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花少女

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 沈んだ気持ちで階段を上がり、ふらつく足元で妹の病室までたどり着いたとき、部屋の中から、楽しげな妹の笑い声が聞こえたような気がした。はて、誰か見舞いにでも来ているのだろうかと首をかしげた私の脳裏を横切ったのは、九条円の姿だった。それならばあまり遠慮も要るまいと思って病室に入ると、そこにいたのは全く予想だにしていなかった人物だった。
「あら、お兄様」
 そう言って微笑む妹の、寝台の横に椅子を置き、こちらに頭を下げたのは、少年だった。それも、私のよく見知った顔である。
「神崎先生、……こんにちは」
 青島月路その人だった。

「それにしても、君が妹の見舞いに来てくれていたなんて、知らなかったよ。有難う」
 私は、病院の食堂で、正面に座っておとなしくお茶をすすっている青島月路に、そう話しかけた。少年はどことなく居心地悪そうに私を見上げて、軽く肯いた。礼をしたのかもしれない。気まずそうに沈黙を保つだけで、自分から言葉を発そうとはしなかった。それで仕方無しに、というよりは確かめたい気持ちがあったためでもあったが、私が率先して話を振ることになった。
「君は、今までにも何度か妹の見舞いに来てくれていたのかい」
「……はい」
「そう。いや、何度か君の視線を感じたことがあったんだ。あれは、妹の話を僕としようかしまいか迷ってでもいたのかな」
「まあ、……そんなところです」
 青島月路は曖昧に言葉を濁した。その語感から何となく、彼が私を通して見出そうとしていたのが妹の姿だったことに気付いた。しかしそれにしても、彼と妹に接点があるなどと、考えもしなかった。彼は九条円のように妹の容態について逐一聞いてくることもなかったし、それどころか、私に授業についての相談すら持ちかけてくることがなかった。彼は私の中に妹を見出そうとする割に、私と接点を持とうとはしていなかったのだ。
 それがどういうことなのか、私にはよく理解できない。理解できないがしかし、それは今問題にしても仕方ないことだ。
「でも、妹の見舞いに来てくれていたのに、今日まで一回も鉢合わせることがなかったね」
 何気なく口にした一言だったが、少年は律儀に返答した。
「それは僕が、先生がまだ学校にいるような時間帯に見舞いに来ていたからです」
 何となく私を避けているかのような表現だと思ったが、そういうわけでもないだろうと考え直し、そうだったのか、と肯いて見せた。少年はようやく何かつかえが取れたような表情になって、私を見た。その目は、いつも授業中に私を見る時のような、私の中から何かを取り出そうという眼差しではなく、まっすぐに、私を捉えていた。
 彼は静かな口調で、詰問するのではなくただ尋ねた。
「小夜子さんは、まだ退院できないんですか」
「ああ、そうだよ」
 思ったよりも冷静に対応できたことにほっとしながら、私はお冷を口に運ぶ。嫌な汗が体中から噴出すのを感じた。
「どうしてですか」
「それは、どういう意味だい」
「肺炎はもう、治りかけているそうじゃないですか」
「…………」
「お医者様がそう言っていた、と小夜子さんから聞いたんです。でも、それならどうして小夜子さんは、まだ入院していなければならないんですか」
 真剣だった。
 青島月路は一秒も私の目から視線をそらすことなく、真剣な表情で、私の答えを待っている。しかし、なんと答えれば良いのか。妹の体の中に、得体の知れない植物が根を張っているから、だからまだ退院は出来ないのだと、そう答えれば良いのか。そうすれば、少年の気は治まるだろうか。
 いや、そうではない。そうはならない。収まるどころか、心配が増すに決まっている。この私でさえ、先ほど杉木医師につかみかかりたいという衝動を抑えるのに必死だったのだ。多感な年頃の少年に真実を伝えることに気が引けるのは、当然とも言えよう。
 ならば、どう答えれば良い。本当のことを言うには、彼と私たちの間には隔たりがある。私は彼のことを知らないし、彼のほうでも私と関りを持とうとはしなかった。そんな彼に、わざわざ妹の病状を報告する義務がどこにある。
「色々な検査が、まだ残っているらしい。その関係で、あと少しの間だけ検査入院しなくてはいけないんだ」
 私は、偽りを述べた。だが、残っているのが検査だけではないというだけで、そう嘘をついたわけではない。果たして少年は、ゆっくりと息を吐いて、自分の持っている湯飲みの中をじっと見つめた。彼が今の答えに異議を唱えることが出来ないのは、私にも分かっていた。他ならぬ私が言うのだ、彼にそれが真実かどうか判別する術はないのである。その意味で、私は彼の誠実さに対して裏切り行為を働いたとも言える。
 でも、他にどうすることも思いつかなかったのだから仕方ない、もとより、彼に本当のことを言うつもりなど毛頭なかったのだ。それは、相手が正二や宮子であっても、同じことだったろう。私はこれからきっと、杉木医師以外と、妹の病状について話すことはしまい。
作品名:花少女 作家名:tei