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1月 雪虫

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「結婚・・・しちゃったん ですか? おめでとうございますー!」
 無意識にしちゃったんだという言葉を発してしまったが、当の翠は気にしていないようだった。本当にこのカップルはやる事が早い。芸能人みたい。だけど、みんなそんなものなのかもしれない。とうとう翠さんは浜崎夫人かぁ・・・苦労しそう。
「ありがとう!まーできちゃったもんは仕方ないんだけどねー」
 え? でき婚? なにかと有名な。はぁついて行けないな。精一杯のお祝いの言葉を返しながらユキは苦笑いをするしかなかった。浜崎ジュニアですか。どうか、浜崎ではなく翠さんに似ている子である事を願うばかりです。
 ピロピロピロピロ携帯がけたたましくなった。ユキは慌てて鞄を探したが、鳴っていたのは翠の携帯だった。
「もしもーし!終わったのー? もう雨宮ちゃん来てるよー」
 どうやら相手は浜崎らしい。嫌だな。会いたくないな。顔すらも見たくない。接したくない。ユキは窓の近くに移動した。狭いベランダには鳩の糞がたくさん落ちている。景色はひたすらビルの谷間から見える事だけだった。
 向かいの窓ガラスの会社で上司に怒られてる部下とか、掃除しているパートのおばちゃんとか、目を盗んでイチャイチャしている社内恋愛カップルとか。人間が作り出して紡ぎだす光景だけ。つまらない。もうすぐ夕方の筈なのに、ここは昼だろうと夜だろうとあまり関係ないみたいだ。あの建物内の時計が全部いかれたら、どうなるんだろう? それはそれで面白いと思うけど。関わりたくない浜崎と会わなければいけない現実から逃避するかのように無意識にそんな事に思いを巡らせた。
「雨宮ちゃん!ちょっと留守番頼める?」電話を切った翠が、慌ててエプロンを外して言ってきた。「どうしたんですか?」
「うん。浜崎君が仕事帰りに交差点の所で卒倒しちゃったみたいで、動けなくなってるらしいからチャリで迎えに行ってくる」
「又ですか?! だって、迎えにって、チャリでって、翠さん妊娠してるんでしょ? 大丈夫なんですか?!」
「多分。もう少しで安定期に入るから大丈夫だと思う。悪いね。待ってて」
 そう言って翠は顔を真っ青にして慌ただしく出て行った。仏壇と一緒にカレーの部屋に残されたユキは、居たたまれなくてベランダに出た。冷たい風が勢いよく吹き上げてくる。翠さん大丈夫かなぁ・・・。何だか、すごく翠が苦労しそうなのが目に見えるようだった。だって旦那は弱キモキャラだよ。
 必死にペダルを漕いで、浜崎の倒れている場所に向かう妊娠している翠の姿が頭を過って、1月の厳しい寒さに相俟って何だか切なくなってきた。人の思いは必ず届くと言うけれど、届いた後の処理は相手に任せるしかない。どんなに思い遣っても、相手の性格や考え方や受け止め方に合っていたり嵌ったり擦りでもしなければ、何も伝わらない。伝わっても本当の意味は伝わらない。物事は色んな角度から出来ているから、下手したら良い様に利用されたり悪い意味でとらえられてしまうかもしれない。そうなったら悲し過ぎる。少しでもほんの僅かでも相手の気持ちを汲み取らなければ上手くいかない。その汲み取る分量によって、自分にとって大切な人なのかどうかの目安にもなる。自分以上に大切な人なのか、自分と同じくらい大切な人なのか、将又別にいなくなっても構わない相手か。浜崎はどうなんだろう?
