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恋するワルキューレ 第三部

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そうよ! 「必ずあの男を抜けます」って店長さんが言ってくれたんだもん。
わたしも頑張るって約束したんだから、絶対に負けられないわ!

序盤の短い平地区間も終わり、裕美達は再び箱根旧道の登坂区間に入った。
長く伸びた直線の、そして斜度10%はあるだろう坂の上には二人のメタボ気味のオジサンが見えてきた。エンゾと一緒になってテル達を追いかけたが、明らかにオーバーペースだったのだろう。息が上がり、ペースを落とし休んでいた様だ。
「やったわ! 店長さん、アイツ等よ! 一気に抜いてやりましょう!」
「裕美さん、落ち付いて下さい! 抜くことよりペースを維持する方が優先です。心拍が絶対に180を超えないようにして下さい! 170が目標です!」
「でも、わたしまだ行けるわ!」
「当然です! まだ序盤に過ぎません。今、余裕がなければ、峠を越えるまでにリタイアしてしまいます!」
「わ、分かったわ、店長さん……」
 裕美はすかさず心拍数をチェックした。170前後で安定したペースだ。
だが徐々にではあるが、メタボ・オジサンとの差が詰まってくる。裕美はペースを上げていない。彼らが失速しているのだ。
その距離約20メートル! ついに裕美はオジサン達を射程圏内に捕えた。
「こらー! あなた達、女の子に抜かれちゃうわよ! 威張ってる割には随分遅いじゃない! あなた達こそ公道を走る資格はないわよ!」
「裕美さん、そんな挑発は止めてた方が!?」
「舞をイジメたお返しよ! 沢山、言い返してやるんだから!」
確かに彼の言う通り嫌味な言い方だ。でも二度と舞をイジメさせないためにも、ここは彼らにキツク言っておかなくてはならない!
「メタボなオジサン達! 恥かしいと思いなさい!」
「ハア、ハア……。誰がメタボだよ! ふざけたこと言ってんじゃねえ!」
「そこの女、見てろよ! エンゾさん直伝のダンシングで千切ってやらぁ!」
 ガチャン、ガチャン! うりゃあ!
 オジサン達はシフトアップすると共に掛け声を上げ、ダンシングでペダルを踏み始める。
 うりゃ、うりゃ!
 せいっ、せりゃあ!
 だが、その掛け声とは裏腹にオジサン達のスピードは上がらない――。
ギアをえっちら、おっちらと踏むが、ギアが重すぎるのだろう。クランクの回転数が全く上がっていない。
無理もない――。このオジサン達は『コンパクト・クランク』さえ装着していないからだ。エンゾ相模川の『指導』では、軽いギアの『コンパクト・クランク』を使うことを禁止している。軽いギアで坂を登ることは己の非力さ示すことであり、エンゾからすると『カッコ悪い』ことの証明だそうだ。だが、重いギアのダンシングは一気に脚力を奪う。
オジサン達は結局、10メートルほど裕美を引き離したものの、再びサドルに腰を落とし、ペースが一気に落ちてしまった。
「どうしたのよ!? 随分だらしないじゃない! さっきまでの勢いはどこへ行ったのかしらね!?」
「ハア、ハア……。五月蝿せえっ! 今日は調子が悪いんだよ!」
「そうだよ! ハンガーノックになっていなければ、エンゾさん直伝の『ラクダのこぶ』で抜いてやるんだよ! ハア、ハア……」
「何がエンゾよ! テル君やユタ君にも思いっきり抜かれているじゃない! 私だってもうすぐあの汚い無精髭の男を抜いてやるから見てなさい!
 店長さん、ペースを上げて!」
裕美はそう言うと、ハンドルのドロップ部分を握り、前傾姿勢を深くしたポジションに変えた。『マドン』のスピードが僅かだか、確実に上がった。
裕美のカウンターアタックだ!
「なにー!? 下ハンを握ってヒルクライム?」
「まるで『パンターニ』じゃないか!?」
負け惜しみを言っていたオジサン達もさすがに驚かざるを得ない。ハンドルのドロップ部分を握って坂を登るスタイルは、アルプスの峠ラルプ・デュエズの最速登坂タイムを持つヒルクライマー『マルコ・パンターニ』が得意とするものだ。パンターニは下ハンドルを握るこの独特のクライミング・スタイルと、峠での圧倒的な強さで今も尚伝説として語られる不世出のクライマーだ。
しかし裕美はそのスタイルを形だけ取り入れた訳ではない。この1ヶ月の間、常にローラー台の上でフォームやペダリングをチェックし、身体への負担を少なく、そして速く走るための『研究』を続けた結果このフォームに辿り着いたのだ。
それに“彼”のアドバイスで箱根旧道の激坂対策として、フロントにシマノ『アルテグラ』のトリプルギアを装備してきた。本来『マドン』にはシマノの最高級グレードの『デュラエース』が装備されているが、あえてワンクレード落とした『アルテグラ』に交換してきた。『アルテグラ』にはフロントギア3段の軽いギアが装備されているからだ。
『デュラエース』には『コンパクトクランク』と呼ばれる登坂用の2段ギアが用意されている。ただし『登坂用』と言ってもあくまでプロレベルの話であり、力が遥かに劣る女性がこの箱根旧道を登るにはギアが全く足りない。そこで敢えてグレードを落としても、より軽いギアを使える『アルテグラ』のトリプルギアに交換してきたのだ。軽いギアは同じ距離を走るために、ペダルを多く回転させる必要があるが、その分脚の筋肉への負荷を分散させ、同じパワーを出すにも疲労を最小限に抑えることができる。『ケンデンズ』と呼ばれるペダルの回転数も、このオジサン達より1分当たり30回転は上回るだろう。
 裕美はシッティングながらも下ハンを握ったパンターニ・スタイルでこの急坂を登り続けていた。斜度に応じた適切なシフトチェンジで、ヒルクライムで理想的な80回転前後のケイデンズで走る!
 2メートル。1メートルと、ジリジリとその差が確実に縮まる。
ついにオジサン達の横に並んだ!
裕美はアイウェア越しに二人を睨み、大声で叫んだ!
「弱虫オジサン! 今抜いてあげるから、後ろでわたしを見てないさい!」
 裕美は全身の体重を懸けて、グイグイとペダルを踏み込んだ。マドンのスピードが更に上る!
「ふざけんな! 女のくせに!」
「ハア、ハア……。シロウトがイキがるんじゃねえ」
オジサン達も再びダンシングで立ち上がる!
しかし先程のダンシングで既に息も上がり切っている! 体力も回復していない。
そんな力の抜けたダンシングよりも、シッティングで走る裕美の方が格段に速かった。
適切なギアのセレクトと坂に適応したフォームで、安定したペースをキープする理想的な走りだ。オジサン達の様に格好だけのダンシングで、無闇に体力をロスすることもない!
「ちくしょう……。ハア、ハア……」
オジサンはついにサドルに腰を下ろした。体力の限界だった。
メタボ気味の体型に加え、序盤の競り合いで無理をし過ぎた状態では、息も上がって当然だ。裕美の後ろに付くこともでず、徐々に差が広がっていく。
勝負は決まった! 二人は完全にレースから脱落するだろう。

やったー!! やったわ、店長さん!

裕美は心の中で喜びの声を上げた! これなら彼の言う通り、本当にエンゾを抜けるかも知れない。
当初は負けることを覚悟でこのレースに挑むつもりだったが、わずかながらも希望が見えてきた。心なしか、脚も少し軽くなったような気がする。