花少女
宮子は、桜の芽が膨らんできたと言った。彼女の視力は恐らく、私より良いのだろう。私は、いくら目を細めて注視しても、桜の枝から突き出そうとしている小さな芽を、捉えることが出来なかった。それを特別悔しいと思うことはないが、どこか寂しいような心もとないような、足場がふらふらと覚束無いような、不安定な心持にさせられた。
宮子といるうちに私は、こんなことでいいのだろうか、と、心の何処かで危ぶんでいる自分自身を発見していた。しかし、それをそっと押さえ込んで、宮子の前で叫びださないように、その自分自身を戒めているのだった。
「どうかしまして」
気づくと宮子が、妹よりも細い、切れ長の瞳で私を見つめていた。両手は、卓上の私の腕の上に軽く掛けられている。細い指がマネキンのように綺麗に揃えられていて、まるで体温が感じられなかった。袖越しに伝わってくるのは温もりではなく、ただそこにそれが存在していると言う証拠の、重みでしかなかった。
「いや、なんでもない」
「顔色が悪いようよ」
宮子は心底から心配しているように、私の顔を窺った。私もそれをありがたく受け取っていることを示すために、そっけなくならないように気を配りながらゆっくりと答える。
「大丈夫だよ」
「本当に」
「ああ」
宮子がそれでも表情を和らげないので、安心させるためにも話題をひねり出さなくてはいけなくなった。ぎこちない調子を免れるために、わざと声を張り上げて、ぶっきらぼうに、宮子に話しかけた。
「妹は、桜を見るのが好きでね。入院する前は家族でよく、花見に行った」
「そうなの」
私の声は宮子の元に届く前に、急に勢いをなくしたように思えた。それは、宮子の表情や仕草から容易に判断がつくことである。やはりまだ、橋を造るには材料が足りない。尻切れ蜻蛉に終わりそうな会話の接ぎ穂を、私は無理にも探り出そうとした。宮子は心配そうな気色こそ消えたが、続きの見出せない私の言葉に戸惑っているように見えた。私は益々息苦しくなる。
「貴女のその簪、きっと妹も気に入るでしょう」
「これ?」
言って、宮子は自分の頭に手をやった。簪に触れた手を、形状を確かめるためにか、横に縦に、動かしている。桜の簪は宮子の手にも動じずに、じっとその姿勢を保っている。私は続く言葉を考えることも忘れて、宮子の指先を見つめた。体温の感じられない、けれど至極美しい形をした指先。爪はきちんと手入れされていて、ほのかに桜色をしている。何か塗っているのだろうか。
やがて、簪のことは放ったのか、宮子は口を開いた。
「小夜子さん、相変わらずなの」
宮子は自分の口にした言葉の意味を大して吟味せずに、私に放った。それは軽々と川を越えて、私の元へとたどり着く。
「相変わらずと言うと」
「相変わらず、『変わり者』でいらっしゃるの」
古いことを覚えている、と私は妙なところで感心した。昔、私と宮子が出会ったばかりのころ、それは妹も元気だった頃だが、私は宮子に妹を『変わり者』であると紹介したのだ。それから宮子が妹と顔を合わせたのは数えるほどしかないはずだが、そんな些細なことでも覚えている宮子の記憶力に、私は感服せざるを得なかった。
桜の簪から手を離して、宮子は私の答えを待っている。私はちょっと答えに窮したが、あまり深くは考えないことにして、口を開く。
「相変わらずと言えば相変わらずだよ」
「そうなの」
そこで初めて、宮子は楽しそうに笑った。そうなの、相変わらずでいらっしゃるの、と、くるくると笑った。宮子の笑顔は心底から楽しそうなものに感じられたが、私はそれにつられることもなく、ただ黙って見つめていた。
宮子はひとしきり笑い終えると、またいつものようにおとなしくなった。その様子を見ているうちに、私はこの間の、林檎に対する妹の反応について思い出した。もしかしたら宮子が期待するような話というのは、こういうところにあるのかもしれない。そう思ったが、なんだか話を再開するのが億劫になってしまった。すると宮子のほうでも私の感情の移り変わりを敏感に察したようで、すっかり冷め切った紅茶を、再度すすり始めた。
三度、私の頭はぼんやりとした煙のような霧と、延々とリフレインし続ける楽曲に支配されるのだった。