Second declaration
結局のところ、彩華は可愛い後輩でしかないのかもしれない、と加納は思う。自分を「かっこいい」という理由で慕ってくれる後輩。彩華は多分、本気で好きなつもりでいるのだろうが。今日、正確に言えば昨日、怒ったのも「嫌いになったから」ではないのだろう。きっと、加納が詫びるのを待っているのに違いない。そして加納が謝れば、彩華は許してくれるのだろう。そんな、シナリオのある駆け引きのような恋愛を、今自分はしているのだ。
いいのだろうか。そんなことで、いいのだろうか。もう頭が働かない。同じフレーズが頭の中をぐるぐる回る。いいのだろうか。いいのだろうか。いいのだろうか……。
***
「おい加納、珍しいな。お前が机に突っ伏して寝てるなんて」
頭上から、嫌というほど聞き慣れた声が降ってきた。加納はのろのろと上半身を起こし、念のため顔を触ってみる。大丈夫、手や机の痕はついていない。
「ああ、なんだ君か、赤井君。昨日は少し夜更かしをしてしまったものでね」
「ははっ、さては夜中までテレビでも観てたんだろ」
「そんなことを、僕がするはずないだろう。君と一緒にしないでくれたまえ」
結局、昨日はほとんど眠れなかった。おまけに、英語の小テストの存在をすっかり忘れていたものだから、休み時間に慌てて勉強する羽目になった。あれでは八割程度しか取れていないだろう。小テストごときで点数を落とすことほど馬鹿らしいことはない。不覚だった。まあ、覆水盆に還らず。過ぎてしまったことはもう仕方がない。
それより、今は彩華とのことの方が問題なのだ。
「なあ、赤井君。放課後は暇か?」
「んん? まあ、そうだな。咲良ちゃんは放課後委員会があるから、今日は別々に帰ることになってるけど……。なんか俺に用か?」
「ちょっと話がある」
その時、ちょうど午後の授業の予鈴が鳴った。
***
「あっははははははは!」
目の前で大口開けて爆笑しているのは言うまでもなく、赤井龍之介である。
「何がおかしい」
憮然として、加納は赤井をじっと見た。赤井はアイスコーヒーを一口飲み、一息つくと、再び口を開く。
「いや、悪ぃ悪ぃ。話があるとか言うから、もっと深刻なのかと思ってたら、案外そうでもなかったんで、ちょっと……な」
「僕は真剣に相談しているんだぞ! それを深刻ではないなどと……」
加納は憤慨して机を拳で叩いた。が、ファストフード店の安っぽいプラスチックの机では、間の抜けた、どこか空気の入ったような音しかしない。赤井は器用に右手でアイスコーヒーの入った容器を非難させ、左手を加納を宥めるように振った。
「はいはいわかってるって。俺はさ、咲良ちゃんと別れろとか言われるんじゃないかと思ってたわけ」
「はあ? なんで僕がそんなことを言う必要がある?」
「それはー、もちろん加納が俺と咲良ちゃんがラブラブなのに嫉妬して、とか?」
「はっ、馬鹿馬鹿しい」
……とも言い切れないか、と内心で思う。二人のバカップルぶりが少し羨ましくもあるのは事実なのだ。
「とにかく、お前は松崎を怒らせちまった。で、どうにかして機嫌を直して貰いたい、とそういうわけだろ?」
そこが、問題なのだ。
「なあ、赤井君」
「ん?」
加納は、一呼吸置いて次に言うべき言葉を頭の中で暗誦する。
「君は、咲良君のことをどれくらい好きなんだい?」
赤井は一瞬、呆気に取られた表情を見せた後、満面の笑みを浮かべた。
「世界一! 咲良ちゃんのためなら俺、喜んで死ねる」
考えていた以上だった。やはり、赤井の思いは本物なのだ。
「なぜ? どうしたらそこまで好きになれる?」
「どうしたらって言われても……。好きなもんは好き、だから?」
シンプルすぎて余計わからない。
「君のボキャブラリーは貧弱すぎる。もっと具体的に説明してくれたまえ」
「具体的にって言われてもなあ……。俺、咲良ちゃんの全てが好きだからな。加納、お前考えすぎじゃねえ?」
「君が考えなさすぎるんだろう」
ほとんど条件反射のように返した言葉に、赤井は意外なほど冷静に首を振り、
「いやいや、そうじゃなくてさ、もっと本質的な問題だよ。俺、思うんだけど、人を好きになるのにはっきりした理由なんかないんじゃないかな」
「…………」
「理由なんかないから、恋愛は難しいんじゃないのか? そーゆーことについては加納、お前の方が詳しそうだけどな」
顔が赤くなるのを感じる。文芸部部長殿にも言われた。そう、「愛」に関しては加納の独壇場のはずなのだ。それなのに、それなのに。全く、らしくない。本当に、らしくない。
「で、お前自身はどうなんだ? 松崎を本当に好きなのかどうなのかわかんなくなったとか、そんなこと言い出すんじゃないだろーな?」
「…………」
「マジかよ……。でも、でもさ、後輩として、好きは好きなんだろ?」
「ああ、それは勿論」
「じゃあ別に問題ないんじゃないか? 別れるってのはナシだぜ。お前らはまだ付き合い始めたばっかりなんだから、これからもっとお互いのことを好きになれるはずだよ」
さすがに照れたのか、赤井は少しだけ顔を赤らめて、アイスコーヒーを啜った。
「何にしろ、今お前、松崎と気まずいんだろ? それはなんとかしなきゃならないんじゃないのか?」
「……そうだな」
気まずい沈黙が流れる。加納はすっかり冷めてしまったホットコーヒーに口をつけた。
「……不味い」
「そりゃそーだろ」
赤井は苦笑する。
「『彩華君、君との仲がこのコーヒーのように冷め切ってしまうのに、僕は耐えられそうにない』……とかそのくらい言ってみろよ」
「そんなセンスのない台詞を僕が言うとでも思うのかい? コーヒーよりも紅茶の方が相応しい。プルーストの『失われた時を求めて』を引き合いに出すくらいはするさ。いや、あれもあまり良くない。それよりもドストエフスキーか……?」
「そうそう。お前はそうやってキザに振舞ってればいいんだよ。……あーそうだ。一つだけ言っておきたいことがあった」
赤井は急に、真面目な顔をして背筋を伸ばした。
「なんだい。気持ち悪い」
「真面目な話だ。よく聞け。お前と松崎が付き合い出してから、もう二ヶ月くらい経つよな?」
「今十二月だから……そうだな。もうそんなに経つのか」
「付き合い始めの頃、松崎は嫌がらせを受けてた」
赤井は淡々と言う。だから、思わず聞き流してしまうところだった。
「い、嫌がらせ? 誰に、どうして?」
「お前は顔はいいから、一部の女子に人気があるだろう」
赤井は「顔は」と「一部の」にアクセントを置いて言った。加納がそれについて何かを言う間も与えず、
「そいつらからやっかまれたんだよ、松崎は」
「……!」
「嫌がらせ、とは言っても大したもんじゃなかったらしい。すぐに治まったってさ。なんでも、松崎が三倍返しにしたとか……」
加納はそれを聞いて少し安心した。彩華なら大丈夫。一見お嬢様だが、彼女は強い。
「ってかこれ全部咲良ちゃんに聞いたことなんだけどさ。……それで、加納。よく思い出せ。松崎は、嫌がらせを受けてるような素振りを一度でもお前に見せたか?」
「いいや」
「松崎はお前に一度も頼らなかった。だろ?」
「ああ」
作品名:Second declaration 作家名:スカイグレイ