだし、クライアントからデザイン・コンセプトも出されないんじゃ、わたしだって困っちゃうもの」
「裕美さんでも難しいですか……。女性が好む物は女性に聞いた方が良いと思いったんですが……。他の人からも話を聞いた方が良いでしょうか?」
「それはどうかしら――? 元々女性ローディーなんて少ないし、それに沢山の人から意見を集める程、無難な路線なりがちよ。クライアントはロードバイクに乗る女性を増やしたいんでしょう? だったら新しいジャージを提案しなきゃ意味はないわ」
彼も裕美も紅茶が冷めてしまうのも忘れてディスカッションを続けていた。しかし彼がアイディアを出せば、裕美がその意見を分析した上で否定するし、裕美が新しいコンセプトを出そうとすれば、結局現状の方が良いという意見に落ち付いてしまう。お互いのアイディアを潰すだけの消耗的な話し合いにしかならなかった。
「うーん、やはりアイディアに詰まってしまいますね……。何か“核”になるテーマがあれば……」
「そうねえ、でも一体どうしたら良いのかしら……」
結局その日に良いプランは浮かばず、ミーティングを終わらせざるを得なかった。
次の日も裕美は“彼”とミーティングを重ねたが、やはり良いプランは浮かばない。
グラデーションを付けたりロゴを可愛らしいものにしてみたが、どうしても幼稚な印象が拭えず、女性が喜んで着たがるとは思えない。
既存のランニング・ウェアの様にロゴやイラストは控えめにしながらも、色彩を鮮やかなものと考えたが、色は好みが分かれるだけに実際ユーザーにどれだけ支持されるかは微妙だ。
今更ながら市販のジャージのデザインの難しさが良く分かる。一括りに女性ロードレーサーと言ってもファッション志向は全く違うだろうし、そのマーケットも小さい以上、ユニーク?なデザインでは実売が見込めなくなる。結局、無難な路線のデザインに落ち付かざるを得ないからだ。
アプローチを変えて自分達が着たいものをと考えたが、ワルキューレやヴィーナス・ジャージの二番煎じ的なものでしかなく、やはり魅力に欠けるものでしかなかった。
それに自分の好みをクライアントや女性ローディーが受け入れてくれるか全く分からない。確率の低いギャンブルでこの仕事をフイにすることは出来なかった。
その後もデザイン用のグラフィックソフトと格闘し、彼とデザインについて話し合う日々が続いた。
だが結局、何も良いプランが思い浮かばないまま二週間が過ぎてしまった――。
流石に裕美も疲れの色が隠せない。睡眠不足と疲れのためか、今朝は特にファンデーションのノリが悪い。
今日もワルキューレであれこれとデザイン・モチーフについて議論をしていた。でもやはり同じ様に袋小路に陥ってしまっていた――。
ちょっと休みましょうと、彼はミルクティーを用意してくれた。
「何か暗くなっちゃいますね。ちょっと音楽でもかけましょう」
彼はリラックスするためにと、ある音楽をかけてくれた。
優しいメロディと男の人の甘い声が聞こえてくる。
スローテンポながら明るいピアノの伴奏と、どこか悲しいギターの響き。
そう! 音楽でもフレンチ絶対主義の裕美だが、この曲はすぐに分かった!
When I find myself in times of trouble,
Mother Mary comes to me.
Whisper words of wisdom,
Let it be.
And in my hour of darkness,
She is standing right in front of me.
Speaking words of wisdom,
Let it be.
Let it be. Let it be.
Let it be. Let it be.
Whisper words of wisdom:
Let it be.
そう! この曲を知らない人はいないだろう。
シンプルなピアノとギターのバラード!
歌うはポール・マッカートニー!
The Beatlesの“Let it be”だ!
「フフフ……。店長さんたら、面白い曲をかけてくれるのね」
思わず、裕美は笑ってしまった。
「アハハハ、裕美さんも分かりましたか」
彼も笑ってしまう。
フフフ……。裕美もクスクスと笑いながら肩の力が抜けていく。
そう。この曲はまさに二人の今の状況に他ならないからだ。
『わたしが苦しんでいるその時、
聖母マリアがわたしの前に現れ、
賢き言葉をささやくのです。
”為すがままに任せなさい”
そして暗闇の中で立ち竦んでいる時、
彼女がわたしの前に立ち
賢き言葉をおっしゃるのです。
”あるがままにその身を委ねるのです”
“Let it be.”とひたすらリフレインを繰り返すその歌詞の意味は極めて曖昧だ。一般的にこの“Let it be.”は、『為すがままに』『あるがままに』と訳されることが多い。
だがその英語は『放っておけ』とも受け取れるニュアンスも多分にあって、いい加減で投げ遣りな言葉でもある。
なぜポール・マッカートニーはこれを”を”words of wisdom”『賢き言葉』と歌うのだろう?
そんなことは裕美も彼も分かっている。
マリア様はこう言っているのだ。
“Let it be.” 『為すがままに任せるのです』
“Let it be.” 『あるがままに身を委ねなさい』
そうすれば――、
――神様がきっと助けて下さいますよ――
そう。マリア様が言いたかった言葉は”Let it be.”ではない。
でも本当に大切な言葉は”そこ”にある――。
裕美は思わず“Let it be.”の歌詞を口ずさむ。
Let it be. Let it be.
Let it be. Let it be.
There will be answer.
Let it be.
あるがままに身を委ねなさい。
為すがままに任せるのです。
きっと答えが見つかるでしょう。
――神様があなたを助けてくれますよ――
「フフフ……。なーんか、悩んでるのが馬鹿馬鹿しくなっちゃうわね?」
「僕も仕事で悩んでる時はよくこの曲を聞くんです。まあ、この仕事も元々好きでやっているものですからね。悩むこと自体筋違いだし、気楽にやった方がむしろ上手くいくことも多いんです」
「そうよね。苦しんで悩んだって、素敵なプランが浮かぶ訳ないわ。
マリア様がきっと――」
裕美の脳裏に一瞬、聖母マリアの姿が浮かんだ。
幼きイエス・キリストを抱き、幸せそうに微笑むマリア様の姿。
裕美は椅子が後ろに倒れる程の勢いで立ち上がる。
「そうよ、店長さん! マリアよ! “Madone”《マドン》があるじゃない!」
「裕美さん、何を言ってるんですか? マリアと《マドン》に一体どういった関係が――?」
作品名:恋するワルキューレ 第三部 作家名:ツクイ