花少女
「ところで神崎。宮子の奴と結婚の約束をしたそうじゃないか」
道すがら、人ごみが出てきた頃に、正二は何の前触れもなくそう言った。思わず私は、路傍の石に躓く。
「な、何を突然――」
「突然も何も無いだろう。おれは宮子の兄だぜ。妹が結婚するって時に首をつっこまないはずがないだろう」
「それはそうだが、でも」
「でももへちまもないさ。それで、お前から先に申し出たのか」
「いや、宮子さんが――」
「そうかそうか」
正二は楽しそうに、肯きながら大きく笑った。
「それはそうだろう。お前が、結婚してください、なんて口が裂けても天地がひっくり返っても、言うわけがない。いや、言えるわけがない」
「…………」
面白がる正二に私が閉口していると、それに気づいたのかはたまた気が向いただけなのか、彼はふいと話をそらした。
「それはそうと、仕事のほうはどうだ。前も聞いたかな」
「ああ、何も変わりない。中学生は思いのほか頭が良いよ。僕が彼らと同い年だったころ、あんなに賢かったかどうか」
「それはそうだな。お前は昔からぼんやりしていた」
「そんなことはない」
「いや、あるさ。先生からもっと授業に集中しろと叱咤されていたのは何処のどいつだったかな」
「…………」
否定することは出来なかった。私と正二の付き合いは中学の時からで、其の時から今まで、私と正二の立ち位置は変らない。私はいつも日陰をふらふらと目標も定めないままにそぞろ歩き、正二はその反対に、明るい道を、胸を張って堂々と進んでいくのだった。それは、私たちの生まれ持った性質の違いにもよるだろうし、生まれついた環境の違いにもよるだろう。
正二は、父親がこの地方に昔から根付く工場主で、その血筋も明るく朗らかな、進むべき進路がしっかり定まっている、そういう環境の下に生まれ育った。対して私はというと、父親は外国に働きに出ていて滅多に会えず、過保護な母親の腕の中で、守られながら大人しく育った。その違いが後々の暮らし向きにも如実に現れていることに、今更ながら驚嘆させられる。
しかし、同じ環境の下に育ったにもかかわらず、小夜子は私のように人付き合いを億劫がることもなく、私が母親から受け継がなかった陽の性質をきれいに受け継いだようで、それについては何度か正二にも指摘されているとおりであった。
「神崎は、でも、そこが良いところなんだよ。おれみたいに喧しくないし、何より落ち着いている。おれの周りは何だかやけに騒がしいからな。神崎みたいな友達がいるとほっとするよ」
「そうか。でも、僕はお前がうらやましいよ。もっと人並みに、積極的になれればいいんだが……」
「だから、そこが良いんだよ。大体、神埼がそんなに積極的だったら、おれと関わりなんか持たなかっただろう」
違うもの同士が惹かれあうものなのさ、と正二は訳知り顔に肯いた。そういうものなのか、と私は首をかしげる。どうも、正二は私よりも器が大きい人間のようだ。
「そういうものなんだよ。……ああほら、見えてきた。そこの神社の前だよ」
そう言って正二が指差した先に、ちらほらと、小規模ながらも祭りの出店が見えてきた。人の賑わいが、少し離れたここまで伝わってくる。先ほどまで同じ歩調で歩いていた子供連れの夫婦が、急に駆け出した子供を、慌てて追いかけ始める。子供は浴衣の裾を翻して小さな足をむき出しにして、嬉しそうに駆けていく。
「おお、やってるやってる」
正二は目を細めて出店を眺めている。私は一瞬、人ごみと言うものがこんなにも活気に満ちているものだったのかと、ぼうっとしてしまった。このところ、妹の病室と自分の家、そして学校の往復しかしていなかったため、人で賑わう場所というものの持つ熱気に、面食らってしまったのだ。本当にそれは、今を生きる人々の感情の渦だった。大部分の人々が楽しそうに、嬉しそうに笑い、時たま怒って喧嘩をしている人も見かけるが、それも溢れるような生気の裏返しに過ぎなかった。そこには静けさはなかったが、人々の営みの中で育まれる、膨大な活力に満ち満ちていた。妹の病室の青白い美しさとは違う、健康的で前向きな、生命の美しさがあった。彼らは正に生きることへの感謝を、祭りという形で表現しているのであった。
「うん、これでこそ祭りだ、人がたくさんいるな」
正二は一人でうんうんと肯いて、私の背を叩いた。
「そう構えるなよ。人ごみ嫌いは治ってないらしいな、神崎」
「いや、構えたわけじゃない。ただ、圧倒されてしまったんだ」
「何にだ?」
正二はきょとんと私を見たが、すぐに気持ちを切り替えたらしい。すたすたと、私を置いていかんばかりの速さで、祭りのほうへと歩き始めた。仕方なく、というよりは無意識のうちに、私はその背を追いかける。
祭りは、少しはなれてそれを見た時よりも遥かに賑わっていた。どちらかと言うと年配の人間が多かったが、それもここの土地柄なのだろう。時折、正二は出店で働く若者や年寄りと声を掛け合っていた。正二の顔の広さに、内心舌を巻く。
「あ、ほら神崎。林檎飴だ」
「ん」
言われて、正二が指差したほうを見ると、そこには小さな林檎飴の店が開かれていた。
「祭りといえば金魚すくいに林檎飴だよな。ああ、楽しくなってきた」
正二は嬉しそうに手を擦り合わせ、私の腕を引いてその店の前まで歩いた。子供のようなところがある奴だが、私が彼に呆れたことはない。彼の無邪気さは私のような世間知らずとは似ているようで全く異なり、世間でも十分通用するものであることを、私は知っている。
「おじさん、林檎飴二つ」
「はいはい」
正二は勝手に二つ注文し、その両手にしっかりと握り、私に片方を差し出した。受け取ってから小銭を取り出そうとする私に、良いよそんなはした金、と鷹揚に手を振って見せた。
「それに、それはお前にやるんじゃない。お前の妹君へのお土産だ。まだ入院しているんだってな……宮子から聞いたんだ。お大事にと言っておいてくれ。おれはなかなか見舞いに行けないから、せめてもの罪滅ぼしだ」
「お前は何も罪など背負ってはいないだろう」
私は思わず笑ってしまう。正二は自分の発言の何がおかしかったのか分からなかったらしく不思議そうな表情を浮かべていたが、またすぐに気を取り直し、次は金魚すくいだ、最中の奴だ、と意気込みながら前へ向かって歩き出した。