 性格的にわかりくい場合もある。本人は一生懸命やっているつもりでも、相手に伝わらない。どうしても上手くいかない。ユキはハタハタと口の中に入って来ようとする髪の毛を指で払った。
 でも、そうかな? 本当に一生懸命やっているのかな? 自分で一生懸命とかつもりとか限界や枠を自ら設けて言う人間はあたしは好きじゃないから、その人の気持ちは察しかねる。要は、私はそれ以上は努力出来ませんよって言ってるって事になるもん。おまけに、すごく恩着せがましい。自分の限界を知るのはある意味では大事かもしれないけど、対人関係にまでそれを持ち出してくるなんて、なにか違う気がする。そんな人でも好きなら勝手に苦労でもすればいいけど、愚痴はこぼして欲しくない。自分で選んだんだから。どんな人を好きになっても潔くありたい。もし嫌なら、他の人を探せばいい。いくらだって人間はいるんだから。世界は広い。翠さんはどうして浜崎なんだろう?
 近かったからなのか。余計なお世話かもしれないけど、浜崎が翠さんが望む事をしてあげられるような気がどうしてもしない。逆に翠さんが浜崎を完全に満たしてあげる事は出来ない気がする。どんなに必死に尽くしても。
 どうしてなのかわからないけど、現実味がない2人。なにかの歪みで間違ってくっ付いてしまったような。それでもお互いが幸せなら良いんだけど、翠が電話で連絡してきた時からずっと、何だかそんな違和感ある臭いがどうしても鼻をつく。どうしてだろう? 別に不倫でもないし、訳ありでもない。
 普通のカップルなのに。翠が年上だからと言うのも理由とは違う気がする。何の違和感なんだろう?あたしが浜崎の事が好きじゃないからって言う要素もあるのかもしれないけど。それでも、あたしはこれから先に、赤ちゃんを連れた2人を見てもやっぱり違和感を覚えるような気がする。すごくする。
 泣いてしまおうかな。まったく。大好きな翠さんが幸せになれれば、あたしはそれでいいのになぁ・・・見えない星にでも祈れそうだった。星が出ているのかすらわからないけど。忙しなく目に入ってくる髪の毛がうっとおしくて痛くて涙が滲んでくる。


 翠が浜崎を連れて帰ってきたのは時計が21時に回った頃だった。
 ぐったりとして、そのくせ図々しく意識だけはある浜崎に肩を貸して、心配そうな真っ赤な顔をして翠が何とか連れ帰ってきた。
「あ、雨宮さんだぁー」人の気も知らずに呑気に言った浜崎に殺意すら覚えて、ユキは翠を手伝って浜崎をベッドに運んだ。 お前の為じゃない!可哀相な翠さんの為だから!
「雨宮ちゃん、ごめんね。随分遅くなっちゃった。ごめんね」
 翠がすまなさそうに何度も謝るので、ユキは困ってベッドで薄目を開けて空を見ている浜崎を眺める振りをして憎しみを込めて思いっきり睨んだ。
「大丈夫ですよ。気にしないで下さい。とりあえず今日は帰ります」
 翠は泣きそうだった。浜崎がお好み焼きの上で踊る鰹節の様に起き出して、翠に聞いた。
「俺の経本、どこ?」
「仏壇の引き出しに入れてあるでしょ? それもいいけど、ちゃんと薬も飲んでよ」
 ユキは一遍に酸素不足になった。
「じゃ、あたし帰りますから。さようなら」逃げる様にして部屋を出た。
 黒いシルクのような外の冷たい風が心地よかった。息が詰まる。ユキは宗教が嫌いだった。なにかに縋らないといけないくらいに弱いのはわかる。でも、それを人にまで笑顔で無理強いしてくる態度は嫌いだった。入りたきゃ入るし。入りたくないから、入らないんだから。放っといて。それに入らなくて、不幸になっても別に構わない。そんなの気持ちの持ちようじゃない。
 ユキは疲れ果てて、家までの道を風に運ばれる風船みたいにゆっくり帰って行った。翠さんは大丈夫。きっと。
作品名:1月 雪虫 作家名:ぬゑ